過去の呪縛


母との思い出は何もないが、覚えていることならいくつかある。

名前の母はとても華やかで美しい女性だった。艶のあるブルネットと整ったパーツ、スラリと伸びた健康的な手足。記憶の中の彼女はいつも美しく着飾っていたが、決して良い母親ではなかった。

母は一夜限りの関係だった男との間に授かった命を気まぐれで産み落とした。だから決して名前は望まれて生まれた子どもではなかったし、他の子どもが与えられるような愛情とは無縁の生活を送ってきた。

彼女は暴力こそ振るわなかったが、名前にはまるで興味がなかった。ただそれでも殺してはまずいと思ったのか、いつもテーブルの上には僅かな食料が置かれ、幼い頃はそれが名前の命綱だった。

ある程度自炊が出来るようになると、今度は食料の代わりにお金が振り込まれるようになり、母が家に帰ってくることは滅多になくなった。

しかしそれから数年経ち、名前が十二になった頃、母は一人の男を連れて戻ってきた。

「名前、今日からこの人があなたのパードレになるのよ」

そう言って上機嫌な母に紹介されたのは優しそうな男だった。母親が笑顔で話しかけてきた衝撃で固まっていると、大きな手が栗色の髪を撫でる。

「君が名前かい?」

生まれて初めて経験する好意的な態度に、どう反応すればいいのかわからなかった名前は視線を泳がせる。しかし、そんな無愛想な反応でも男は満足したらしく、もう一度名前の頭を撫でると、目を細めながら「かわいいなぁ」と呟いた。

たったそれだけのことなのに、名前はまるで自分の存在を肯定されたような気がして、初めて会ったばかりの男を「いい人」だと思った。

しかしその僅か数日後、名前は男の優しさと愛情が酷く歪んだものだったことを知る。


寝苦しさを感じる夏の夜。名前は部屋の前の廊下が軋む音で目を覚ました。自分以外の誰かが家にいるという感覚に慣れない名前は僅かな物音でもすぐに目を覚ましていたが、それもいずれ慣れるだろうと思い目を閉じたまま寝返りを打った。しかしキィ、と部屋の扉が開く音が聞こえると、いよいよ不思議に思って目を開ける。

暗闇でよく見えないが、こんな時間に一体誰だろうか。名前が目を擦りながら起き上がるのと同時に、ベッドが僅かに沈みスプリングが軋んだ。
すぐ近くに感じる気配に驚いて思わず息を飲んだ瞬間、何かが名前の頬に触れる。

「…お、お母さん…?」

それは人の手だった。ゆっくりと撫でるように動くそれを大人しく受け入れていると、今度は肩を掴まれ、勢いよくベッドに横たえられた。

「なに…?」

困惑する名前を他所に、影は素早い動きで彼女が着ていた服を捲り上げると、僅かに呼吸を乱しながら剥き出しの腹部に手を這わせる。

「ああ、名前…」

ねっとりと吐き出された自分の名前に名前は目を見開く。暗闇から聞こえた低い声は母の声ではない。だったら、この影は一体誰なのか。

本能的な恐怖から次第に心拍数が速まっていく。するとその時、カーテンから漏れた月明りが、名前のすぐ上にあった影を照らした。

「あ…」

不気味に笑いながら名前を見下ろしていたのは、つい数日前、母に紹介された男だった。状況が理解できずに硬直する名前の上で、男はベッドに散らばった栗色の髪を手に取ると、その香りを堪能するように息を吸い込んだ。

「名前…僕は君を一目見た時から、ずっとこうしたいと思っていたんだよ」
「な、なに…?なにするの…?」
「最初は少し痛いかもしれないけど、すぐに君も良くなるからね」
「…?」
「心配はいらないよ」

男は黙ったまま動こうともしない名前の頬に再び手を滑らせると、びくりと肩を跳ねさせた少女をどこか満足そうに見下ろして距離を縮めてきた。
どんどん近付いてくる顔に驚いて顔を背けようとするが、痛いほどの力で顔を固定される。

「んんっ…!?」

すると次の瞬間、口の中にぬるりとしたものが侵入してきた。ざらりとした何かが歯列をなぞり、怯えて奥に引っ込む舌を絡め取る。

突然のことに驚く名前を他所に、顔を離した男は性急に服を脱がすと、大きな手で下半身を撫で上げた。何度か上下に動いた手が下着の隙間から侵入してくると、驚いた名前は咄嗟に身を捩った。

名前は男の行動の意味が全くわからなかったが、その行動が異常であるというのは何となく理解し始めていた。

「ど、どうして…何でこんなことを…」
「どうして?」
「お、おかしいよ…っだってこんなの、こんなこと…」

どくどくと耳元で鳴るのは心臓の音だ。得体の知れない恐怖に全身から汗が噴き出る。震える喉が紡いだ言葉に、男は諭すように語りかけた。

「いいかい名前、これは君の運命なんだよ」
「運命…?」
「ああ。君は望まれて生まれた子どもじゃない。だから誰からも愛されない。実の母親からも、もちろん他の誰からも。君の存在はこの世の誰のためにもなりはしないんだ」

優しい口調だったが、男の言葉はまるで鋭利な刃物のように名前の心臓を突き刺した。
唯一自分を認めてくれたはずの存在は、心の中では彼女を嘲笑い、生きる価値すら否定していた。その事実を真正面から受け止めた名前は、目の前が真っ暗になるのを感じた。


焦点のあわない目でぼんやりと虚空を見つめていると、悪魔のような男が誘惑するように囁く。

「でも、僕だけは君を愛してあげられる」
「…」
「だから安心して僕に身を任せて。大丈夫、君のママだって毎日同じことをやってるんだから」
「お、なじ…」
「ああ。名前、愛してるよ」
「!」

優しいと思っていた男の笑顔が、ぐにゃりと欲望に歪んだ。
本能的な恐怖を感じた名前がベッドから抜け出そうとするが、それよりも早く男の腕が伸びて、強い力でベッドに押さえつけられる。

「やだ、はなして…ッ!」
「怖がることはないさ」
「ひっ…お母さん、助けて…!」
「残念だけど、ママはもうぐっすり眠っているよ」

馬乗りになった男が、着ているものをどんどんはぎ取っていく。名前は持てる限りの力で必死に抵抗するも、到底男の力には勝てず、ついには両腕をひとまとめにされて頭の上で縫い付けられた。そして次の瞬間、男が抵抗する片足を簡単に持ち上げると、"それ"は勢いよく名前の中に捩じ込まれた。裂けるような痛みが、まだ幼い体を貫く。

「ああああっ…!」
「っ…ああ、気持ちいいね…これは想像以上だ」

うっとりとしたように呟いた男は何度かゆっくり腰をグラインドさせると、徐々にその動きを早めていった。

他人にあられもない格好をさせられているというだけで混乱しているのに、誰にも見せたことがない秘部を晒し、そこに異物が突き立てられる恐怖と不快感が名前を襲う。男の動きに合わせて安物のベッドがギシギシと音を立てて、激しく軋んだ。

「っやだ、痛いッ…離してっ!」

痛い。怖い。気持ちが悪い。

ぐちゃぐちゃの感情のまま名前はぼろぼろと涙を零す。抵抗すればするほど男の爪は足に食い込み、下半身にはえぐるような痛みが走った。あまりの痛みと恐怖に、体はがたがたと震え始める。

「ああ名前、怖いのかい?大丈夫だよ、僕がずっと傍にいるからね」
「いやっ…ッやだああ…!」
「名前、愛してる…君を愛してるよ」

ただひたすら腰を動かしながらその言葉を呟く男を前にして、名前は必死に痛みと恐怖に震える。

「痛いッ…やだ、もうやめて…おねがい、もうやめてぇ…!」
「愛してる、名前」
「やだ、あぁっ…痛いっ離して…ッ!」
「可愛い僕の名前…愛してるよ…っ」
「いやだ、やめて、ひッ…ああああああっ!」

足を抱え込まれ、勢いよく男のモノが奥に突き立てられた瞬間、名前の小さな体が雷に撃たれたように大きく跳ねた。震えるお腹の上に白い何かが飛び散る。
満足そうに息を吐いた男は、小刻みにびくびくと震える体を愛しそうに撫でた。

「ああ名前…今の君はとても綺麗だ」

汗と涙で濡れた顔を見下ろすと、男は名前の体にかかった体液を綺麗に拭き取りながら微笑む。

「大丈夫、もう何も心配はいらないよ。これからは僕がたくさん愛してあげるからね」
「ひっ…」
「可哀相な名前。僕だけは、君を愛しているよ」

剥き出しの腹にキスを落とすと、男は優しい手付きで布団を被せ、静かに部屋を出ていった。来た時と同じ速度で男の足音が部屋から遠のいていく。

「っ…」

部屋に静寂が戻ったところで、名前は胃からせり上がる不快感に顔を顰めると、ベッドのすぐ側にあったゴミ箱を手繰り寄せた。

「うぇえッ…」

全身に残る男の感覚に、何度も揺さぶられた脳が悲鳴を上げる。
自分の身体に起きた異変以上に、耳から流れ込んでくる男の言葉が名前の感情を刺激した。

――君は望まれて生まれた子どもじゃない。

そんなこと、今更言われなくたって知ってる。

――だから誰からも愛されない。実の母親からも、もちろん他の誰からも。

それも知ってる。

――君の存在はこの世の誰のためにもなりはしないんだ

知ってるよ。そんなこと、あなたに言われなくたって気付いてた。


「ふっ、くぅ…ッ」

濡れた唇を噛み締めながらぼろぼろと涙を零せば、血のついた皺だらけのシーツが、衣擦れの音を立てて床に落ちた。

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