暗殺チームの日常
「おいおいおい、一体どーなってんだァ!」
仕事部屋で書類整理をしていた名前は、リビングから聞こえてきた怒声にリゾットと顔を見合わせた。ファイルを閉じて立ち上がるとリビングに向かう。
「おかえりギアッチョ、何かあったの?」
酒類が収納されている棚の前にしゃがむギアッチョに声をかけると、彼はじとりとした目で振り返った。
「名前よォ…まさかお前じゃねぇよな?」
「何が?」
「俺が買っておいたアマーロがいつの間にか無くなってんだよ」
そう言われた名前の脳裏に、数日前にアマーロを飲んでいた二人組の姿が浮かんだ。ゆっくりと視線を逸らせばソファの背後に設置された鏡越しにイルーゾォと目が合う。鏡の奥ですまん、と申し訳なさそうに手を合わせる彼に肩を竦めると不機嫌そうなギアッチョに視線を戻した。
「ギアッチョ、私これから買い物に行くから買ってくるよ」
「誰が飲んだか知らねェのかよ」
「さぁ、そこまでは…」
チッと舌打ちを漏らしたギアッチョに苦笑を浮かべる。
「そうだ、もし良かったら買い物のついでにお昼も食べてこない?帰ってきてからまだ何も食べてないでしょ?」
「わざわざ俺を誘わなくてもソルベとかジェラートがいるだろうがよォ」
「たまにはギアッチョと2人で出掛けたいんだけど…ダメ?」
「…」
誘われて嬉しいのに、それを素直に表現できない天邪鬼なギアッチョの性格を名前はよく知っていた。こうやって頼めば、彼は絶対に断らないということも。
案の定ギアッチョはがしがしと癖のある髪をかくと立ち上がって玄関に向かった。
「いつものバールでいいんだな」
「Grazie,ギアッチョ」
そう告げた名前はリビングを出て仕事部屋の扉を開けると、ひょっこりと顔を覗かせた。
「リゾット、ちょっと出掛けてくるね」
「ギアッチョか」
「うん。買い物行ってくるけど何かいるものある?あ、お昼何か買ってこようか?」
「いや、大丈夫だ。俺の事は気にしなくていいから気をつけて行ってこい」
「Si. シエスタが終わる頃には戻ってくるね」
「ああ」
頷いたリゾットにひらりと手を振ると自室に戻り、クローゼットの中から鞄を取り出して財布と携帯を入れた。
準備を終えた名前が玄関を開けると、少し先でギアッチョが腕を組んで待っていた。
「ごめんね、お待たせ」
「別に待ってねーよ」
そう言って早々に歩き始めるギアッチョだったが、その歩幅が名前に合わせられていることに気付き思わず笑ってしまう。
「何笑ってんだよ」
「ううん、なんでもない。そうだ、遅くなったけど任務お疲れ様。相変わらずギアッチョは報告が早いから助かるよ」
「そりゃ俺が早いんじゃなくて他の奴らが遅ぇだけだろ」
「それもそっか」
歩きながら一言二言話せば、目的地には数分で到着した。
「ほら」
「Grazie.」
ギアッチョが扉を開くとカランとベルが鳴って客の来店を告げた。店内に入るとエスプレッソの香りが鼻を掠める。
すると二人に気付いた女性が振り返り、カウンターの奥で嬉しそうに顔を綻ばせた。
「Ciao,ベッキー」
「いらっしゃい名前!ギアッチョも久しぶりね。元気だった?」
「ああ」
アジトからほど近いこのバールには暗殺チームのメンバーもよく訪れるため、店員のベッキーは全員と面識があった。明るくて裏表のない性格のベッキーは、名前たちがパッショーネの人間だということを知った上で偏見なく接してくれる。そのため仕事柄、同業者以外の友人が少ない名前も彼女とはすぐに打ち解けることができた。
「最近ホルマジオは来た?」
「ええ、今朝も寄ってくれたの」
「それは朝から幸運だったね、ベッキー?」
「やだ、名前ったら!」
後ろで控えるギアッチョに聞こえないよう小声で囁けば、ベッキーは白い肌をほんのりと赤く染めてはにかんだ。
仕事からの帰宅途中、ストリートギャングに絡まれていたところをホルマジオに助けてもらってからというものすっかり彼に惚れてしまったらしい。
恋する乙女といった様子全開のベッキーに若干の羨ましさを感じながら名前はメニューを覗き込んだ。
「今日は何がオススメ?」
「あ、そうそう!昨日ちょうど新作のパニーノが出来たのよ。私も食べたんだけどすごく美味しかったから、自信を持ってオススメできるわ」
「じゃあ私はそれを貰おうかな。ギアッチョはどうする?」
「俺も同じのでいい」
「Si. すぐ出来るからちょっと待ってね」
二人はベッキーからパニーノとエスプレッソを受け取るとテラス席に移動した。シエスタに入ったせいか往来では多くの人が行き来している。
名前はその様子を見ながら、採れたてのレタスとトマト、ルッコラ、アボカド、オリーブに加え、濃厚なパルミジャーノやアンチョビが挟まれた具だくさんのパニーノを手に取ってかぶりついた。新鮮な野菜のしゃきっとした食感と、特製ソースの味が口いっぱいに広がる。ふわふわなパンとのバランスも絶妙だ。
「んーっ、美味しい!」
あまりにも幸せそうな表情の名前につられてギアッチョが小さく笑った。
「そりゃ良かったな」
「ギアッチョも食べて!すっごく美味しいから!」
まるで子どものように目を輝かせながら急かしてくる姿を見て、ギアッチョはエスプレッソを置くとその代わりにパニーノを口に運んだ。
「……美味ェ」
思わずそう零せば、名前はでしょ?と得意気に微笑んだ。
***
「ただいまー」
二人が買い物を終えて帰宅すると、ソファに座って雑誌を読んでいたメローネが顔を上げた。
「おかえり。ギアッチョも帰ってたのか」
「荷物ここ置いとくぞ」
「Grazie,ギアッチョ」
「なぁ名前、たまには俺ともデートしないか?」
「また今度ね」
シンクの上まで荷物を運んでくれたギアッチョにお礼を言った名前は、メローネを適当にあしらいながら購入したものをてきぱきと片付けていく。
袋の中からビンを取り出すと、メローネの向かい側に座ったギアッチョを振り返った。
「ギアッチョ、アマーロは冷やしておいた方がいい?」
「いや、そのままでいい」
「Si. あれ、サングリアも買ったの?珍しいね」
「…たまにはそういうのも飲みたい気分だったんだよ」
「とか言って、本当は名前のために買ったんだろ?」
「おいメローネ、テメー適当なこと言ってんじゃねぇぞ」
「でも本当のことじゃないか」
しれっとした顔で言い放つメローネに、ギアッチョの額に青筋が浮かぶのを見た名前は苦笑いを浮かべてソファに近付く。
「ギアッチョ、良ければこれは私が貰っていい?ちょうど今夜あたり飲みたいと思ってたところなの」
「…好きにすりゃいいだろ」
「Grazie,大事に飲むね」
そう言って笑顔を浮かべるとギアッチョは居心地が悪そうに視線を逸らした。
じとりとした目でメローネを振り返れば、彼は悪びれる様子もなく不思議そうな表情で首を傾げた。
片付けが一段落したところでリビングを出れば、たった今シャワーを終えたらしいプロシュートと鉢合わせた。いかにも風呂上がりです、と言わんばかりの姿を見た名前は、ゆっくりと視線を逸らしながら壁際に寄る。
「これから仕事?」
「いや、さっき帰ってきたところだ」
「そっか、お疲れ様。お酒とおつまみ買ってきたから好きに食べてね」
「Grazie. なあ名前」
「!」
そそくさと退散しようとした名前だったが、突然腕が伸ばされて行く手を阻まれてしまった。後退すれば背後も腕で塞がれ、驚いて顔を上げれば見事な壁ドンの構図になってしまう。
「こっち向けよ」
「遠慮します」
「何でだよ」
「何でって言われても…」
壁とプロシュートの間に閉じ込められた名前は目を泳がせた。鍛えられた上半身は惜しみ無く晒され、結われていないブロンドからは水が滴る。困ったようにちらりと視線を上げれば、濡れたコバルトブルーは影を落として真っ直ぐに名前を見つめていた。
「(これは無理でしょ…)」
一言で言うと、なんかもう色気がすごいのだ。
眩暈がしそうなほどの色気に当てられた名前が息を飲んだところで、遠くからパタパタと足音が近づいてきた。
「そういえば名前さぁ、」
がちゃりとリビングの扉が空いた瞬間、まるで猫のような素早さでプロシュートの拘束から抜け出した名前はメローネの背中にまわった。
やれやれと肩を竦めるプロシュートと背後に隠れる名前を見て、即座に状況を理解したらしいメローネが羨ましそうに呟く。
「俺も混ぜてよ」
「変態はお呼びじゃねぇんだよ」
「半裸で名前を襲ってた奴に言われたくないな」
「まだ襲ってねぇだろうが」
「まだってことはこれから襲う気だったんだろ?やっぱり変態じゃないか。なあ名前?」
「お前にだけは言われたくねぇな」
密かにプロシュートに賛成した名前だったが、メローネのことを盾にしている手前、本人に直接言うことはしなかった。この距離で何か変な事を言おうものなら危険に晒されるのは自分である。
「ところでメローネ、何か用だった?」
「あ、そうそう。今週分の領収書、まとめて机の上に置いといたから確認しといてくれる?」
「Si. それじゃあ私は仕事に戻るから」
「あ、待って名前」
そう言って振り返ったメローネは流れるような動きで名前の右手を取って手首を固定すると、あろうことか人差し指を付け根から指先までべろりと舐め上げた。
指を伝う生々しい舌の感触に名前の動きが止まる。
「うーん、ベネ!たまらないよなぁ」
「…」
「俺名前の指好きなんだよな。次はこっちの指も舐めていい?」
うっとりと呟くメローネの肩越しに、名前はゆらりと何かが動くのを見た。
「…ただいま」
やけにげっそりとした様子で仕事部屋に入ってきた名前をリゾットが不思議そうな顔で見つめる。
「おかえり。何かあったのか?」
「リゾット、しばらく外に出ない方がいいかも」
「?」
「今、廊下に老化ガスが充満してるから…」
「…ここも一応換気しておくか」
リゾットは頷いて立ち上がると、やれやれといった様子で窓を開けた。