返事はYESかはいの一択です


長年というには余りにも短い年月だったけど、それでも確かに私はこの目で見てきた。
嫌がる素振りを見せながらも頬を染めて彼を見上げる彼女の顔は確かに恋する乙女だったから、「ああ、多分この子その内落ちるんだろうなー」程度には思っていた。事実あの二人の間には時々そんな雰囲気があったし、周囲の人間もそれに便乗して冷やかしたりしていた。
だったら何故、純白のドレスに身を包んで幸せそうに笑う彼女の隣は"彼"じゃなかったのか。

「―――千鶴が断ったのはまあ、それなりに意外だったけど」
『"ありえないってば。それに私あの人は苦手だって、何回も名前に言ってたじゃない"』
「そうだけど、ほら、何ていうか…嫌よ嫌よも好きのうちって」
『"名前!"』
「もう、ごめんって」

今頃リスのように頬を膨らませているであろう親友を思い浮かべて思わず笑みが漏れた。千鶴を茶化せばすぐムキになる癖は、どうやら高校時代から何も変わっていないようだ。それが何だか妙に嬉しくて、自然と口角が上がってしまう。

「でも、ほんと良かったね。ゴールインおめでとう千鶴」
『"うん…ありがとう、名前。でも、私があの人と出会えたのは名前のお陰だから。…私と親友でいてくれて、ありがとう。本当に感謝してるよ"』
「っ…」

突然の不意打ちに涙腺が刺激されると、電話からくすくすと笑う声が聞こえた。

『"ふふっ、名前って案外涙脆いもんね。でも、本当の事だから"』
「…、千鶴さ、何か旦那に似てきた?」
『"え?どこが?"』
「うーん、自覚がないならいいや」

言いながらぼんやりと思い浮かんだのは、憎たらしい笑みを浮かべるかつての先輩(今は無事彼女の旦那というポジションに収まったわけだが)。

「それにしても、あの人も可哀想に。好きだった女には結局振り向いてもらえず、婚期を逃すはめになるとは」
『"…名前、それ本気で言ってる?"』
「ん?」
『名前は知らないかもしれないけど、あの人が本当に好きなのは私じゃなくて――"』

ピンポーン

リビングに設置されたモニターから聞こえた軽快な音に、通話中の携帯から一瞬耳を離す
時計を見れば午後6時。この時間に訪ねてくる人物なんて大学時代の友人か宅配便のどちらかだろう。

『"――から、別に心配しなくても…名前?"』
「あっごめん千鶴、誰か来たみたいだから切るね?」
『"ううん、大丈夫。じゃあ、一昨日は来てくれてありがとう。久しぶりに会えて嬉しかったよ。また連絡するね"』
「ん、またね千鶴」

通話を終えてガラステーブルに携帯を置いた私は小走りで玄関に向かう。それにしても、突然の来客のせいでさっき千鶴が言ってた事が聞こえなかった。

「(また今度会ったときにでも聞いてみよう)」

そう思いながら玄関を開けた私は、目の前に佇む人物にきょとりと目を瞬かせた。家の前にいたのは大学時代の友人でも、宅配便でもなくて。
私より遥かに背の高い人物を見上げて数秒。

「…何で?」

思わず漏れた言葉に形の良い眉が顰められた。

『遅い。貴様、いつまで俺を待たせる気だ』
「いやちょっと待って何でここにいるの」
『ふん、謝罪は無いのか?』
「あ、ごめん…じゃなくて!」

まさか今の今まで噂していた本人が来るとは、一体誰が予想できるだろうか。

「(話、聞かれてないよね…?)」

いや、さすがにそれはないだろう。ただ偶然が重なっただけだ。…と、信じたい。
しかしなぜ彼は私の元を訪れたのだろうか?
高校を最後に離れてしまった他の面子とは違い、数年高校に留まっていた(嫁探しと称するあれは未だに理解不能な行動だ)はずの千景は何故か私と同じ大学へ進学してきた。大学卒業資格を持つにも関わらず、だ。何でもアリなのか風間千景。が、在学中たいした接触はなかったはずだ。まったくもって記憶にない。
となれば、何か用があっての訪問なのだろう。当然、こちらも思い当たる節は無いが。

「…まあ、とりあえず入」
『おい、早く締めろ』
「、え」
『気のきかぬ女だ』

後ろからの声に振り返れば、どうやら私が悶々と考えている間に家に上がっていたらしい千景が呆れたように呟いた。家主を差し置いて家に上がり、挙句命令を下す客人など聞いた事が無い。

「(まあ、それが風間千景という人間なんだけど)」

どうやら彼の異常なまでの横暴ぶりは健在らしい。だがそれに少し安心してしまうのは、私の気のせいだと信じたい。

「それで、今日は一体何の用?」
『用など無い』
「え?」
『その間の抜けた面を晒すな』
「…いや、え?あれ?これ私がおかしいの?」
『この俺が直々に足を運んでやったんだ。光栄に思え』
「え?あ、ありがとう…?」

何故彼は用が無いのに私を訪ねてきたのか。そして何故自分が礼を述べなければならないのか。訳が分からない事だらけだが、その言葉を聞いた彼は満足そうに長い脚を組みなおした。金持ちの感覚はやはり庶民とズレているのだと実感してしまう。

落ち着きを取り戻した私はなんとかコーヒーを淹れて彼の前に並べた。すると偶然一昨日撮った写真がテーブルの上に残っていたようで、それを目にした千景は小さく呟いた。

『―――奴に先を越された、か』
「え?…!あ、えと、うん…」
まさか自分から話を切り出してくるとは…!

何か言葉を返さないと。

「その…千景は、それで良かったの?」

突然の事で頭が回らず口から飛び出た言葉はそれだった。
あ、やばい。そう思った瞬間、一瞬のうちに千景の方へ倒れこんだ体は組み敷かれ、手首は力強く縫いつけられていた。

「あの…何、して…?」
『見てわからぬか?』
「そうじゃなくて、千景の行動の意味がわかんないからその意味での何?だったんだけど…」
『相変わらず煩い女だ。このような時まで黙らぬとは』
「…は?」
『貴様は大人しく抱かれろ』

抱、かれ…
耳に流れてきた単語に目を見開いていると端整な顔が段々と近づいてきた。現実に引き戻された私は慌てて口を開く。

「ちょっ、千景待って落ち着いて!一時の気の迷いだって!ほら冷静になって考えて!あんた自分が何しようとしてるかわかってんの!?」
『無論わかってやっている。というより、落ち着くのは貴様の方だ』

正論を述べられ一瞬押し黙る。パニックに陥っているのは自分だけだという自覚はある。が、かといって彼の行動を容認するわけにはいかない。

「あの、さっきの発言は謝るから、」
『何を謝るというのだ』
「え…?だって、千景のプライド、ズタボロにしちゃったでしょ?」

もごもごと言葉を紡げば綺麗な顔が『訳が分からない』とでも言いたげに歪んでいく。

『…理解に苦しむな。何故俺が貴様如きの発言で傷つく事がある?』

どうやら私の読みは当たっていたようだ。そしてここまで言われてはもう言うしかない。例えそれで再び彼のプライドを斬り裂くような事があっても、それは覚悟の上だった。頭の回らない今の状況では身の安全が第一なのだ。

「だって、千景は千鶴の事が好きだったんでしょ?だから、あの子の結婚について快く思ってないはずなのに『千景はそれで良かったの?』なんて私が踏み込んじゃったから…、」
『…』
「で、でも、だからってこんな事する人じゃないと思ってたのに…」

いくら自暴自棄といえど節度は守る人だと思っていた。見境なくそんな行為をする低俗な奴らとは違うと、私はある意味一種の信頼に似たものを置いていたのかもしれない。だとすれば全てを覆してしまうこの行動は、それだけ千鶴の存在が大きかったと言う事の表れなのか。だからと言って何も私に白羽の矢を立てる事もないだろうに。
悶々と考えを巡らせていると大きなため息が聞こえ反射的に顔を上げた。

『…そこまで酷いと、最早言葉にもならんな。滑稽を通り過ぎて寧ろ哀れにさえ思えてくる』

呆れたように見下ろしてくる千景の発言に思わずむっとする。何故私がそんな言い方をされなければならないのか。憤りの感情を隠すことなく眉を顰めると、彼は若干困惑したように視線をそらした。

『まず、俺はあの女を好いてなどいない』
「……、え?」
『故にあの男と結ばれた事について特に何も思わん』
「っ…え!?で、でもだったら何でさっき…」

"奴に先を越された"

あの言葉の真意がわからない。あれは千鶴を妻とした彼に対する妬みを含んだ発言ではないのか。

『先程の俺の発言を気にしているようなら、それも見事なまでの誤解だな』
「え…?」
『奴とは、千鶴の事だ』
「…???」

もう、何が何だかわからない。
とりあえず彼が千鶴に対して何の感情も抱いていない事はよくわかった。そして究極の謎が一つ残っている。
今の千景の行動と私の体勢だ。

「それで、この行動は一体…?」

そう言えば驚いたように赤眼が見開かれる。今まで見た事の無い表情に思わずこちらも吃驚してしまう。

『…これでもわからぬとは、呆れるな』
「え、ッ!」

くつりと笑った彼は露わになった首筋に顔を埋めた。刹那、チクリと走る痛みに顔を顰めていると耳元に息を吹きかけられ、ぞくりとする感覚に身を震わせた。

「っ!?ちょ、や…ッ、やめっ、」

手首を掴んでいたはずの手がするりと頬に降下してくる。抵抗しようと口を開いた瞬間、そこに感じる熱にこれ以上ないほど目を見開いた。

「ん、ふ…ッ、ぁ、」

奥深くに押し入るような激しいそれに息が荒くなる。何より、あられもない声が自分の喉から出ているという事実に顔が熱を持つ。ここで流されたら駄目だと、頭では理解しているものの体が言う事を聞いてくれない。

しかし無骨な指が素肌に触れた次の瞬間、ぼーっとしていた頭が急激に冷やされた。

「やっ…、やめて!!」

顔を離しながら眉を顰め不満を表す千景。

「っ何でこんな事して…、!」

突然の事で戸惑う私は再び頬に感じる熱に目を見開く。顔を上げると、彼は心底愛おしいものを見るような瞳で私を見つめていた。

『俺がお前を好いている。…それで全てが理解出来ただろう?』
「……え…?」

今、何て…
無意識のうちにそう呟けば薄らと頬を染めた千景がそっぽを向いた。

『二度も言わせるな』
「え!?だ、だって…」

今、聞き間違いでなければ私は彼に告白なるものをされたのだ。だが相手は"あの"風間千景。よくよく考えてみれば私みたいな庶民を相手にするわけがない。というか釣り合う自信も無い。

「(もしかしたら自分は遊ばれているだけじゃないのか)」

そんな失礼な考えが過るほど、有り得ない出来事なのだ。つまり、まだ彼の言葉が"信じられない"。私の態度で薄々感づいたのか、千景は静かに音を紡ぐ。

『これでも、貴様はまだ納得しないというのか?』
「ごめんなさい…」
『俺に此処まで言わせておきながら、まだ信じられぬと?』
「…」

無言で肯定する私に、彼は今度こそ呆れたようにため息を吐いた

『一度しか言わん。良く聞け名前…俺は、お前を愛している』
「っ…」

見た事も無い位真剣な表情の千景に、左胸がきゅんと音を立てた。彼は嘘を言うような人じゃないって、頭の中ではわかっているつもりなのだ。けれど口から出るのは可愛くない言葉ばかりで。

「妥協、してない?」
『元より俺は、お前以外の女に興味を持った事が無い』

正直それこそ信じられない。私みたいな平凡な女の何処に魅力があると言うのか。むしろこっちが聞きたいくらいだ。

「千鶴に散々言い寄ってた癖に…」
『ふっ、嫉妬か?』
「…」

この時、どこか嬉しそうな千景に私は気付いてしまった

「(要は、嫉妬してほしくてわざとやってたって事…?)」

だとすれば高校時代、千鶴と千景を冷やかしていたあの野次馬も完全にグルだったのだ。言われてみれば確かに、千景は馬が合わないと噂されていた千鶴の夫とも特に波風立つ事はなかったように思う。

『安心しろ、俺が生涯愛すると誓った女は名前だけだ』
「…っ、」

ああもう、ほんとに。
どうしてこの人はそうやって簡単に恥ずかしい事を言えるの。赤面する私にふっと笑った千景は畳み掛ける様に言葉を続けた。

『分かったならば大人しく我が妻となれ、名前』
「っで、でも突然すぎるでしょ!?せめてもっとちゃんと手順を踏んで、まずは付き合うことから――」
『…ほう?』
「なっ、何…?」
『つまり、最終的に貴様は俺と一生添い遂げるということか?』
「っ…!!」

しまった。
墓穴を掘ったと気付いた時には既に遅く。

『ならば貴様に決めさせてやろうではないか。大人しく我が妻となるか、俺と共に暮らすか…』
「あの、それ意味同じだからね?結局収まるところは同じじゃないの」
『それで、貴様はどちらを選ぶのだ』

どちらを選ぶと言われても、何度も言うように行き着くところは結局同じだ。だったらもう、覚悟を決めるしかないじゃないか。

「っ…もう、結婚すればいいんでしょ!!」

勢いよく引き寄せられた彼の腕の中で、半ばやけくそになって叫んだのだった。





後日

『"あ、もしもし名前?三日ぶりだね〜。それで、今日はどうしたの?"』
「…名字、変わる事になりました」
『"っええええ本当!?あ、じゃあ上手くいったんだね!おめでとう!!"』
「え、ちょっと待って上手くいったってどういう…」
『"風間さんでしょ?高校の時の仲間はみんな知ってるよ?そろそろかなーって、式の後話してたばかりだもの"』
「私全然知らなかったんだけど…!」
『"あれ?まさか、名前この前の電話聞いてなかったの!?"』
「あ、そうそれ!何て言ってたの?」
『"えっと…"名前は知らないかもしれないけど、あの人が本当に好きなのは私じゃなくて名前だし、その内プロポーズでもしに行くと思うから、別に心配しなくても…"って"』
「じゃあつまり、私以外のみんなはもうとっくの昔に知ってたってこと…?」
『"少なくとも7年前くらいからは…あ、"』
『"多分気付いてなかったのは君だけだよ。お千ちゃんなんていつ二人がくっつくかって不知火と賭けてたんだから"』
「沖田先輩…というかあの夫婦はそんなことしてたの…」
『"ま、お互い結果的にくっついたんだから良かったんじゃない?"』
「そりゃまあ、婚期を逃す羽目にならなくてよかったとは思いますけど…気付いてたなら教えてくれてもよかったんじゃ、」
『"それじゃ面白くないでしょ?"風間名前"さん?凄いね、君。玉の輿じゃない"』
「あんまり興味ないんでそこら辺はなんとも。あ、奥様にもよろしく伝えといてください。多分また近々招待状を送る事になると思いますから」
『"うん、わかった。じゃあね名前ちゃん。ああそれから、あの人との生活は大変だろうけど、頑張ってね。僕の予想によると多分今頃君の傍で聞き耳立ててるんじゃないのかな"』
「…」チラッ
『我が妻よ、何か言いたい事でもあるのか?』
「いえ、何も…」

当たり過ぎて怖いです、沖田先輩。

 - Back - 
TOP