永久の愛に夢を見る


「沖田さん、おはようございます」

柔らかな声と共に控えめに障子を開ける音が聞こえ、ぼんやりとした脳で"ああ、また始まるのか"と考える。瞼を閉じていてもわかる程眩しく照りつける朝陽に薄っすらと目を開ける。
僕はあと何回こうして目覚める事ができるだろうか
ゆっくりと首を捻ってみればいつも通り、そこには笑顔で僕を見ている名前ちゃんがいた。その笑顔は僕なんかに向けるにしては勿体無い程綺麗で。

「今日は天気がいいんです。もう桜も満開ですよ」
『…そう』

ふわりと風に乗ってきた花びらが一片、部屋の中に舞い落ちる。 床に伏せる僕の横に腰を落ち着けた名前ちゃんは花びらを拾い上げた。

「きっとこの桜も、春の暖かな陽気に喜んでいるのでしょうね」

にこにこと屈託無く微笑む彼女に、僕は自分でも気付かない内に口を開いていた。

『…僕なんかの傍にいて、君は何がしたいの?』

きっとそれは、ずっと前から疑問に思っていた事で。

「…え?」

僕の言葉に困惑したように瞳を揺らす彼女に再び強く言った。

『僕の傍にいたって、君に何かをしてやれるわけじゃないのに』
「沖田さん…?」

小さく僕の名前を呼ぶ彼女は心だけじゃなく瞳も澄んでいて。真っ直ぐに見つめてくるそれから目を逸らした。

『僕は…君を守ることさえできないんだから…っ!』

新選組一番組組長、沖田総司はとっくの昔に死んだのだ。今ここにいる僕は志も無ければ生きる価値さえ見出せないただの空っぽの器。

『君を守ってくれる人は他にも沢山いたはずでしょ?』

屯所に居た頃を思い返せば、みんな名前ちゃんを囲んで笑っていた。彼女に恋慕の情があったのは一人二人ではないと記憶している。
だからこそ、今この状態の僕の傍にいる彼女が理解できなかった。

『何で…もう使えない僕の傍に…』

ポツリと放たれた言葉は悲しみを持って部屋に響く。自分で口走った事なのに、酷く胸が痛んだ。

耳が痛くなるほどの静寂の後、目を伏せた名前ちゃんが口を開いた。

「…沖田さん、本気でそう思っていらっしゃるんですか?」

聞こえた声は酷く小さくて、掠れていて。彼女が涙を零すのを必死で我慢している様子が伺えた。彼女を傷つけてしまったのだと、心の奥がチクリと痛んだが気付かないフリをした。

『…君の事だから、どうせ同情でもしてくれてるんでしょ』
「そんな理由で此処にいるわけではありません」
きっぱりと言い捨てられた言葉に僕は眉を寄せる。

『だったら尚更不思議じゃない』

同情でもなければ、新選組の誰かに命じられたわけでもない。ましてや労咳だなんて、近くにいれば居るほど自分も危険に晒されるっていうのに。
目線を逸らす僕に、彼女は静かに布団の上にある手をとって自らの手で包み込んだ。
温かな熱が伝わる手は、もう動かすことさえままならない。

『名前ちゃん…?』

彼女の不可解な行動に顔を上げると、視線が合った彼女は花が咲いたように笑った。
いつもの、僕には勿体無いほどの笑顔で。

「お慕いする方のお身体を案じては、いけませんか?」

普段の穏やかな彼女からは考えられない程凛とした声。

「私が愛した沖田総司という一人の武士は、今も変わらず私の前にいるのです。死んでなんていない。今だってこうして私の前に存在しています」
『…っ』

突然放たれた言葉にこれ以上無いほど目を見開くと、そんな僕の様子が可笑しいのかくすくすと彼女は意地悪そうに笑った。

「まさか気付いてない…なんてことありませんよね?」

彼女に誘導されたように、今まで詰まっていた息を吐きながらゆっくりと頭を振った。
気付いていないわけでは、なかった。彼女が僕に気があるのはどこかで薄々と感じ取っていた…そしてその逆もまた然り。
でもこの先彼女を護っていけるのは僕じゃないから、この想いに気付いてしまえば後が辛いだけだと。僕は自分でも気づかない内にこの気持ちに蓋をした。
震える手を誤魔化すように再び息をつく。

『じゃあ…もし僕が君を突き放しても、君はそう言って僕と一緒にいるの?』
「当たり前です。私はなんと言われようと、沖田さんのお傍を離れる気はありません」

意地悪な質問も彼女はあっさりと僕が欲した答えを返してくれる。

『…随分な自信だね』
「ふふ、沖田さんが大好きですから」
『(ああ―――)』

笑顔の彼女を見つめながら思わず眉を寄せた。近い内に彼女を独りにしてしまう日が来るのだと、今更になって現実を直視した自分に嫌気が差す。けれど心の何処かでは安心する自分が居た。
まだ自分を求めてくれる人間がこの世にいたことに。 そして何より、愛しく思っていた彼女が自分と一緒に添い遂げたいと願ってくれたことに。

「これからは沖田さん自身のために生きてください。近藤さんだって…勿論土方さん達だってそれを望んでいるはずです」

宥めるように紡がれた言葉にハッと我に返る。優しく笑う自分の師と、いつも眉を寄せる無愛想な男を脳裏に浮かべ思わず苦笑が漏れた。

『…そうなのかな』
「はい、そうですとも」

それ以外考えられません、と力強く答えた彼女は少しだけ肩を震わせて俯いた。つまり私が此処にいるのは、と口を開く彼女は涙を溜めながら今にも泣きそうな顔で笑った。

「愛する人と共に暮らしたいと願う――ただの女の我侭です」

気付けば勝手に体が動いていて、小さく震える彼女を包み込んでいた。その時は自分でも驚く程体が言う事を聞いてくれて。

『…君って本当に馬鹿だね』
「はい、馬鹿で結構です」
『これ以上抱きしめる事もできないのに』
「その時は私が沖田さんの分も抱きしめます」
『恋人らしいことなんてできないよ』
「でも私はずっと沖田さんのお傍にいることができます」
『…―――どう足掻いたって、結ばれない運命なのに?』

自分の喉下から出た冷ややかな声に、やけに現実を突きつけられた気がした。こんなに自分を想ってくれている彼女になんて酷い仕打ちだろうか。

「…沖田さん」

ふわりと甘い匂いが鼻を掠める。少し悲しそうに笑った名前ちゃんは、ゆっくりと僕の背中に腕を回した。

「ねえ沖田さん。貴方は笑うかもしれませんけど、私絶対に生まれ変わる自信があるんですよ」
『生まれ、変わる…?』

突拍子も無い事を言い出す名前ちゃんを見つめると、彼女は至って真剣な表情で言葉を続けた。どうやら冗談ではないらしい。

「生まれ変わった来世でも、私は必ず沖田さんを見つけます。そして絶対に、私はまた貴方を愛します」
『来世…』

名前ちゃんの言葉に思わず繰り返す声が震えた。

来世なんて夢幻のような話なのに。でも不思議と、彼女が言った事は現実になるような気がした。勿論根拠は無いし、それこそただの願望かもしれないけど。その"来世"でも君がまたこうして笑っているのならば、そんな世に僕も同じように生まれたいと思った。

「だからその時は…その…わ、私を、沖田さんの、お、お嫁さんに…してください…ね?」

視界の端に映る彼女の耳は真っ赤に染まっていて、訪れる沈黙の中不安そうに彼女は俯いていた。その姿ですら愛しいと感じてしまう僕はもう、相当君に溺れている。

『…名前ちゃん、顔上げて』

びくっと肩を跳ねさせてふるふると首を横に振る様は小動物のようで。

「っい、今は駄目です!」
『名前ちゃんってば』
「っ、」
『名前』
「っわ、笑わないでくださいよ…?」

もう一度強く名前を呼べば、彼女は観念した様に真っ赤な顔を上げた。耳だけにはとどまらず首筋までを朱に染めた彼女は言葉にできないほど可愛らしくて、自分でもわかるくらいだらしなく頬が緩んだ。

『ぷっ…』
「わ、笑わないでくださいって言ったじゃないですか!」

酷いです、と呟いた愛しい人は頬を膨らませる。それでもどこか期待するように潤んだ瞳は気まずそうに泳いでいて、コツンと額を合わせると彼女は予想通り慌てふためいた。

『あーもう…何でそんな可愛い事言うかな』
「っ…」

口から漏れた言葉に名前ちゃんは再び顔を赤らめた。

『来世…か、そうだね。…じゃあ、僕は君よりも先に見つけるから、名前ちゃんはそれまで他の男のものにならないでね』

今度は僕の言葉に彼女が固まった。何度か目を瞬かせたと思えば突然鈴が転がるようにくすくすと笑い始める。

『何?』
「い、いえ…まさか信じてもらえるだなんて…」

肩まで震わせる彼女に少しムッとする。

『名前ちゃんが言い出したんでしょ?』
「そうですけど…ふふっ、まさか沖田さんがそんな夢物語を信じるだなんて」
『…おかしい?』
「いえ、とても嬉しいんです」

そう言った彼女は、今まで見た中でも一番の笑顔で笑った。

「では絶対ですよ、総司さん。私以外に好きな人ができたなんて言ったら怒りますからね?」
そんな子、現れるはずもないのに。

そう言って苦笑した僕を、彼女はどんな気持ちで見つめていたのだろうか。





「さすがに桜はもう…散ってしまいましたね」

苦笑しながら腕の中で眠る愛しい人に声を掛けるも当然返事は無い。しかし其れはとても安らかな顔だった。

「…もう、辛くはないですか?苦しくないですか?」

苦しそうに咽返る彼を名前は幾度と無く目にし、その度に日々痩せていく背中を摩ると彼女も言い様の無い不安を胸に抱えた。
しかし、これまでに幾つもの苦難を乗り越え新選組一番組組長という役目を終えた今、彼は漸く"自由"というものを手に入れたのだろう。

「…おやすみなさい、総司さん」

愛しい人の唇に優しく口付けた女が静かに目を伏せると、既に冷たく硬直してしまった頬に雫が零れ落ちた。
どこまでも澄み渡った浅葱色の空の下、新選組一と謳われた剣客は愛しい女の腕の中で幸せそうに息を引き取った。



*****



随分と、懐かしい夢を見た気がする。

珍しく寝坊しなかった自分に驚きながらいつも通り準備をこなしていつも通り学校へと向かう。なにもかもが変化のない、退屈な日常。
でもずっと昔から何か―――大切な誰かを待っている様な気がして。しかし思い出せない歯痒さを感じながら生きてきた。

『桜…』

学校へと続く道の脇に咲く満開の桜に思わず立ち止まる。記憶の中で、穏やかな春風に乗って舞い踊る花びらを見て誰かが笑っていた。不思議と温かくなった胸に心地よさを感じながら歩みを進めると、少し前に同じ制服を着た女の子が視界に入る。
何の接点も無い、名前さえも知らないその背中がふいに今朝夢の中で見た恋人と重なった。
だって彼女は、
僕が以前、幸せにできなかった―――

『…名前…ちゃん…?』

無意識のうちに口から漏れていた名前に前を歩いていた彼女は驚く様子もなくゆっくりと振り返った。
桜吹雪と共に緩やかな黒髪が風に舞う。髪を押さえながら振り返った彼女に息を呑んだ。

「…総司さん」

ふわりと微笑む彼女に、僕は学校の前だということも忘れて力の限り彼女を抱きしめた。

「もう、苦しいですよ」

困ったように笑う彼女を前にして、記憶が流れ込むように蘇った。

前世で伝え切れなかった愛情を。
独りにしてしまった後悔を。
そして、再び出会えた奇跡を。
全てを込めて君に伝えるよ。

『…愛してる』

沢山の意味を込めた言葉に彼女は以前と変わらない―――若干あどけなさが残る綺麗な笑顔を見せてくれた。

「私もです、総司さん」
『…まだ、僕のお嫁さんになりたいって思う?』

意地悪な質問を投げ掛けると彼女は真っ赤になりながらも頷いてくれた。

「っあ、当たり前です…!今度こそ絶対に、二人で幸せになりますから!」

"二人で幸せに"
その言葉に何故だか胸が熱くなって、誤魔化すように彼女の白い手を取ると見事に握り返された。そんな些細な事が嬉しく感じる自分に笑みを漏らしながら振り返る。

『じゃあ行こっか、名前』
「はい…っ!」

頭上の桜たちが、二人の再会を喜ぶように音を立てて舞い上がった。

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