気苦労は絶えません


力の限り床を踏み鳴らして歩けば振動に気付いたのか、縁側で寝転がっていた男がゆっくりと頭を持ち上げた。彼は視界に私を入れるなり口端を吊り上げて片手を上げる。

『やあ名前ちゃん。で、何をそんなに怒ってるの?』

けろっとした表情の彼に、溜まりに溜まっていた苛々の山がついに爆発を迎えた。

「何をそんなに怒ってるの?じゃないですよ沖田組長!全くいい加減にしてください!!土方副長の部屋には絶対に入るなとあれほど言いましたよね!?なのに何故勝手に入って好き放題してるんですか!?貴方がそんなんだから副組長である自分が怒られるハメになって『まあまあ落ち着いて』
「これが落ち着いてられるかああああ!!」

話を遮って宥めてくる悪の元凶に叫べば彼は煩い、と言わんばかりに耳を塞いだ。

「毎回私ばっかり…」

ふと脳裏に先程まで対面していた鬼の副長を思い出し、さらに湧き上がる苛々に頭を抱えた。

「ああもう、ほんと何で私が怒られなきゃなんないんですか!理不尽!!」
『あはははは、可哀想だね』
「誰のせいで怒ってると!!?」

ドスッと腰を下ろして胡坐をかけば仮にも女の子でしょと注意された。新選組にいる時点で女らしさは棄てなければならないというのに、この男は何かにつけて私が女だという事を口にしたがる。そう、何故か。迷惑な話だ。
目の前で玩具―竹で作られた其れで勇坊と遊ぶのだろう―を弄っている彼を見ると、カッカしている自分が馬鹿みたいじゃないかとさえ思えてくる。
もういいです、と深く重いため息を零し沖田組長に向き合う。

「今後一切、副長への悪戯は止めて下さいね」
『うん、やだ』
「〜〜〜〜っ」

にーっこりと。それはもう満面の笑みで首を傾げてくる男に思わず手が出た。…見事に避けられてしまったのだが。
全く反省の色が見えない上司に痛む頭を抑えながら晴れ渡る青空を仰いだ。
私の心も知らずにこんな綺麗に澄み渡りやがって、と苛々の矛先はついに自然にまで向く。

『ほら、これあげるから』
「…」

手渡された小さな星。無言でひょいっと口に投げ入れ奥歯でガリっと音を立てて噛み砕くと、金平糖独特の甘さが口内に広がった。

『やっと大人しくなったね、名前ちゃん』

いい子いい子と置かれた手に思わずひくっと頬を引きつらせたのは致し方ないと思う。食べ物で釣られる私にも確かに非はあるけれどそれはそれで別の話だ。

「(――よし)」

ぐっと固めた拳に力を入れて萌葱色の瞳を見つめた。

「沖田組長にお願いがあります」
『ん?』

金平糖をころころと口の中で持て余す彼にきっぱりと告げた。

「斎藤さんになってください」
『…ん?』

ぴしっと固まった上司に足りなかった言葉を付け足す。

「確かに沖田隊長には酷な話だと思うんですよ。私だってそれは重々承知の上です。でもきっとこれが最善の策なんです」
『うん、ちょっと言ってる意味がよくわかんないんだけど』
「つまり!もっと副長を尊敬しろってことです」

噛み砕いた言い方をすればようやく理解したのか彼は心底嫌そうに眉を顰めた。そんな彼を見ないようにしてばっさりと斬り捨てる。

「それに、私も斎藤さん(みたいな方)がいいです」

そう言えば先程とは比べ物にならないくらいに音を立てて固まる組長。

「……沖田組長?」

俯いていたかと思えば、彼はにこにこと悪意に満ち溢れた顔を上げた。

『名前ちゃんは一くんの方がいいの?』
「当たり前でしょう。忠誠心は厚く人への配慮も出来る。その上料理の腕まで良いときたら、それはもう斎藤さんに嫁ぐ女の人はさぞお幸せなんでしょうね」

斎藤さんを思い出しながら長点を指折りで挙げていく。締めくくりにそう告げた瞬間彼は無言で立ち上がり、私に背を向けて長い廊下の先に消えていった。
床に置き去りにされた竹細工の玩具を手に取りくるくると回せば、それは手の動きに従って素直に回転し始めた。

「…少し言い過ぎたかな」

だがしかし斎藤さんと比べられる事をこの上なく嫌がる我が組長には丁度良いお灸になっただろう。
「あとは、」この判断が吉と出るのを祈るばかりだ。





まあ、そんな淡い期待は見事に裏切られますよね。

『おい名前!!!てめえこいつに何吹き込みやがった!!?』

張り替えたばかりの障子を壊さんばかりの勢いで開いたのは随分ご立腹な様子の副長だった。手元の文字の羅列が並ぶ半紙が力強く置かれた筆によって無残に引き裂かれる。

「…今度は何事ですか」

なんとなく予想できる事に頭痛を感じながら後ろに振り向くと、我らが副長は満身創痍の様子であった。美形という言葉を実体化したような彼は乱れた髪をさらに掻き毟りながら低く唸る。

『大方おまえがあいつに何か言ったんだろ?お陰で俺が被害受けてんだよ!!』
「何で私がしたこと前提で話進めるんですか!?」
『総司を動かせるのはお前か近藤さんくらいだからだ!!』
「意味わかんないんですけど!?」

理不尽な言い草に対抗しながら文机に手をついて立ち上がると同時、近付いてきた軽快な足音がピタリと部屋の前で止まった。

『廊下の奥にまで声が響いてますよ土方さん』
『総司てめぇ…っ』

わなわなと震える副長とは対照に、楽しそうに顔を覗かせたのはまさに今話に挙がっている沖田組長だった。しかし私の目が捕らえたのは本人ではなく、沖田組長が手にする一冊の冊子。

「な、に…してんですか…組長」

使い古された若干汚れが目立つ涅色の冊子に、心当たりがありすぎる私は気が抜けば笑ってしまいそうになるのを必死で堪えた。過去に一度お目見えした伝説の発句集――その名も豊玉発句集。沖田組長と新作の句を拝見してその出来に腹を抱えて笑ったのは記憶に新しい。
そして何故私まで沖田組長に付き合って盗み見たのか?という当然浮上する疑問。そこはまあ普段の上司への鬱憤晴らしというか何というか。(興味本位ともいう)

『一くんの真似しろって言ったのは君でしょ?』

発句集を取り返そうと手を伸ばす副長を避けながら彼は笑いかける。

「なっ、何でよりによって…それを出してくるんですか…っ」

副長にばれない様にと腿を抓って笑いに耐えるが一度思い出してしまえばなかなか消えてくれない一句。

「(そりゃ梅の花は一輪でも二輪でも梅ですよねぇ…っ!)」

吹き出すのも時間の問題かと思われたその時、沖田組長がぱらぱらと紙を捲りまさに今私が格闘している疑問をぶつけた。

『ところで土方さん、この"梅の花一輪咲てもうめはうめ"ってどういう意味ですか?
梅は一輪咲こうが二輪咲こうが当然梅ですよね?さすが豊玉先生、僕には到底理解できない感性をお持ちだ』
『馬鹿にしてやがるのか!?』

綺麗なお顔を真っ赤に染め上げ、普段は滅多に見ることの出来ない姿の副長と句を重ねてしまう。

『いやだなぁ、僕はただ一くんを見習って句集を褒め称えようとしたんですよ?』
『ああ!?斎藤だと!?』

なんだそういう事か、と理解しなんとか沖田隊長から発句集を取り上げようとした瞬間。

『でもやっぱり豊玉先生には是非とも解説を願いたいですね。特にこの梅の花の句は』
「っぶふ…!ちょ、沖田組長ッ…や、やめてくださ…っそ、それだけは…ッ!」

折角我慢していたのに、もう我慢の限界だ。腹を抱え畳をばしばし叩くと目の前にユラリと影が現れた。

『てめぇら…歯ぁ食いしばれ』



それから延々と続いた鬼の副長のお説教後、私達は見事に足が痺れて思うままに動けない為畳に寝そべっていた。勿論副長からの制裁こと拳骨も頂いている。やっぱりあの人は容赦という言葉を知らないと思う。

「で、また私怒られたんですけど」

口を尖らせると散々副長をおちょくった隣の人物がこちらを見て笑った。

『でも今度は僕も一緒だったよね』
「貴方が元凶なんだから当たり前です」

文句を言いながらごろりと天井を仰げば、ふと視界に映った楽しそうな笑みにつられて笑ってしまう。

「でもこれからは斎藤さんの真似なんてしないで下さいね。勿論助言した私にも非はありますけど…やっぱり沖田組長は沖田組長のままでいいです」

気苦労は絶えないけど、それでも今のように私まで共に殴られる事よりかマシだ。そう言えば彼は痺れが解けたのか勢いよく起き上がり、胡坐の上に肘を置いて手の平に頬を預けた。

『名前ちゃんがそこまで言うなら、仕方ないね』
「その方が私も安心しますしね(気苦労的な意味で)」

にっこりと笑えば沖田組長は苦笑交じりに呟いた。

『…本当、君って僕を扱うの上手だよね』

何だか面白くないな、と口を尖らせる彼の横で漸く痺れから解放された私も負けじと立ち上がった。

「私が何年貴方と一緒にいると思ってるんですか。私、人並み以上には沖田組長の事見てきたんですよ?(子守的な意味で)」

そう自信満々に言って手を差し出せば、一瞬きょとんとした彼は笑って私の手を取り立ち上がった。彼の若干紅く染まった頬を指摘すれば眉を寄せた挙句煩いと言われる。つくづくこの人は人の好意や心配を素直に受け止められない人だと心の中で毒を吐いた。

『全くさ、君って本当に…』
「―…沖田組長?」

どこか困ったように笑った彼は突然無表情になり、音も無くゆっくり顔を近づけたかと思うと。まだ熱が残るたんこぶをこれ以上無いほどの力で強く押した。
当然、私が頭部を押さえながら床をのた打ち回ったのは言うまでも無い。

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