文久三年師走



「こんな夜は化け物が出る、か」

辺りが闇に包まれ、月の光を拝む事さえ出来そうに無い京の都にちらほらと粉雪が舞い降りてきた。師走独特の寒さに身を縮こまらせ肩を摩れば、一瞬温もりが蘇るが直ぐに体温は奪われてしまう。内心舌打ちしたい気分になりながらも自然現象に当たった所で寒さは凌げないと重々承知している。

だからこそ私の苛立ちは最高潮に達しているわけなのだが。

「ああもう、もっと着込んでおけば良かった」

波立つ感情のままに頭を掻き毟れば雪が染み込んだ髪はひんやりと湿っていて、それがさらに苛立ちに拍車をかけた。

「とりあえず今夜は何処か――…?」

ひゅっ、と風の鳴く声に混じって聞こえた雑音に耳を傾けると何処からか静寂を破る物騒な音が聞こえる。

「(…血の匂い)」

鼻を掠めた匂いに気付くと同時に音を頼りに走り出せば、それは直ぐに見えてきた。浪人風情の男達が抜刀して何かと対峙している。然程珍しい光景ではないのだが問題はその対象だ。

「なに、あれ」

京の都が物騒だというのは周知の事実だが、誰が本物の化け物に出くわすと予想するだろうか?涎を垂らし怪しく光る赤目をかっ開く白髪のそれは、人間という理性ある生物には程遠いように感じる。

『た、助けッ、うぎゃあああァァァァ!』

地に這い蹲る背中目掛けて何度も何度も刀で突き刺すのとは別に、もう一体の化け物が他の獲物を見つけたのか物陰を見て顔を歪ませた。瞬時の判断で刀を振りかぶる白髪の元へ駆ければぎょろりと動いた赤い目が此方を見据える。

咄嗟に鯉口を切り頭上から振り落とされる刀身を防ぐと、ギリギリと嫌な音を立てて目の前に銀が迫ってきた。

「っ!?」

文字通り、人間離れした彼らは力も速さも遥かに人間のそれを凌駕しているようだ。さらに付け加えるならば、二体の化け物が白髪を振り乱しながら迫ってくる図はこの上なく不気味だ。こんなのが夢に出たら溜まったもんじゃない。

「(…さて、どうするか)」

チラリと後ろに目をやると硬直して動けなくなった少年が目を見開いて腰を抜かしている。無理もない。少なからず私だって動揺しているのだ。まあ、それが形となって外面に現れているのかどうかは別として。短時間で覚悟を決めた私は悴む手に息を吐きしっかりと刀を握り直した

「そこで震えてる君、ちょっと目ぇ瞑ってて」

ついでに耳も塞いでた方がいいかも。

そう告げられた少年は一瞬不安そうな表情を浮かべるも、そうする他ないと判断したのか言われた通り固く目を瞑り耳を塞いだ。

『ひひ…ははははははは!!』

少年から視線を逸らしたと同時にバネのような身体で勢いよく正面から向かってきた一体の左胸を深く抉る。決して心地良いとは言えない感触に顔を歪めながら刀身を引き抜けば、顔に生温い液体が飛び散った。

「まずは一匹、」
『が、あァ…ッ!!』

足元から崩れ落ちる化け物を見届ける暇も無く、こちらの様子を窺っていた別の一体が隙を狙って突きを入れてきた。

『ひゃはははははははは!!』

身体を正面に向け重心を定めると、一瞬の内に頬の横を通り過ぎる真剣が視界の端に映る。見事避ける事に成功した刀身を、持ち直させる暇も与えず一思いに心臓を貫いた。迷えば此方が殺される。そんなのは御免だ。

「二体目完了っと」

言いながら引き抜いた刀身を一振りし、付着した血液を振り落とした。輝きを戻した相棒を鞘に戻すと同時に、顔についた鮮血を袖で拭えば赤黒く染まっていくそれ。眉を寄せながら足元に視線をやると、白髪の化け物達は苦しみに喘ぎ、震える手を此方に伸ばしながら息絶えていった。

「これは一体、」

しゃがみ込んだ次の瞬間、事切れた彼らの身体がぼろぼろと零れ落ち、静寂を吹き抜ける風に灰となった身体が攫われていった。よほど私は疲れているのだろうか、と思う程現実離れした話に暫く立ち尽くしていたが、背後で身じろぐ音が聞こえ慌てて我に返った。

「もう大丈夫だよ」

後ろに振り向き未だに固く目を瞑る少年に声を掛ければ、恐る恐る目を開いた彼は吃驚したように顔を上げた。

『あ…』

小太刀を胸に抱える幼い顔立ちの少年は暫くの間、何かに魅入られるように此方を見上げていたがもう一度声を掛けると慌てて頭を下げる。

『っ!?』

その際視界に映ったのか私の足元に転がる生命活動を停止した男を見て顔面蒼白になってしまった。口元を塞ぐ手を見れば寒さ以上の恐怖で震えていて、斬り合いを目の前で目撃したのは初めてなのだろうと安易に推測できる。ころころと変わる表情に彼が如何に純粋か思い知らされる。私とは随分対極に居る子らしい。

「君に危害を加えるつもりはないから安心して」

安心させるように努めて優しく声を掛ければ、彼は再び呆気に取られた様子で此方を見つめてきた。怖がらせるつもりはなかったのだが状況が状況だ、遅れは致命的な傷を負う事になるとは身を持って経験している。

とりあえず此処にいてはまた面倒事に巻き込まれると少年に手を伸ばすと、背後で砂を踏む音が聞こえた。


『――…こいつらをやったのはあんたか』

視界の端に映る眩い光にスッと目を細め柄に手を掛ける

「…だったら?」

背後の殺気が一層濃くなったと同時に鯉口を切れば、鈍い音を立てて刀身同士がぶつかった。強く柄を握り弾き返せばまさか押し負けるとは思っていなかったのか男は少々驚いたように一歩後退する。が、直ぐに体勢を立て直し探るような視線を向けてきた。

その一瞬、涼しげな蒼と視線が交わる。

「もし俺を殺すつもりなら容赦しない」

私だって生身の人間――果たしてあの者達を人間と呼んで良いのか定かではないが――を一夜で二回も手に掛けるのは御免だ。出来ればもう刀さえも抜きたくない。加えて後ろで腰を抜かし震えている少年に命を奪う現場を見て欲しくない、というのもあるわけで。

しかし私の意図を全く理解していないらしいこの男は尚も刀を交える気満々だ。

「ったく、これ以上の面倒事はもううんざりだって、ッ!」

横からの殺気に気付き後方に飛び退くと、元居た場所には深く刀身が埋め込まれていた。

『あーあ、残念。もう少しで殺せるところだったのに』
「…残念って言う割には随分楽しそうだな」
『――てめえら、そこまでにしておけ』

ケラケラと笑うもう一人の男が刀を地面から引き抜く一連の行動に眉を寄せた瞬間、場を鎮めるような威厳ある声が、緊張に包まれた闇の中に響いた。
反応した二人の内一人は渋々と、もう一人は従順に刀を下ろし距離を置く。

『いいか、動くなよ…それ以上動けば斬る』

二人の剣客の代わりに喉元に突き出された鋭い銀。どうやら一歩でも動けば喉が引き裂かれるらしい。

「(…こりゃまた物騒なこった)」

ピタリと正確に喉仏に当てられた刀からひんやりとした冷気が漂い全身が粟立った。それが恐怖心から来るものではないと言い切れるが、果たして彼の目にはどう映っていたのだろうか。沈黙が続く中、淡い光によって除々に露になる三人の男。
漸く顔を表した月に照らされた浅葱色の羽織を視界に入れると無意識の内にため息が漏れていた。

「(―――新選組)」

これはまた随分と厄介な面倒事を巻き起こしてしまったようだ。

本物の化け物に遭遇した時から薄々感じてはいたが、今夜は厄日決定だ。それも人生でまたと無い程の面倒事を巻き起こしたらしい。
これ以上の厄介事が増えるのも面倒なのでとりあえず刀を鞘へ納めると張り詰めていた空気が僅かだが緩むのがわかった。

「これでいいですか?」
『…少しでも抵抗する素振りを見せれば即刻斬り捨てる』

ああ物騒だ、とわざとらしく肩を竦めた瞬間忘れかけていた存在を思い出し振り向いた。

「君、大丈夫?立てる?」

にこにこと笑って手を差し伸ばせば腰を抜かしていた彼は再び不安そうに此方を見上げてきた。力無く頷いて手を重ねるとその小さな手は相変わらず震えていて立つ事すらままならない様子だった。

『チッ、もう一人いやがったのか』

面倒臭そうに呟いた男が手を額に当てた。

『土方さん、始末しなくていいんですか?』
『処遇は帰ってから決める』

何故か楽しそうに問うた男に"土方"と呼ばれた彼はバサリと羽織を翻した。

「俺はまだ死にませんけどね」

瞬間、射殺さんばかりの視線を向けられ降参だとでも言うように手を上げれば先程の横結びの彼に素早く縄を掛けられた。再び澄んだ蒼と目が合うが彼は何事も無かったかのように目を逸らす。

『運の無い奴らだ』

紫紺を細め小さく呟くが明らかにそれは私の台詞だ、と再びため息が漏れた。ため息をつくと幸せが逃げる、と言ったのは誰であったのか。迷信も此処まで来れば現実味を帯びてくる。
隣で青ざめている少年には悪いが、こうなってしまった以上事が良いように転ばないのは目に見えている。その処分が軽いか重いかの違いだが私は確実に後者だ。
見てしまった"この子"と殺してしまった"私"
どちらの罪が重いかなんて一目瞭然なのだ。
まあもっとも、命を絶てと言われたら抵抗するまでだが。

「化け物退治の後は決まって富と名誉が手に入るはずなのになー」

どうもこの世界ではそう上手くはいかないみたいですね。
笑いながらそう零すと漆黒の纏めた髪が振り返り鋭い眼光で睨みつけてきた。

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