文久三年師走



『昨晩、何故お前はあの場にいた』

殺気の篭った視線を一身に浴びながら中心に腰を降ろすと、上座に座った昨夜の男が早速口を開いた。

「一般市民が危険に晒されているのを黙って見過ごせと?」

そんなの男の風上にも置けませんよね。
笑って首を傾げれば癇に障ったのか彼はさらに皺を深く刻む。

『念の為もう一度確認しておくが――"奴ら"はお前が殺したのか』

張り詰めていた空気に殺気が混じったそれがピリピリと頬を掠めた。成る程、此処でもあの化け物じみたものの存在は禁句だと言うわけだ。

「あくまでも正当防衛だと主張します。むやみやたらと人の命を奪う事はしない主義なので」

言い切れば彼の隣に座る近藤と名乗った男が低く唸った。

『困ったな…どうするんだ、トシ』
『どうするもこうするも、こいつが見ちまった事に変わりねえ』

斬ろうがそうじゃなかろうが、結局のところ目撃されたこと自体が不味いらしい。
ならば昨晩の少年もただでは済まなかったのか、と何故か彼の行く末を案じている自分に苦笑が漏れた。

『おいてめえ、何が可笑しい』

ジロリとこっちを睨みつける紫紺に気付き姿勢を正すと、一度謝罪を入れてから口を開いた。

「俺の言い分は一つです。そちらがもし昨晩の件を忘れろと仰るのであれば即座に記憶から抹消します。俺も二度と姿を現す事は無いと約束致しましょう。ですが…あくまで殺す、と言うのであれば俺は抵抗します」

ニヤリと笑った私の耳に、刀が鞘とぶつかる音が聞こえてきた。
上座から視線を外してちらりと見やればどうやら昨晩と同じ男らしい。短気も程々にしないと命取りになる、と彼が学ぶのは何時になるだろうか。いや、もしかしたら気付かない内に一生を終える可能性だってある。十人十色といえど生きていく上で弁えなければならない礼儀だってある。そう考えると彼は随分と幼い。完全な甘えが見え隠れしている。考えを巡らせていた私は耳に聞こえた咳払いで再び上座に意識を戻した。

『お前も、そうまでして生き延びたい理由でもあるのか?』

お前"も"という事は昨晩の少年はこの場で必死に抵抗を試みたという事なのか。
何か目的があって生きている人間はそれだけで私には手の届かない眩しい存在だ。
例えそれが敵討ちや己の欲望等負の感情に捕らわれたものであったとしても、毎日流されるままに生きている私には立派な志だと思えてしまう。
だが、と伏せていた視線を真っ直ぐ持ち上げた。

「生き延びたい理由、と仰いましたが…その質問には少々異議を唱えます」
『何?』

怪訝そうに尋ねてくる紫紺に目を細める。

「正確には"死にたくない理由"でしょう?簡単な事ですよ。殺すと言われたら抵抗する、あくまで人間の本能に従った結果です。俺だって人並みに恐怖心は持ち合わせておりますし、絶対にこの件は口外しないとお約束致しますが」

私の言葉に呆気に取られたように目を瞬かせていた彼は、我に返ると再び濃く眉間に皺を刻んだ。

この反応はまあ、当然だろう。

それより私は上座の左端に腰掛ける眼鏡の殿方が気になって仕方ない。先程から雰囲気は穏やかだが眼鏡の奥は笑っていない。影の支配者とはまさに彼のような人間を指す言葉なのだろうとさえ思う。すると私の失礼な意図が伝わったのか、眼鏡の彼は穏やかな外見通り静かに口を開いた。

『ですが、貴方が口外しないという保障はどこにもありません。間者だという可能性も捨てきれない』

穏やかな、それでいて何かを探るような鋭い視線に仕方ないと息を吐く。

「そこまで仰るのなら、暫く此方に身を置かせて頂けないでしょうか」

私の発言が予想外であったのか、狭い部屋の中にざわめきが広がる。

「数年前、家族を失った俺は行く当ても無く全国を放浪して参りました。辿り着いた京の勝手がわからず途方に暮れていたところ、昨晩の現場に居合わせる結果となってしまったのです。もしそちらの許可が得られるようでしたら、監視体制に置いて頂き間者ではないという事を証明して見せましょう。お互い、利害の一致と言う点では納得できると思いますが」

どうでしょう、と目を細めれば今度は明らかに不機嫌そうな紫紺の瞳が此方を見つめていた。
主導権を引き受けたつもりはないがどうしてもこんな性格故か剥奪するような口調になってしまう。こちらにその気は毛頭ないのだが、案外そんな役職も向いているかもしれないと考えては打ち消してきた。いざとなった時に対処できる確かな知と、実際に役立つ能力を並行して持ち合わせているとは思えなかったからだ。
長い沈黙が続く中、最初にそれを破ったのは現在この組織内全ての権限を握る男だった。

『うむ、俺は賛成だ。罪無き民を殺すとあってはお上に面目が立たん』

局長こと近藤さんは人の良さそうな笑みを浮かべて大きく頷いた。

『ちょ、いいのかよ近藤さん!こんな奴信じても!』
「怪しいと思えば、その時は遠慮せずに斬ってください」

私の発言にますます意味がわからない、と彼はまさに鬼のような目つきで睨んできた。
流石巷で鬼と呼ばれているだけある。鋭い眼光だが、存外私はこんな目が嫌いではなかった。

『抵抗するとか斬っていいとか…君、一体何が言いたいの?』

黙っていた幹部の中の一人が私達のやり取りに痺れを切らしたのか質問をぶつけてきた。私の中で早々に短気な男、と認識された沖田さんは探るような視線を投げてくる。

「俺は一度間者ではないと断定しました。その言葉の真意を違えるつもりは毛頭ございません」

これだけは嘘じゃないと真っ直ぐ彼の目を見れば、少し驚いたような翡翠色が見つめ返してくる。

『その言葉、信じていいのかな』
「どう受け取って頂こうと構いません。ですが、俺は嘘をつく事が嫌いです」
『…ふうん』

面白くなさそうに目を逸らした彼は直属の上司に"斬っちゃいましょうよ"とでも言いたげな視線を送る。痺れ始めた足の感覚に頬を引き攣らせそうになりながらにこりと笑って毒を吐いた。

「組長という点では非情に優秀なようですが――…短気な性分は、時に自分の首を絞める事になりますよ」

すると案の定不愉快そうに歪む端整な顔。人を苛める趣味はないが弄る程度には興味があるらしい。何より、年長者の言う事は聞いておいた方が良い。何時の時代でも先人の教えは尊ぶべきである。経験者は語る、だ。
話が逸れましたが、と断りを入れてから真っ直ぐに三人を見つめた。

「俺の身分を証明できるものは生憎此処にはございません」

当然無いものはどうすることもできない。こんな時に弁が立つ人間は羨ましいと思うがやはり私の性分ではないとも思う。彼らは言い逃れて事を収めるのは得手だがいざ実戦となると使えない者も多いのだ。

「信じられるのは俺の言葉と己自身の判断のみ――…どうします?」

腹立たしい奴を演じて三日月を描けば、私を囲むように座っている幹部連中も眉を顰めた。しかし此処で折れれば負けは確定してしまう。あくまで私は化け物を斬った不審な男、を貫き通さねばならない。流浪人に馴れ合いは不要だ。
じっと視線を向けていれば苦虫を噛み潰したような表情で土方さんが重々しく口を開いた。

『その言葉に嘘はないと誓えるか』
「勿論です。男に二言はありません。何なら血判でもしましょうか?」

あの疼くような痛みは嫌いだが、指先の些細な傷で命が救われるなら実行するに越したことはないと思う。
何の雑音も無い空間の中、何処からか生唾を飲む音が聞こえた。柄にも無く緊張というものをしているのはどうやら私も例外ではないらしい。
膝の上に置いた手に力を込めれば、張り詰めていた空気を破るように目の前の彼が息を吐いた。

『厳重な監視体制が大前提だ。少しでも怪しいと思えば容赦なく斬り捨てる…が、それでも構わねぇってんならお前の提案を呑んでやる』
「異論はございません。どうぞ、宜しくお願い致します」
『よし、決まりだな!』

安心したように微笑んだ近藤さんに深々と頭を下げれば肩に乗っていた何かが降りたような気がしてほっと息をついた。やはり私に堅苦しい取り引きは向いていないらしい。我ながらよくやったと自画自賛したい気持ちだ。

『何だ、処分しろって言われたら僕が斬ってあげるつもりだったのに』

再び介入して物騒な言葉を吐く彼に、にやりと笑う。

「そう簡単にやられませんよ俺は。少なくとも貴方程度の人には、ね」

その言葉に和んでいた空気が一瞬凍る。実力を知っているわけではないが、昨晩の記憶が確かならば相当の腕前なのは確かだ。

『君って人を怒らせる天才ってよく言われない?』
「それは褒め言葉として受け取っておきますね」

すると突然何かが勢いよく背中にぶつかって来た。思わぬ出来事に身構えていなかった私は畳に手をついてしまう。

『総司相手によく言うなぁ、お前!』

背中を叩いてきた人物は何故か楽しそうに肩を揺らし、その振動によって高く結われた髪が揺れていた。

『ま、実際の腕前を見たらビビって声も出ねえと思うけどな!』

続いて首元に随分と逞しい腕が回ってきた。本人は気付いていない様子だがかなり苦しい。そして出来ればその大音量で喋らないで欲しい。

『あ、俺は八番組組長の藤堂平助!平助って呼んでくれよな!』

犬の尻尾のように長い髪を揺らす彼は笑顔で自分を指差した。こちらこそ、と口を開こうとすれば途端に首元にある腕の力が強まる。

『俺は二番組組長の永倉新八だ。よろしくな、新入り!』
「新入り…」

既に彼の中で私は"新入り隊士"という位置に定められたようだ。

「(ここは、喜んだほうがいいのか?)」

だが私が無い知恵を振り絞って出した結果がこれだと言うのなら相当な成果だった。予想の遥か上をいったと胸を張って言えるだろう。

『…てめえら、そいつを離せ。俺はまだ仲間だと認めたわけじゃねぇぞ』

すると突然地を這うような低音が鼓膜を震わせ、騒いでいた両隣の幹部が直ぐに大人しく引き下がった。どうやらこの組織で副長というのは多大な権力をお持ちらしい。確かにこの場に来た時から感じてはいたが、まさに鶴の一声だ。

『おい、てめえの名は』

幾らか緩んだ空気の中で、再び彼に向き合い真っ直ぐに視線を上げた。

「申し遅れました。名字名前と申します。どうぞお好きにお呼び下さい」

憎まれ役とはいえ、好感度は必要だ。

『で、土方さん。こいつの処遇はどうすんだ?』

筋肉質、もとい永倉さんが何故かニヤニヤと笑いながら土方さんに視線を送る。他の幹部も何処か期待したような目で彼を見つめていた。が、期待の眼差しを一身に浴びる彼は面倒臭そうに頭を掻き毟ると、ぶっきらぼうに吐き棄てた。

『言っとくが俺は二人もお守り出来る程暇じゃねえからな』

だよなぁ、と肩を落した永倉さんは指折りで何かの候補と思しきものを挙げ始める。

『土方さんと近藤さん、山南さんが駄目となると残るは幹部か。今この場に居るのは俺、平助、左之、総司、斎藤…』

頭を悩ませ始めた幹部一同を見つめていると、突然沖田さんが何かを思いついたように手を打った。心なしかその顔には随分と楽しそうな笑みが浮かんでいる。

『ま、ここは土方さんに次いで忙しい人がいいんじゃない?この子、腕に自信があるみたいだし多少は助力になると思うけど』

そう言ってしまえば自然に視線の先は全員一致したようで。

『頼めるか、斎藤』
『承知しました』

土方さんの声に頷いた寡黙な彼と一瞬目を合わせ頭を下げた。

「宜しくお願いします、斎藤さん」
『ああ』

流れるままに人生を決めた私の言動が吉と出るのか、凶と出るのか。
どちらの結果が出るにせよ、今はまだその結末を知る者は誰一人としていないのだけれど。

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