元治元年睦月



『はあー…』

窓から顔を覗かせ悩ましげにため息を零す少女に、少なからず私は同情していた。

時は文久四年へと流れ、年越しも元旦もこの狭い部屋で済ませた彼女が精神的に参ってしまうのは当然と言えば当然だった。しっかりと言いつけを守り一度も反抗しない従順な千鶴ちゃんはれっきとした"女の子"なのだから。

「(…ん?)」

今更だけど少女と男(仮)が一緒の部屋ってどうなんだこれ。ああ、監視対象は纏めた方が何かと都合がいいとかいうアレか。でもこの子の場合監視と言うか保護目的だった気がするけど…まあいいか、私だって千鶴ちゃんと一緒にいられるのは嬉しいのだから。

『はあ…』

再び重く息を吐いた彼女に今度こそ苦笑が漏れた。

「千鶴ちゃん、今日だけでもう十回目だよ」

えっ、と目を見開く可愛い千鶴ちゃんににこりと笑う。

「ため息。幸せ逃げちゃうよ?」
『で、でも!私達、このままずっと幽閉されたままだったらどうしましょう?もしかしたら一生外に出られないなんて事も…!』

いよいよ現実味を帯び始めた話に頭を抱える彼女の頭を撫でその場に腰を降ろす。

『それは君の心掛け次第なんじゃないかな』

突然外から聞こえた声に千鶴ちゃんは驚いたように飛び上がった。

『ど、どうして沖田さんが!?』
『あれ?この時刻は僕が君達の監視役なんだけどな』

窓の下で腰掛ける彼は彼女の言葉ににーっこりと笑った。監視は私達がこの場に来たときから怠らず続けられているが、どうやら彼女を見る限りでは気付いていなかったらしい。もっとも、気配を消して障子の外にいるのだから普通の女の子が気付かないのも無理はないが。

『もしかして今までの会話も全部…?』
『ん?』

彼女の不安は満面の笑みでこちらを見上げた沖田さんによって肯定された。羞恥心に頬を赤く染める千鶴ちゃんは慌てて隣で胡坐をかく私に視線を向ける。

『名前さんも気付いて…?』
「あ、言った方が良かった?」

おどけたように笑うと彼女はさらに真っ赤な顔で頬を膨らませた。

『勿論です!私だけ恥ずかしいじゃないですか…っ』

ごめんね、と頭を優しく撫でれば彼女は困ったように目線を逸らして頷いた。

『千鶴ちゃんは相当不安みたいだけど、君は暢気なもんだね』

言いながら立ち上がった沖田さんは千鶴ちゃんの可愛さに破顔する私を見下げた。

「男が喚いたってどうにかなる状況じゃないでしょう。それに、千鶴ちゃんが一緒ですから」

彼女を引き寄せれば思ったとおり真っ赤な顔で固まってしまう。締りの無い顔をしていると廊下に立っていたもう一人が痺れを切らしたのか声を掛けてきた。

『総司、無駄話はそれくらいにしておけ』
『斎藤さんも聞いてたんですかっ!?』

窓から身を乗り出して存在を確認した彼女は困ったように目を泳がせる。

『今のは聞かれて困るような内容でもないだろう』
『そうですけど…』

やはり羞恥心が残っているのか千鶴ちゃんは赤い顔のまま頷いた。可哀想な事をしたとは思うが今の私の楽しみと言えば彼女を弄る事くらいしかないのだから仕方ない。その度にちゃんと心の中で断りを入れているから大目に見て欲しいところだ。

『飯の時刻なんだけど』

ひょいっと窓から顔を覗かせた高結びの彼に、彼女は"藤堂さん"と声を掛けた。

『俺には仕事がある。先に食べてていい』

お膳を手にしたままそう促す斎藤さんを見れば目が合ったのでにこりと微笑んだ。すると即座に逸らされた。解せぬ。

『片時も目を離すなって土方さんの命令だからね』

やれやれと面倒臭そうに眉を下げる沖田さんの言葉に子犬な彼が一つの提案をした。

『だったらこいつらもオレらと一緒に食わせればいいんじゃねえの?土方さんと山南さんは大坂に出張中なんだし』

成る程、鬼の副長が不在の今なら何をしても多少の事は大目に見てもらえる、ってことか。

行動を起こすなら今しかないが、それはそれで後々面倒臭い事になる。やはり今はまだ大人しくしているのが得策だ。と、既に年が変わってから何回思ったことだろうか。いい加減こっちだって気が滅入る。無性に今"俺はいつ釈放して貰えるんですか"と叫びだしたい気分だ。

『ほら君も行くよ』
「…どうしても?」
『うん、どうしても』
「…」

どうやら彼らは千鶴ちゃんと私が広間で食事を共にする事を許可したらしい。信頼できそうな人達とは言え千鶴ちゃんをあの中に野放しにはできない。

「(仕方ない、か)」





『お、やっと来たか』
『おめぇら遅ぇんだよ!この俺の腹の高鳴り、どうしてくれるんだ!』
「すいませんね永倉さん。俺らのせいで」

つかつかと広間に入ると一際目を惹く筋肉質な男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

『って、何でそいつが居るんだ?』
「やっぱり、駄目ですよね?」

胸の中で密かに彼の肯定を望む。

『いいじゃねえか、飯はみんなで食った方が美味いに決まってるしな』

ある意味裏切りとも言える原田さんの一言で永倉さんは少し思案した後、それもそうだなと納得した。いや納得するなよ。

『はいよ』
『ありがとうございます、藤堂さん』

律儀に礼を述べる千鶴ちゃんに子犬な彼は居心地の悪そうな表情を浮かべて頬を掻いた。

『あー、その「藤堂さん」ってやめない?みんな「平助」って呼ぶし。俺も「千鶴」って呼ぶからさ』

突然の事に驚く千鶴ちゃんだったが暫く逡巡した後おずおずと口を開いた。

『えっと…じゃあ、平助君で』
『そそ、それでいいよ。んじゃ千鶴、今日から改めてよろしくな!』

久しぶりに見る千鶴ちゃんの嬉しそうな笑顔につられて頬が緩ませる。

『よし!んじゃあ飯食うか!』

平助が言いながら腰掛けたと同時、隣から凄まじい勢いで彼の目前にある膳に何かが突き立てられた。…と、いうよりは奪取というそれに近い行動で、絶望的な表情を浮かべる平助と対照的に白い歯を見せて笑う永倉さんに思わずため息が漏れた。

『へへっ、いただきっ!もたもたしてるからだぞ〜平助』
『俺のおかず…!っ、やったな新八っつあん!』

激しい攻防戦が繰り広げられる中、千鶴ちゃんは原田さんと何やら楽しそうに話していた。周りから優しく接してもらえるというのは女の子の特権だろう。彼女は世の"少女"という存在を具現化したような子だから尚更だ。

「…」
『…』

そして何故か私の横にはこちらをじーっと見つめている沖田さんがいる。

「生憎俺は男色の趣味は持ち合わせていませんが」
『何を勘違いしてるか知らないけど僕もないから』

じゃあ一体何の用だと味噌汁に口をつけながら密かに心の中で呟く。新選組側としても必要以上の馴れ合いは望んでいないはずなのに、何故だろうか。

『ねえ君さ、本当に男の子?』
「ごほっ!げほっ、こほっ…男に、決まってんでしょうが…ごほっ、」

余りにも突飛な発言のお陰で味噌汁が気管支に入ってしまった。まさか見破られたなんてこと…と眉を顰めると性格の悪いこの男は満面の笑みで言うのだった。

『前の仕返し』

以前短気だと言った事を相当深く根に持っていたのだろう。なんて面倒臭い男なんだと再度ため息が漏れた。

「本当、性格悪『っしゃ、隙ありっ!!』

突如感じた殺気に振り返ると爛々とした顔で膳を見つめる平助が視界に入った。ふっと笑いながら箸を構えて振り返ると同時、的確に彼の手元を狙う。少し力を入れて横へ動かせば予想以上の飛距離を見せる。

『な…っ!?』

音を立てて床に突き刺さる箸を目の当たりにした本人はぱくぱくと金魚のように口を開閉した。

「食事と言えども戦の場。で、どのおかずが欲しいんだ?平助」

にーっこりと笑って喉に箸を向ければ顔を真っ青にした彼は素直に謝った。

『――ちょっといいかい?』

微妙な空気が流れたところで障子が開き、普段温和な彼からは想像もつかないほど暗い表情をした井上さんが顔を覗かせた。只事ではなさそうな雰囲気に隊士達の顔も強張る。

『大坂にいる土方さんから知らせが届いたんだが、山南さんが隊務中に深手を負ったらしい』
『!』

千鶴ちゃんを除く全員が様々な反応を見せると彼は視線を落として小さく呟いた。

『詳しくは判らないが、斬られたのは左腕とのことだ。命に別状はないらしい』
『良かった…』
『良くねえよ』

ほっと息を漏らす千鶴ちゃんを遮るように平助が口を挟んだ。

「刀は片腕で容易に扱えるものじゃない。最悪の場合、彼はもう二度と…」
『あ…』

自らの発言の失態に気付いたのか千鶴ちゃんは慌てて口を閉ざした。井上さんが障子を閉めると隣に座る沖田さんが肩を竦める。

『山南さんには「薬」でもなんでも使ってもらうしかないですね』
『おいおい、幹部が「新撰組」入りしてどうすんだよ』
『え?どういう意味ですか?』
『ああそれは「しんせんぐみ」の「せん」の字を手偏にした『平助!』
「!」

平助が吹っ飛ばされるのと私が千鶴ちゃんを引き寄せるのはほぼ同時だった。強く抱き寄せれば驚いたようにこちらを見上げる瞳と目が合うが何も言わずに目を逸らす。

『やりすぎだぞ左之!』
『――って、』

殴られた頬を押さえながら平助が起き上がるのを不安そうに見守る千鶴ちゃんを解放すれば永倉さんが立ち上がった。

『千鶴ちゃんよぉ、今のが聞かせられるぎりぎりのところだ』
『でも、』
『「新撰組」っていうのは、可哀想な子たちのことだよ』
『…え?』

渋る千鶴ちゃんに一言告げた沖田さんは目を伏せて立ち上がった。

『忘れろ。深く踏み込めばお前の生き死ににも関わりかねん』
『っ…』

斎藤さんの言葉は、重く千鶴ちゃんに圧し掛かった。
私達の立場は、あの夜から何も変わってはいない。それを気付いていなかったわけではないだろうが、改めて思い知らされた千鶴ちゃんは唇を噛んで俯く。辛いかもしれないが、これが現実なのだ。

「…雲行きが怪しくなってきたな」

墨を垂らした様な雲が一面を覆っていた。

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