塩味
08
「「あ」」
それは青々と快晴が広がる空の下で起きた出来事だった。ランニングコースとしても名高い箱根学園周辺の道を走っていた時。軽々と私を追い抜かしていくロードバイクに乗っていた男が何を思ったか、振り返った。目が合った。
その男は自分の彼氏の後輩だった。
「名前さんってランニングでよくここ走るんですか?」
「たまにね」
自転車から降りて隅に寄りしゃがみ込んだ。私のそばで休憩し始めたのだ。マイペースな子だなと改めて思う。青い髪が微風に揺れている。
「名前さんも乗ったらいいのに、自転車」
髪色よりも少し濃い青の瞳が私を見つめた。この自転車でどこから走り始めたのだろう。うっすらと汗をかいていた。言い放った口は水分補給のため塞がれている。
「そしたらもっと、尽八くんを知れるのかな…」
肩まで伸びた髪を触る。思い浮かべるのは尽八くんが出場していたレース。観客席を区切るあの柵の向こうの彼は自分とは違う次元の人間のように思えて寂しくなると同時に命を燃やし走る彼の姿に釘付けになる。
「やっぱ東堂さんなんですね」
「うん。尽八くん以上に、多分私の方が好きなんだよね、彼のこと」
本人に言っちゃダメだよ、と念を押しておく。はぁいと間延びした声が返ってきた。本当なのか若干心配になりつつも、それは心の内に収めておく。
「名前さんって結構ドライな人だと思ってました」
「表面上で判断しちゃダメだよ。尽八くんをよろしくね、真波くん」
ふわふわとした髪を撫でてみる。柔らかくて尽八くんのサラサラとした髪とは違う触感だった。
嗚呼、空が青い。
私が立ち上がると真波くんも立ち上がった。どうやら練習中に自分で勝手に道を変更してここまで来たようだった。思ったよりも自由でそれでも先輩にお咎めを受けてないところをみると彼のやり方を肯定しているのだろうと察した。
「じゃあね、名前さん。またおしゃべりしようね」
「うん、いつでも話しかけて」
すぐに彼の背中は小さくなっていく。その背中を見つめ、自分の黒い感情を揉み消そうと必死だった。
本当は彼らが羨ましい。
自転車で共に走る同志でしか分からない事。それはもちろん仕方がないのかもしれないが、私はそれが酷く羨ましくて残酷に思えた。
そんな事、絶対に誰にも言わないけど。
その背中が見えなくなったところで、私は彼と反対の道を下っていった。
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