偉大なる航路(グランドライン)の後半の海にて。新世界では、たくさんの財宝や変わったもの、時代に忘れ去られた過去の遺物が数多く眠っている。
その中で、世界中で囁かれるある噂があった。
はるか昔、この大地に天竜人が降臨するよりも昔に突如として凍りつき、今であってもただの一人も侵入も許されていない氷に閉ざされた未開の幻想郷、レアルステア。
しかし、レアルステアに足を踏み入れる者はいた。海賊も、世界政府からの調査隊も、冒険家も。しかしそれではなぜ「未開の地」であるのか。というのもその幻想郷を訪れた者は、軒並みレアルステアという都に取り憑かれ要領を得ない発言をすることが多く、まるで月に狂わされたように廃人と化してしまう。戻ってきた者の証言など、聞くに耐えないものばかりなのだそうだ。
しかし、その地を踏み締めた誰もが口を揃えて叫ぶ、氷の幻想郷の財宝については、確かに実態を持って世界各地に広がっていた。
ガラスのように透明で、人一人いない寂しい氷結の都の中央に、永久凍土の、決して人を傷つけることはない氷でできた透明な棺が鎮座している。
その中に、目眩く御伽噺の古めかしく清廉なお姫様のように、懇々と眠り続ける真珠があるという。
その宝の名前は、「アステル」
***
『四皇』赤髪のシャンクスという男にとって、その地に降り立ったのは予定にないことであった。
氷の幻想郷、レアルステア。新世界で最も謎に包まれた閉ざされた未開の地であり、自由と富と名声を手に入れたい航海者であれば決して足を踏み入れてはならぬと囁かれる魔性の都。降り立ったが最後取りつかれたように白痴になってしまうとまで言われる永久凍土の亡国に、シャンクス率いる赤髪海賊団は上陸していた。
本来であれば、航海の邪魔になると忌諱したどり着くはずがなかった土地である。しかし、度重なる嵐により、まるで導かれるようにこの土地に引き寄せられてしまったのだ。
「すげえ・・・・・・」
「これ、全部氷なのか?宝石みたいじゃねぇか」
上陸し、ざわつくクルーたち。しかし、その感想も無理はなかった。たくさんの旅路により土地を見てきたシャンクスたちであるが、思わず息を吐いてしまうほどにレアルステアは美しい都だったのだ。
一面の銀世界。透明な細工で出来た豪奢な建物。今現在どこにもないだろう幾何学の計算を感じさせるそれらは、どう言葉にすればいいのかわからない。それらが全て、宝石のように凍っている。人ひとり見当たらない白い都は、これ以上ないほど美しい。けれどどこか冷たく、完璧であるからこその物寂しさがつきまとう。美しく物寂しい、この世のものではないと錯覚してしまう幻想郷。なるほど、そう言いたくなる気持ちもわかる。
周りを物珍しそうに見渡すクルーたちに、副船長であるベックマンが声をかけている。それを笑みをたたえて見つめているシャンクスは、ふと何かの音を耳にした気がして目線の方向を変えた。何か、これ以上ないほど美しい囀りにも似た音が、したような気がする。気のせいかと意識を逸らしたものの、寒々しい風に乗ってまた煌びやかで叙情的な音が耳に届いて、今度こそシャンクスは振り向いた。
その先には、凍りつき、神の信仰も届かなくなったであろう教会が、まるで手招きでもするかのようにそこにいた。
この時何故だか、シャンクスは足をすすめていた。
止める声があったのもわかっていた。わかってはいたが、進まずにはいられなかった。
何かが、呼んでいる。
そんな、気がしたのだ。
***
教会の中は、凍りついた冷気と、放置されていたとは思えないほどの新鮮な空気が漂っていた。煌びやかで豪華絢爛、ステンドグラスだったのだろう凍りついた窓からは虹色の光が差し込む。肌を刺すような氷の圧を感じながら、シャンクスは透明なそこをなんの躊躇いもなく迷わずに歩いていく。何故だかはわからないが、この道が正しいような気がした。
足をすすめるたびに、どんどんどんどん音が近くなってくる。曇りのない硝子細工でできたカナリアにも似た、しかしこちらを絡めとる海の魔物セイレーンのやうな魔力のある音だった。いや、もしかしたら声なのかも知れない。
この先にあるのがなんであろうと、シャンクスは構わなかった。まああり得るとしたら「アステル」という名前の真珠であろうが、それを守る怪物でもいるのかも知れないな、と。海賊らしくそれを奪っていくのも悪くはない。そういう少し物騒なことをつらつら頭に並べながら、彼は自分の体の十倍は大きい扉にたどり着く。白く、どこかロココな雰囲気のするそれは、思ったよりも軽く開いた。
その先にあったものに、シャンクスは一瞬、呼吸を忘れた。
扉を開けた先にあったのは、ぽつんと置き去りにされた永久凍土の棺。冷気の漂っているのに明るいその中で、「それ」は懇々と眠りについていた。真珠などではない。実態の醜いセイレーンでも、気持ちの悪い化け物でもなかった。
「それ」は、人の形をしていた。
光をまぶしたように艶やかな、深海の深淵を紡いだような黒髪が絹糸のように棺の中に広がっている。切れ上がった眦は薄青い瞼によって閉ざされていた。ぬけるように白い肌は清廉で、甘やかで、微睡むようなまろやかさがあった。淡い彫りの深さときめ細やかな繊細さの宿る透き通るような面に通った鼻筋、花弁を噛み締めたような赤い唇。世界各国から集めた人の美しい部分だけを人の形にしたようなオリエンタルの究極を詰め込んだこの世のものではない人。御伽噺の、薔薇の花の中に潜む妖精のような可憐さ。しとしと降る雨のような纏わり付いてくる色香を持つのにシルクよりも繊細で清楚な美貌。しなやかな無駄のない体つき。しかしそれだけではなく、夜闇のようにアンニュイで、不安定な艶やかさと、芳しくも絡みつくような雰囲気は、どこか悲劇の匂いがする。聖なる魔物とは、よくいったものだ。これは確かに、人ではない。精巧に作られた人形に命を吹き込んだかのような計算され尽くした何か。神が作ったと言われても納得してしまうだろう人を越えた生き物。古めかしくも繊細なタッチで描かれる神話の女神を、そのまま具現化したような。
「それ」は、シャンクスがドアを閉めてこちらに近づいてくる気配にすら気づくことなく、鼻白むほど端麗な顔を無防備に晒している。青褪めたような顔は、どこか悪魔に魘されているようにも見えた。
ざ、と音を立てて棺に跪いたシャンクスは、そっと凍ってしまって氷の粒の残る上蓋をさっと払っていく。そこに書かれた文字を、そっと口にした。どこか、大切なものを抱きしめるような声音だった。
「アステル」
呼んだ、名前に。
星が瞬くようにけぶる睫毛が震えて、そっと薄青い瞼が開かれていく。
一流の彫刻家の女神像に宝石を埋め込んだように煌びやかで、腹の底を熱くさせるような瞳が、そこにはあった。血よりも赤く芳醇な柘榴よりも濃い真紅と、鋭く研がれた名物の刃を思わせる銀のオッドアイ。透き通っていて、華やかさの中に静謐と深淵の蠱惑を纏わせた深みのある瞳。ミステリアスな動きのない瞳が、ふるふると揺れて、やがて小さく瞬きするのが星が散ってきらきら落ちるように綺麗であった。
ここまで完成されている、けれど決して冷たさを感じさせない美貌を、見たことがないと思った。思わずなんの躊躇もせずに棺の上蓋を開けると、「それ」はぼんやりと夢幻を見るようにシャンクスを見上げている。妖精のように優雅で、大輪の花のように華やかで、しかしどうしたって冷たいほどに官能的で、組み敷いてやりたいという不健康な欲望を抱かずにはいられないような色香が漂っている。しかしどうしてか「それ」は神聖で、性分化されていない純粋なものだという認識が消えることはなかった。
シャンクスは、動くことができなかった。「それ」もこちらを見て動くことをしなかった。まるで糸がたぐりあって絡み合ったように、視線を逸らすことをしたくないと思うような。少年の時分に戻ったかのように、そっと手を伸ばす。初恋の少女に声をかけた時でもしなかったように丁寧で、恭しく、いっそ脆く消えてしまいそうな雪に触れるように大切に、手を差し出した。
「俺はシャンクス。お前は?」
「それ」は、シャンクスの甘やかなバリトンにぼうっと見つめながらも、恐る恐るその氷細工と見紛うほどの冷たく細い指先を彼の手に乗せた。白い首がふるふると動く。
「ぁ、っ」
「うん?」
「ぅ、っあ、ぇ?」
「・・・・・・しゃべれないのか」
「それ」の音は、声は耳朶を震わせるほどに美しかったが、いかんせん要量を得ないものだった。きっと、何も知らぬ船乗りが声音から想像するセイレーンは目の前にいる生き物と似たような感じなのだろう。何度かそれを繰り返していたが、やがて困ったようにこう垂れる。そのいじらしい姿は可憐なカナリアが自分にだけ必死に何かを囀って伝えようとしているように見えて、くすりと笑みが溢れた。名前がないのか、言語を知らないのか、いやそもそもここでずっと眠っていたのだから声帯が動きを止めているのかも知れない。悪いことをしたな、と思いながら、彼は唇を開く。
「お前は、アステル。アステルだ」
きょとりと幼い仕草で首を傾ける「それ」・・・・・・、アステルは、その仄紅く淡い唇を動かして反芻した。たしか、アステルというのはどこかで「星」を意味する言葉だったはずだ。あの棺がなんなのかはわからないが、なるほど確かにこの真珠のようなひとには似合っているな、と考えながらシャンクスは片腕であるのにも関わらずアステルを軽々抱き上げる。
「!?」
「俺たちと、俺と一緒にいかないか。お前には、ここはあまりにも寒すぎるだろう」
最初、シャンクスが音を無視することができなかったのは、それがどこか寂しげな音だったからだ。寂しそうで、けれど人に頼ることはしてはいけないと思っていて、だから一人でうずくまって泣いているような、そんな音。それが、どこか放っておけなかった。それだけの話。
おそらく、この存在こそがレアルステアの真珠なのだろう。レアルステアにたどり着いたものたちは、同じようにアステルの声に惹かれて辿り着き、この存在に手を伸ばして、それでも視線を向けられることがなかったから、レアルステアに訪れたものたちは狂ったのかも知れない。美貌というものは、全てを狂わせる。
とはいえ、この出会いが凶兆なのか吉兆なのか考えるのはやめていた。自分の訪れとともに目覚めた、この高貴な姫君のような寂しい存在を、手放してやりたくないと思った。
片腕であるからどうしてもぐらついてしまうのを必死に首に白い腕を絡めて落ちないようにしているアステルの、不安そうに見上げる左右で色の違う瞳に、今度こそ笑いかけてやる。まあ、難色は示されるだろうが、少しの航海の間船においてそして自分のシマに存在させるくらいならば文句は言われないだろう。
たとえ、この存在が弱みになるとしても。
離してやる気はなかった。一眼見ただけで、この真珠のようにまろやかで黒薔薇のように静謐な華やかさを持つ存在は自分のものだと思った。今更嫌がられても、その先に破滅しても構わないと。むしろ破滅などするものかと思うほどに、この存在のことが知りたくて自分のことも知ってほしいと思う。アステルにとって、心に焼き付けて離さないような存在でありたいと思う。
「大丈夫だ。だから、・・・・・・俺に攫われてくれ」
そんな低く掠れた色のある声に、それは返事の代わりにその花の顔を綻ばせた。光が解けるように、穏やかで優しい笑みだった。
たとえ少し変わった出会いであっても。
たとえ言葉を交わせなくても。
ただただ一眼見た瞬間に魂を絡め取られるほどの激情を抱くことを。
元来、人々は一目惚れと呼んだのだ。
傾国の美女(♂)と海賊の世界
この後。
連れて帰った生き物が生物学上男に分類される存在だと知って、驚く周囲を置き去りにしながらも。
傾国の少年の運命となった赤髪の男は、驚くわけでもなく笑っていた。
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アステル
別世界では今牛彗華と呼ばれる少年。
傾国の美女(♂)。レアルステアでたった一人、懇々と眠っていた。どうしてそこにいたのかは不明。
シャンクスの訪れとともに目覚めたひと。この世のものではない聖なる魔物。
この度、運命的な出会いを果たした。