かぐや姫



「全ては月だけが見ている」

ジャックジャンヌ二次創作
もしも立花希佐が最終公演で主役を取れなかったら、こんな結末もあったのかなという妄想。暗いし駆け足。
前作のファムファタールの系譜を受けた立花継希がいます。

***


「最終公演、アルジャンヌはーーー」
組長である根地が、主役の名前を読み上げたその時、長い夢が終わったのだと悟った。

渡された台本を手に、自室に戻った。ベッドの上に座り込み、パラパラと台本を捲る。そうしていても、考えるのは配役発表の時のことだけだった。
希佐が演じることになったのは、この公演内で相当重要な立ち位置に属するジャンヌだ。演じる役自体も、かなり難しい。おそらく、希佐のこれからの未来を見据えて当てられた役なのだろう。別に、それに不満があるわけではない。寧ろ逆だ。どんな役なんだろう?どんな風に演じたら楽しいだろう?ーーそう、演じることが楽しみになるような、ワクワクしてしまうような役。当てられた役をこなすために頑張ろうと、気を引き締める。・・・・・・いつもなら、そうするはずだ。けれどどうしても、できなかった。やったな立花、頑張ろうね希佐ちゃんという同期たちの声に、どんなふうに返せただろう。それすら覚えていないほど、頭の中が真っ白だ。選ばれなかった。そう、選ばれなかったのだ。ユニヴェールに残る条件を、果たせなかった。声なき悲鳴が喉を詰まらせる。どれだけ体のいい言葉で誤魔化しても。どれだけ自分を納得させようとしても。立花希佐は、主役に名前を呼ばれなかった。
「夢が、終わっちゃうんだなぁ・・・・・・」
ぽつりと溢した言葉がひとりぼっちの部屋に大きく響いて。つぶやいた言葉のその事実だけが胸に突き刺さる。その苦しみを吐き出すように、希佐は涙を流した。

どんなに明日よ来るなと願っても、朝日は登るし日は暮れる。
公演当日、希佐は全てを出し切った。
泣いても笑っても、これが最後の公演だ。だったらせめて笑顔で終わりたかった。自分がどれだけクラスに貢献できるかわからないけど、それでもクォーツを優勝に導きたかった。舞台の歯車の一つとして、役を演じきる。そう決めてからは早かった。稽古は今までの数倍真剣に取り組んだし、しつこいくらいに質問もした。役の解釈は広い方がいいと、その役になりきって生活をすることだってして見せた。その熱意は身を結び、勢いよく花開いていった。大輪の花のように美しく、炎のように苛烈で、風のように儚い。そこにその役がいるとわかるのに、何故だか揺らいで消えてしまいそうな舞台特有の、蜃気楼のような華。それは主役を呑み込んでしまうほどに。他クラスの天才たちを唸らせるほどに。舞台の上で、立花希佐はその役そのものだった。
「天才だ」
「立花希佐は、天才だ」
そう呟いたのは、誰だったのだろう。
舞台の幕が降りた時、ホールに響いた熱狂を聞きながら、希佐は目を閉じる。
(これで、終わり)

その夜、大伊達山に行こうと思ったのは、特に決まった理由はなかった。ただ自分の兄、継希もよく足を踏み入れていたという山も見納めだったから、という理由。あとは、一人になりたかった。クォーツの賑やかで暖かい空気に、今は耐えられなかったから。
公演はクォーツの優勝だった。希佐も個人賞。有終の美を飾る、というつもりはないが、最後としてはいい結果だった。それはそうか。全員が努力して、悩んで、ぶつかり合いながら作り上げた最高の舞台。これで優勝じゃなかったら、何になるのか。喜ぶみんなに混ざって、嬉しくなかったなんて言えるわけない。嬉しかったし、楽しかった。でも、それ以上に苦しかった。躍動する興奮と胸を穿つ苦しみが綯い交ぜになってぐちゃぐちゃで。ああこれで終わりなのかと泣きそうになりながら笑ってみせて。けれど、それまでだった。それ以降の演技は、できなかった。だからクォーツの仲間に気づかれないように、そっと打ち上げを抜け出した。
はぁとため息をついて、大伊達山の一番大きな大樹に寄りかかる。ひんやりした感触が心地よい。もっとほしくて擦り寄って、胸に秘める熱を覚ますように目を閉じた。
これから、私はどう生きていくんだろう。転校、就職、それとも路頭に迷ってひとりぼっちになるんだろうか。長い夢が終わったあと、待っているのは辛い現実だけ。その中で私は、一体何者になれるというんだろう。どうしたって役者・立花希佐には、もうなれやしない。それだけは決まっている。その現実を振り払うように目を伏せた。ふと、今はどこにもいない兄の姿が脳裏に浮かんで、弾けるように消えていく。あの人は、どこで何をしてるのかな。何処かで元気にしてるのかな。それとも、もうこの世には、いないのかな。そんな目を背けたいような想像だけが浮かんできて、つきんと胸が痛む。不意に涙が溢れてしまいそうでそれを阻止するように顔を歪めた。
「あいたいなぁ」
絞り出した声はか細く揺れていた。今の今まで舞台の上で咲き誇っていた絢爛の花とは別人のようだった。あいたい、会いたい、逢いたい。ただ、会って話がしたい。いつだって忘れたことなどなかった人。あの人との思い出を心の中に秘めて生きると決めたのに、決めたはずなのに、無性に顔が見たくなった。行かないで。どこにいるの。どうしてそばにいてくれないの。あの日に置いてきたはずの小さな自分が泣いている。目も当てられないほどに泣き喚いている。がんがんと頭を揺らす衝動に、ついと自らの胸倉を掴んだ。どくりどくりどくり。鼓動は激しくリズムを刻んでいるのがわかる。あぁ、忘れられるわけがなかったんだ。あの人と過ごした思い出も、願いも、夢も何もかも。そのことに今更気がついて、どうしようもなく胸が詰まった。
「継希にぃ、」
立てなくなるほど泣き濡れて。
息ができなくなるほど名前を呼んで。
置き去りにすると決めた少女が、音を立ててその鍵を壊したかのように。

「希佐」
そんなわけがないのに、今一番聞きたい声がした。あたたかくて、優しいただ一人の声。いるはずがない。幻聴だ。それなのに、その声がどうしても偽物だと思えなかった。叶うはずがない希望が、いきなり叶ってしまった時のような衝撃に我を忘れて固まる。
「希佐」
もう一度、あの声がした。自分のことを、希佐と呼ぶ先輩はいる。けれどその人とはまた違った、慈しむような響きがある唯一の声。この声を知っている。誰よりも近くで聞いてきた。誰よりも。そう、誰よりも。もう、幻だとは思えなかった。顔を声がした方に向ける。夜の森の中、更に濃い人影がぽつんと一つ。ザクザクと地を踏みしめる音がした。近づいてきている。緊張でごくりと喉を鳴らした。月明りがゆっくり人影を照らしていく。自分と同じベビーピンクの髪が見えた。琥珀の瞳が、三日月型に微笑む。誰よりも、逢いたかった人の姿がそこにあった。
「継希にぃ、?」
呆然と名前を呼ぶ。体がうまく動かない。その間に距離を詰めた兄、継希はしゃがむ希佐の前で跪いた。少しかさついた指が目元をなぞる。
「あぁ、泣かないで。腫れてしまうよ」
「・・・・・・継希にぃだ」
その名前を呼ぶこと以外を忘れてしまったかのように、希佐は自らの兄の名を呼ぶことしかできない。そんな自分とは反対に、「うん、継希だよ」と笑う兄の姿は焦がれた兄と変わらなくて。泣くなと言われているのにどうしても、涙が止まらなかった。あなたに会いたかったのだという純粋な思いがぽろぽろ溢れていくような、そんな感覚。それを誤魔化したくて抱きついた。
「継希にぃ、継希、にぃ」
「うん、希佐」
「私ね、ユニヴェールの生徒になったんだよ」
貴方と同じ場所で、舞台に立っていたんだよ。もう立てなくなっちゃったけど。涙でぐちゃぐちゃの顔で笑う。たくさん言いたいことはあったはずなのに。いざ本人を目の前にしたらそれだけしか言えなかった。
「頑張ったんだね」
「・・・・・・うん、すごく。でもそれ以上にね、楽しかったの」
泣いているとき特有の不安定な声で告げる。そんな情けない姿を見せているというのに継希の表情は優しい。自分の頭を撫でる手は懐かしくて、何故だか幼い頃に戻ったような気分にさせられる。幼なげな様子を見せているというのに気にならないのは、兄の前だからなんだろうか。
「そっか」
「うん、楽しかった。演じることが大好きになったよ、継希にぃも、こんな気持ちだったの」
「どうかな、僕は。あまり考えてはいなかったかもしれない」
「どうして?」
「・・・・・・あの時は、生きることに精一杯で。希望を、叶えることで精一杯で。考えるなんてことをしてこなかったから」
だから、逃げた。そう呟くその人は、知っているけれど知らない顔をしていて、袖を引っ張る。それに驚いた顔をしたが、すぐに優しい表情に戻る。
「でもね。気がついたんだ」
「え?」
「たくさんの人と演じたよ。でも幼いあの日の衝撃には、勝てなかった。それでわかったんだ。僕は君と、演じることが好きなんだって」
「継希にぃ・・・・・・」
「だから、行こう」
「行くって、どこに?」
それしか言えなかった。どこに行くというのだろう。だってどこにも、私たちの居場所なんてないのに。そういえば、笑った兄はすっと空を指さした。
「月の向こう」

最終公演の翌日、立花希佐は失踪した。
彼と同じクラスの生徒たちは手を尽くして探したもののその姿は、まるで最初からいなかったかのように忽然と存在を消していた。それはまるで、兄の背を追って行ったかのようだと、彼女の幼馴染は語ったという。彼らに残された立花希佐の手がかりは、足取りが途絶えたという大伊達山に打ち捨てられた個人賞のトロフィーだけだった。そんな折、密やかに流れるようになった噂がある。『立花希佐は、立花継希に連れて行かれたのだ』という根も歯もない噂。
その噂が嘘なのか本当なのか。全てを知っているものは、もはや誰もいない。