「だって私はその子じゃないから」
tkrv夢
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ボロボロの女が泣いている。歯を食いしばって泣いている。膝を抱えて、声一つ上げずに泣いている。
目の前に座った女は、そうしたままずっと、そこにいた。
「なんで泣いてるの?」
その問いにも彼女は泣いていて答えなかったが、時間が経ってつっかえながらもやっとのことで答えた。
「痛い」「苦しい」「悲しい」「寂しい」「愛してほしかった」「少しでいいから、私のこと好きだって言ってほしかった」「なんで報われないの」「もう疲れた」「どうして私じゃダメなの」「どうしてあなたじゃなきゃダメなの」
「どうして、私は愛することをやめられないの」
泣き腫らして赤くなった目元。涙でぐちゃぐちゃになった顔。男に裏切られて泡になりそうな人魚姫。そんな感想が浮かんだ。初めて会った人なのに、泣いているのを見ると心が痛む。泣かないで、そう声をかけて目を合わせると、さらに涙をながした彼女は、こちらに抱き着いてくる。背を撫でてあげながら、これまであったことを聞く。
好きな人がいること、でもその好きな人が好きなのは自分じゃないこと、自分の姉のことが好きで好きでたまらないこと、けれどもそのお姉さんは死んでしまって帰らぬ人になったこと、その人の代わりに恋人にされていること。他にもいろいろあったけど、要約するとそんな感じ。
「私、何か悪いことしたの?」
嘘でも好きだと言われたことがない、利用されるだけ利用されてる。でも好きなの。愛してしまうの。こんなのもう嫌だ、助けてよ。そういって泣き出した少女の背に手を回す。
「もう、終わりにしたいの?」
「おわらせたい」
「生きていたくない?」
「いきるのはくるしい」
「じゃあ、私が代わってあげようか」
「うん。おねがい、終わらせて」
何度も生死の境をさまよって、三か月も目覚めなかった女が目覚めた。その知らせに走って病室に向かう。
言いたいことがたくさんあるんだ。まずは謝って、それから、好きだよと伝えたい。
そうして息を切らして病室にたどり着けば、初恋の人に似ているようで明確に違う女が振り向く。
「翠!」
そういって駆け寄って、手を握りしめた時だった。
「あなた誰?」
「大丈夫ですよ、そんなに心を砕いて頂かなくても。それをして欲しかったのは私ではないんですから」
私に優しさを向けるくらいなら、あの子を愛してあげたら良かったのに。
あの子。
ずっとずっと好きだった男の子に彼の好きな人の身代わりにされ、自分を見てもらえなかった可哀想な子。馬鹿で愚かで哀れで、でも真っ直ぐな女の子。あまりに純粋な恋心をもった彼女を下品な音を立てて好き勝手に貪り、雑草を踏みつけるように我が物顔で踏み躙っていいと思っていたんだろうか?そんな調子だから、彼女は心を閉ざしたのではないのか。疲弊してそれでも耐え切った心はきっと思い出すことはなかったはずの「私」に縋り付くしか、彼女が救いを求める方法はなかったのかもしれない。正直、私は九井さんのことが好きではない。翠ちゃんの代わりにこの世界に産み落とされたのだとしても、この男を好きになることは一生ないだろう。これだけ気にかけてもらって何をと思わないわけではないが、それでもそうやって欲しかったのは私じゃない。翠ちゃんだ。自分の初恋を引き摺るせいで傍にあった無償の愛を握りつぶすなんて、血も涙もない鬼のようで恐ろしい。ともかく後悔してるから戻ってきてくれなんてどの口が言うんだと掴みかかってどれだけ翠ちゃんが苦しかったかこんこんと説明してやろうかと思うくらいにはこの男が嫌いだ。たとえ翠ちゃんが気づかなかっただけで九井さんがちゃんと翠ちゃんに心を傾けていようが、結果は翠ちゃんの心を殺したのだ。間違えたどころじゃないだろうに。それを口にしないのは、死ぬ時までこの男を思い続けた翠ちゃんの思いを否定しないためだ。他の女を今でも一途に思っているくせに自分をその代わりにして食い荒らす男なんて私だったら絶対選ばないけれど、でも翠ちゃんは大好きだったんだろう。大切な思い出と優しい優しい恋心、焼け焦げるくらいの悲しみを抱えてそれでも、自分を見る事のない男を愛した。この男を好きな気持ちは理解できないけれど、人を愛してしまう理由はわかる。幸せにしたかったよね、愛したかったよね。わかるよ、私も幼馴染を幸せにしたかったから。自分の命を投げうってでも、あいつに笑って欲しかったから。だから、どんなに苦しくてもその茨の道を選んだんだよね。少しだけ違うのは、私はそこに私がいなくても、幼馴染が今俺は幸せだと言ってくれるならそれで良かった。
でもきっと翠ちゃんは、それと同じくらい嘘でも好きだって言って欲しかったんだよね。
不安で悲しくて寂しくて、狂ってしまいそうになっても口には出せなかったんだろうなと思う。周りに相談すらできなかったから、溢れて決壊してしまうほどの激情を昇華させることができなかった。そして死ぬほど怖い思いをして、その最後には壊れてしまって。届くことのなかった思いを抱えたまま翠ちゃんは死んでしまって、代わりに転生者の私が生まれた。
ああ、なんて可哀想な翠ちゃん。
ごめんね、翠ちゃんに向けられるはずだった思いを向けられるのが私で。でも、ほら見て。九井さんは泣きそうに体を震わせて唇を噛み締めて眉を寄せている。きっとこの顔は素の感情なんだろうな、と他人事のように思う。けれどその顔を見て何故だか恐ろしいほどほっとした。ねぇ見てよ翠ちゃん。この人、君のことが好きらしいよ。たとえ正しいものでなくても、綺麗で純粋なものじゃなくても。良かったね、君の献身は無駄じゃなかったよ。少しでも報われたよ。大丈夫、少なくとも今この瞬間は一方通行なんかじゃないよ。記憶の中で体を小さくして啜り泣く翠ちゃんの頭を撫でてあげたい。教えてあげたい。囁いてあげたい。
「幼馴染の九井くんは、翠ちゃんにあげてください。だってこのままじゃ、翠ちゃんがあまりにも可哀想」
私はあなたがいなくても平気だけど、翠ちゃんはあなたのことが好きで好きでたまらなかったんですから。
そうやって笑いかけると、息をのんだ九井さんは震える体で私を抱きしめてきた。泣き叫ぶような嗚咽が耳朶を打つ。だから、私にそんな感情を見せたって意味ないのに。
「ごめん、ごめんな、翠」
それを聞きたかったのは翠ちゃんですよ。何気ないその言葉は、まるで紫煙のように空に消えていった。
***
乾翠
梵天で九井の秘書役をしていた子。
n番煎じのよくある、死んだ赤音さんの代わりになったイヌピーと赤音さんの妹の女の子。
九井のことが好きだった。どうしようもなく好きで好きでたまらなかった。けれど振り向いてくれない、自分を助けて後悔してることを知ってる、優しくされても赤音がされて嬉しいだろうことをされてるだけなのがすぐわかる。利用されてるだけで愛されない自分のことも嘘でも好きだと言ってくれない九井のことも死んでしまった赤音もみんなみんなきらいになっていたけれど、それでも好きなことを心は叫んでいて。
けれど、梵天の情報を欲しがった敵対勢力に攫われ、暴行され、口を割らなくても助けが来なかった時点で心が壊れちゃったかわいそうな子。
最後の最後に「私」に助けを求めた。快諾してくれた時点でもう翠という自我は弾け飛んでいたので、何をしようと戻ってこない。
『私』
記憶喪失の人格ということになったけど本当は違う。
転生者。翠として生きていたが壊れてしまった翠の代わりに出てきた人格なので、「乾翠」ではない。簡単に言うと同じ姿をした別人。転生者としての記憶を取り戻す前の自分のことを翠ちゃんと呼んでいる。可哀そうな女の子を大事にしなかった九井にいい感情は抱いていない。
退院しても逃げないけど、九井の秘書役からは外れるし見向きもしなくなる。
だって、君のことが好きなのは翠ちゃんだから。
九井一
気が付いたときには何もかも遅かった男
自分の思いにも、状況にも、翠が壊れていたことにも気づけなかった。
俺はいつも間に合わない。