よふかしのうた(中)






生まれてからほとんど踏んだことがない深夜の通り道。いつも明るく人通りの多いこの街が夜になると灯りがついて、また違った燦爛の輝きを放っていた。どこもかしこも寝静まった夜の中を夏特有の気だるい風が通り過ぎていく。建物と建物と建物の間から見える小さな夜空は、窓から見上げていたものよりどこか遠くに見える。いつも見ているはずなのに全て違うものに見える。非日常。そんな言葉が頭に浮かんでは消えて、また浮かぶ。ベンチに寝そべる酔っ払い。自分たちの時間だというように我が物顔で横切っていく猫。閑散とした大通り。ギラギラしたネオンを背負う街並み。
その中を恐る恐る歩く私は、きっと場違いなのだろう。早く帰らなければ親が心配してしまう。それはわかっていたけれど、足を止めることはできなかった。謎の全能感が私を追い立てる。この落ち着かない静謐な世界を支配しているような、そんな錯覚。
(なんて、そんなわけないんだけど)
厨二病もいいところだ。なんとも言えない気持ちになって、自嘲じみた笑みに似た何かが顔に浮かぶ。誤魔化すように近くにあった空き缶を軽く蹴る。からころと小さな音を立てて転がるそれは意外と遠くまで行ってしまった。追いかけようか。いや、そんな気分にもなれない。
結局放っておいて、道を歩くことにした。そういえばこの近くに公園がある。夜の公園なんて、危ないのはわかっている。それでも帰りたくなくて、そこまで歩いてみようと思った。そう思って纏わりつく闇から背を向けてまた足を進めた。

公園は誰も居なかった。酔っ払いや不良がいるかと思ったけれど、ここは蝉の鳴き声がするだけでどうしようもなく平穏だった。ざくざくと足音を鳴らしてぐるりと公園内を見回す。幼少期たくさん遊んだ滑り台。暗がりに目立つ色のジャングルジム。街灯はスポットライトのように、少し錆びついているブランコを照らしている。
「懐かしいな、ブランコ」
昔はこれに乗って、何も考えずに思い切り漕ぐのが好きだった。不安なことなど何もないようにきぃきぃ鳴らしてけらけら笑うのが好きだった。そういえば、最近ちゃんと笑えてないな。そんなことに気がついて少しだけ目が覚める。嫌だなぁ、こんなことばかり考えて。黙って地面を見つめていると不意に乗ってみようか、という気持ちが湧いてきた。特に理由はない。ただ、気持ちが少しでも紛れればいいと思ったのだ。あの永遠に美しいまま時を止めた思い出と同じことをすれば少し、心の慰みにはなるのではないかと。
ガシャ、と音がしてブランコが軋む。もうボロいんだな、これ。まあ私が幼い頃からある公園だから、当然か。それでもなんだか、時間の流れを感じる。目を伏せて、小さく地面を蹴ってブランコを漕ぐ。きぃ、きぃ、きぃと金属の擦れる音が響いた。懐かしい感覚だった。昔は立ち漕ぎとかやったっけ。フライ返しとかなんとか言ったやり方があったような気がする。
「ほんと、懐かしいなぁ」
ぽつりと零した本音が夜闇に放り出されて溶けていく。楽しい思い出を折り重ねるように同じ行動をするというのは、あの頃の記憶を思い出して悲しくなるだけだと思っていた。けれどこの想いを馳せることで発生する郷愁は、結構好きかもしれない。あんなに合唱している蝉の声すら遠くなっていくようで、目を細めた。

「何やってんの、優等生」

は、と目を見開く。ブランコを漕ぐ足が止まった。声をした方を勢いよく振り向けば、脱色した髪が特徴的な美しい青年が立っていた。片耳には黒い石が連なるピアスをしている。どこかアンニュイで大人っぽい顔をした、どこぞのモデル顔負けの青年だ。けれど身に纏う服は厳つい文字が刺繍された黒い服。なんていうんだっけ、こういうの。ああ、たしか、特攻服とかいうやつで。じゃあこの人、不良?いやでも、不良の知り合いなんていただろうか。思わず首を傾げると青年は静かに眉を顰める。怒らせた?と慌てて口を開いた。
「ご、ごめんなさい。あなたのことわからなくて。もしかして、同じ学校の方ですか?」
「オレ、オマエと同じクラスなんだけど」
「へぇ、そう・・・・・・って、え⁉︎」
驚いて深夜であるというのに大声を出した。「うるさい」とため息をつかれて慌てて黙る。恐る恐る彼の方を向くと、むすっとしたような顔をしていた。居た堪れない。けれど信じられなかった。こんな顔をした人がいただろうかと頭を捻るが、クラスメイトの顔は全てぼんやりとしていて愕然とする。私クラスメイトに興味なさすぎでは。それでも信じられなくて言葉を重ねる。
「ほ、ほんとに?見たことないんだけど」
「オマエはいつも本読んでるから気づかないだけじゃねぇの」
「ウッ」
そう言われると痛い。いや確かに本読みすぎている自覚はある。けれどそこまで言われるほどだとは思わなかった。こんなんだから、馴染めなかったんだろうなぁ。自分の情けなさに苦笑する。彼は私の顔をしばらく眺めていたが、徐に口を開いた。
「・・・・・・マ、オレもあんま学校来てねぇから。知らないのは多分、そういうの」
「あ、あぁ、なるほど」
もしかして気を遣わせたのではないだろうか。なんだか申し訳なくなって目を泳がせる。そんな私に何を思ったのか、紫の目がふと柔らかく解けた。その優しさに目を見開く。その目は同い年だと言うのに、男の人独特の色気があった。
「可愛いな」
「え」
「それで?優等生サマはこんな時間に何してんの」
ガシャンと音がして、隣のブランコに彼は座る。夏の真っ只中の蝉の声が大きくなった気がした。その濃い菫色の追求から逃げられなさそうで、目を逸らす。
「や、ちょっと散歩に」
「今深夜だけど」
「い、息抜き、みたいな」
「それなら少し外で空気吸えばいいだけだろ。ここまで来なくてもいいんじゃねぇの」
「う、えっと・・・・・・」
誤魔化そうと言葉を重ねるがことごとく論破されてしまう。思いつく限り連ねたが、全てばっさりと切り捨てられてしまって途方にくれる。困った顔をした私と、無表情でこちらを凝視する彼。そのまま暫くの沈黙が続いた。何か、言わなければ。そう思って言葉を出そうとするが、上手く出てこなかった。だって、言えるわけない。こんなやるべきことから逃げたくなったから衝動的に、なんて。
しかもその理由が、分からないなんて。
「言わなきゃ、ダメかな」
絞り出すように出た言葉は小さく震えていて自分の声のくせに別物のようだった。てんで聞こえたものではない。何を言われるのかなときゅっと目を閉じた。けれどふぅんと言った彼は、そこまで気にしていなさそうだった。ま、いいんじゃないの。存外優しい声がふわりと耳に届いて、目を見開く。
「え、」
「ん?」
「き、聞かないの。何があったとか」
「ん、言いたくないなら聞かない」
「え・・・・・・」
「人ってさ、なんで夜更かしすると思う」
唐突な質問。言葉に詰まってパチパチ瞬きすると、彼が乗るブランコがきぃと軋む音がして小さく揺れる。脱色した金の髪が、さらさらと靡いた。
「今日という日に満足してないからだよ」
だから、優等生にもそういう日があってもいいんじゃねぇの。
「・・・・・・かっこいいね、君」
「まあ、漫画の受け売りだけど」
「受け売りなんだ・・・・・・」
「あと、君じゃない」
「え?」


「今牛若狭っていうの、オレ」
そう言った彼は、とびきり穏やかな顔で笑った。