よふかしのうた(後)






「今牛、くん」
「ん」
「・・・・・・い、今牛くんは、なんでこんな時間に?」
ぽろりと出てきた言葉にハッとする。自分は理由を吐かないのに何を言ってるんだろう。しかも、別に言わなくていいと気まで使わせて。それなのに人には言わせるなんて、そんなのあまりに自分勝手だ。言いようもない自己嫌悪に苛まれていると、今牛くんはきぃとブランコを揺らしながら答えた。
「別に。ただの散歩だよ」
「散歩、かぁ」
散歩。そんな特攻服着ておいて、散歩。多分、今牛くんは不良なんだろうなと見ればわかることを新鮮さを持って思った。もしかしたら、喧嘩かなんかの帰りなのかもしれない。やっぱり、違う環境の人なんだなぁと他人事のように思った。けれど続けて放たれた言葉に驚いて目を見開く。
「その先でうちのクラスの優等生サマが彷徨ってるから、何してんだろと思って追いかけた」
「え」
「なに」
「・・・・・・し、心配、してくれたの」
まさか、そんな訳ない。でもその言い方だと、自分を心配して追いかけてきたように聞こえる。いや多分、そうなのだと思う。けれど、信じられなかった。
「そうだよ」
蝉の声が鳴り響いている。それなのに、何もかも音を置き去りにしたように思えた。怪訝そうな顔でどうしたと聞いてくる今牛くんに言葉を重ねる。
「だって、話したこともないのに」
そうだ。彼と同じクラスだったとしても、話したこともなければ私は認識すらしてなかった。それなのに、わざわざ私を追いかけてきたのだという。
「・・・・・・いい人すぎない?」
呆然と口から出た言葉に今牛くんはぱちぱちその紫の瞳を瞬かせる。その表情はどこか幼い。次第に飲み込んだのか、口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「そうでもねぇよ」
「えぇ、そうだよ。いい人じゃなきゃ知らない奴のこと追いかけてこないって」
「知らない、ねぇ」
ざぁっと生ぬるい風が吹いた。強い風で、思わず目を眇める。
「ーーー、ーーーーーーーーー」
「え?」
今、何か言ったような気がしたけれど、風で聞こえなかった。なんて言ったの?そう聞くと首を振られる。
「なんでもねぇよ」
それより、と今牛くんはブランコから立ち上がった。ガシャンと音がしてブランコが派手に揺れる。
「オマエ、まだ帰んないの」
「あ、あー、・・・・・・もうちょっと、いようかな」
「そ」
じゃあさ、と手をそっと握られて引かれる。細い体からは信じられない力で引き寄せられて、立ち上がらされた。ふっと瞳が伏せられてこちらを射抜く。
「オレと遊びに行こうか」

深夜はあまりに静かだ。酔っ払いの歓声、走り去っていく車の音、街灯のチリチリという電気が弾ける感覚。逆に言えばそれが目立つくらいには静謐を携えている。少し出てきた霧のせいで煙たい気がした。その中を、私は先程あったクラスメイトと歩いていた。
なんでこんなことになったんだろう。そう思うけれど、家にまだ帰りたくなかったのは本当で。帰らない理由をつけてくれたのだと思う。・・・・・・本来なら、警戒して然るべきだ。優しそうな人だけれど、この人は不良なのだから。でも、なんとなく。今牛くんは何もしない気がした。その勘を信じようと思ったのだ。
それから彼に連れられて、公園からこれまでずっと歩いているのだけれど。そろりと前の方で揺れる黒石のピアスを見つめた。
(どこまで、歩くんだろう)
無言でスタスタ歩く彼の後ろを数歩遅れて歩いて、そろそろ歩道橋に差し掛かっていた。彼は美しい顔立ちをしているけれどやっぱり男の人で、あっという間に階段を上がってしまう。あ、と声を出して慌ててその背中を追っていった。
やっとのことで階段を登りあがると、後ろを振り向いて立ち止まっている。どうやら待っていてくれたらしい。息を整えてその隣に立つと、ふいと目を逸らしてまた歩き出す。それに続いて私も歩き出した。が、その足が歩道橋の真ん中あたりで止まる。
不思議に思い顔を覗き込むと、彼はすっと指を指す。その方向を見て目を見開いた。
「わぁ、」
駅に近いんだろう。高い高いビルの優しい明かりとギラギラしいネオンサイン。それが合わさって重なったり離れたりを繰り返すような光の街。星すらいらないような人工の灯り。暗い暗い夜の帳の中、文明の発展の象徴のように煌めいていた。
「きれい」
子供のように同じ言葉しか呟けない。目を丸くして歩道橋ギリギリまで駆け寄る私を、今牛くんはただ見つめてぽつりと零す。
「ガキみてぇ」
「んなっ・・・・・・⁉︎」
「でも、優等生はそっちの方がいい」
「?」
「そっちの方が、オマエらしい」
気づいてねぇの?そう笑う彼の瞳には、喜色ばんだ顔をした自分。あ、私、笑ってる。そう思った。本当に笑っているとかそう言うんじゃなくて、見たこともない景色を見れて嬉しそうな、子供みたいな顔。
「あ、」
「オマエ、そんな顔すんの」
「そりゃ、人ですから・・・・・・?」
「ふ、知ってる」
可愛いよ、そう言って笑った今牛くんは何よりも綺麗で。
「優等生、意外と世間知らずなのな」
そう茶化す声が遠くに聞こえた。馬鹿にされてるとは思わなかった。久々に、こんなに他人と一緒にいて、力を抜けている気がした。
それは、なんとなく、幸せなことだなと思った。

渋谷の駅までやってきた。流石にここまでくると車の通り過ぎる音がする。それだけじゃなくて、歓楽街特有の騒がしさ。酔っ払いの笑い声、夜の街の住人たちの囁き、ビルの燦然と輝く灯り。なんだか場違いなところに来たみたいで落ち着かない。思わずキョロキョロする。おい、と声がした方を向けば今牛くんが随分と遠くまで行っていて。ごめんと謝りながら駆け寄ると、そっと目線が伏せられた。長い睫毛が瞳に影を作る。
「早いか」
「え?」
「歩幅。早いか」
ぽかんと口を開ける。小さく後頭部を掻いた彼は少しだけバツが悪そうな顔をしていた。
「悪い、配慮が足りなかったな」
「え⁉︎いや、別に。・・・・・・で、でもちょっと、はやいかも」
「そうか。わかった」
やっぱり今牛くんは優しい。今牛くんの歩みが少しだけ遅くなった。私に合わせてくれるらしい。いい人だなと思いながら歩きだす。先程まで先頭を歩く彼と追いかける私だったのが、今は並んで歩いている。なんだか不思議な気持ちだ。
「ねぇ、どこまでいくの?」
するりと出た言葉は当然だと思って欲しい。公園から随分と遠くまで歩いている。彼の目指す場所が分からなくてどうしても気になったのだ。こちらに目線を向けた今牛くんはこちらの肩を抱いた。
「イイトコ」
イイトコ。いいところ。え、どこだろう。頭を使って捻り出そうとするが思いつかない。うーむうーむと頭を悩ませる仕草をする私に、今牛くんは肩を抱いたままクスリと笑った。そして唇を私の耳に近づける。きょとんとしてそちらを向こうとした時には、低くて甘い声が耳朶を打った。
「大丈夫、取って食ったりはしねぇから」
「ひぇ、」
本当にこの人、同い年なんだろうか。囁かれた耳を押さえて顔を凝視する。甘い蜂蜜を飲んだような甘ったるさが口に残る。頭の中を快楽がパチパチ弾けるような感覚がした。そんな状況にした張本人は、呆気に取られている私にくつくつと喉を鳴らす。
「ほんとに変なとこじゃねぇから、安心しろよ」
そう薄く笑みながら言われて仕舞えば、何も言えなくなってしまうのだ。
何故だか、もうこの青年に心を許している自分がいる。そのことには気づかないふりをした。

「?、ここって」
「ラーメン屋だけど」
ラーメン。こんな美人が、ラーメン。鸚鵡返しのようにその言葉を追う。そんな私を気にもとめずにがらがらとその入り口を開けて入っていくので私もそれに続く。らっしゃあせー!と元気な声が響いた。
「お、ワカくんじゃねぇか!珍しい、一人かい?いつもの?」
「いや。今日はコイツもいる」
「!おいおいワカくん!嫁連れてきたのかよ!こりゃウチのバイトが荒れるぞぉ」
「エッ」
ラーメン屋さんの店主だろう人は今牛くんの知り合いらしくしばらくやりとりをしていた。その時に出てきた勘違いの言葉に目を見開く。店主さんはニヤニヤと笑いながらワカくんもやるねぇと口笛を吹いている。いや、違います。そう言おうとしたけれど、今牛くんがそれを遮った。
「嫁じゃねぇよ、まだ」
「え」
「へぇ、『まだ』か。こりゃこの先が楽しみだなぁ!」
「店主うるさい。・・・・・・とりあえずオレはいつもの。コイツには味噌ラーメン食わせてやって」
「へいへい」
あのワカくんがねぇと呟きながら店主は厨房に入っていく。違います!と伸ばした手は掴む方向もなく虚しく下ろした。パッと振り向くと素知らぬ顔の今牛くん。私が見ていることに気が付いたのか視線を向けて、嗜虐あふれる笑みを作る。
「なに」
「な、なんであんなこと」
「わかんねぇだろ、この先のことなんて」
「そ、それ、どういう」
「さぁ、どう言う意味だと思う?」
意地悪な微笑みが直撃して撃沈する。だから、ほんとに。この人、実は中身は大人かなんかなのではないか?ズルすぎる。黙り込んで熱い頬をパタパタ仰ぐ。この感情が怒りでないことが問題なのだ。困ってしまう。そうやって小さくなって俯く。そんな私を、彼はピアスを揺らして吹き出すように表情を緩めて見ていた。ずっとずっと、見ていた。
居た堪れなくて、さらに顔を上げられなかったのは余談である。
しばらくして、ラーメンが運ばれてきた。俯く私と素知らぬ顔でこちらを穴が開きそうなほど凝視する今牛くんという不思議な光景を見た店主はどこか呆れたように言った。
「おーい、いちゃつくなら遠くでやってくれよ」
「店主は早く彼女作れよ」
「おっい言ったな⁉︎俺だってそんな、一人くらい」
「あっそ」
「おいいいいい」
軽口を叩き合う彼らを横目に、運ばれてきたラーメンを見る。とろとろ溶けたつやつやの味玉子に、肉厚のチャーシュー。たくさんのメンマ、コーンにバター。味噌の香りがふわりと漂って空腹を誘う。ごくりと唾を飲み込んだ。
「ココ、オレの好きなとこ。美味いよ」
「ウチの味噌ラーメンは最高だぜ?ほら、食ってみろよ」
そんな会話に自然と箸に手が伸びる。ふーふーと冷まして口に運んだ。
朝に近い時間に食べたラーメンは、今まで食べた何よりも美味しかった。

またこいよ。そう快活に笑った店主さんの顔を後ろに、二人で店を出る。夜のカーテンは開かれて、東に黎明が現れる。朝が来ていた。けれど、なんとも言えない青い光が差し込むような世界。人は青を寂しいと言うけれど、なんだかそれだけじゃない気がする。
二人で無言で歩いて、たどり着いたのはスクランブル交差点。朝が来ていると言うにはまだ藍色で、夜というには明るい自然な光が空を塗る。そこから朝日が差し込んで高い高い建物を照らすのが日常を連れてくるようで嘆息する。いつもは、この朝日が嫌いだった。朝は、憂鬱な気分にさせたから。けれどこのささやかな家出は、どこか変わらないはずの朝焼けを違うものに感じさせた。
「なぁ」
「うん?」
「楽しかった?」
ひゅるりとなんとも言えない青臭い風が通り過ぎていく。髪を押さえて揺れる彼の脱色した髪を見つめる。くしゃりと笑みが浮かんだ。
「すごく、楽しかったよ」
「・・・・・・そうか」
ありがとう。口にするとなんか変な感じだ。優しさでいろいろなところを連れ回してくれて、何も聞かずにいてくれた。それが、どれだけ有難いものなのかきっと彼は知らないだろうな。ささやかな優しさが心に沁みることがあるなんて、きっと。
何も知らない人なのに、不思議。
終わらなければいいのに。すごく楽しいこんな日々が、もっと続けばいいのに。自然とそう思った。そんな気がした。
「じゃあもういくワ」
けれどきっと、この一夜の非日常が終われば、彼とは会わなくなる。そんな予感がした。それはなんだか寂しくて。だから、咄嗟に出た言葉は紛れもない本心だったのだと思う。
「っまた、学校でね!」
何故、そんなことを言ったのかは分からなかった。けれど、どうしても言いたかった。きっと話したいと思ったのだ。この優しい人のことを、知りたいと思ったのだ。多分、そういうこと。同じ学校でまた会えたなら、きっと私の日常に色をつけるだろうと思った。
だから、声をかけたのだ。
けれど彼は振り向いて目を見開き、それも一瞬で。何も言わずにスクランブル交差点を歩こうと先に行ってしまった。あ、もしかして失敗した?あわわそりゃ、初めて喋ったやつにこんなこと言われても困るよな。ていうかあんま学校来てないって言ってたし、不良っぽいもんね。けれど反応されなかったことに少しだけ落ちこんで、肩を落とす。その時だった。
「おう、またな」
ばっと顔を上げる。今牛くんは振り向いてはいなかった。けれど、手をひらひら振って歩いていく。なんだか嬉しくなって、唇を噛み締める。朝焼けがビルを照らしていく中、その細い後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
今から帰れば親に怒られるだろうなとか、どんな言い訳すればいいだろうとか、そんなことは考えられなかった。
今日クラスでおはようと声をかけたら、君は返してくれるだろうか。
今日君に話しかけたら、どんな顔をするだろうか。
君ともっと話してみたいと思ったの、そう言ったら君はどう思うだろうか。
そんなことばかり考えていると、憂鬱だった学校がなんだか楽しみに思えてくる。そういう自分がおかしくなって小さく笑った。なんだか気分が良くて、鼻歌を歌いながら帰り道を急ぐ。日常が、変わろうとしている気がした。
あぁ、どうか。
君が今日は学校に来ていますように。



「あれ、ワカじゃねぇか。こんな時間にどうしたんだよ」
「・・・・・・なんでもねぇよ、ただの散歩」
「へぇ?お前にしちゃ珍しいな。外に出ずっぱりなんざ」
「ベンケイうるさい」
そんな軽口を叩きながらも頭に浮かぶのは先程まで一緒だったクラスメイトのこと。物静かでいつも本を読んでいる学校一の優等生。規定通りの制服が少しだけ野暮ったくて、この学校ではまず居ないような普通の子。
そんな彼女のことを、ずっとずっと見ていた。どこか張り詰めたような彼女に気づかれないように遠くから。話したこともなかったけれど切り揃えられた丸い爪が本を捲るのが可愛かった。現代文の時の朗読に背筋を伸ばしてそのせせらぎのような声を震わせるのが美しいと思った。落とし物を届けに来た時のまっすぐな目に射抜かれたような衝撃を受けた。夕暮れに駆けていく頼りない背中を見たその日から、若狭はずっと彼女を見ていた。
好きなのかもしれない。いや多分、好きだ。それは今日、彼女自身と話して心地いいと思った時から大きくなって、心臓を揺らした。
今日クラスでおはようと声をかけたら、オマエは返してくれるだろうか。
今日オマエに話しかけたら、オマエはどんな顔をするだろうか。
ずっと、オマエと話したかったと言ったら、逃げないでいてくれるだろうか。
そんな途方もない浮ついた思いが頭の中を飽和する。らしくないと思った。けれど、悪くはないなと頬を緩ませる。
「あと、今日はオレ学校いるから」
「へぇ学校・・・・・・ハッ⁉︎あのワカが、学校⁉︎」
「だからベンケイうるさい、ちょっと黙って」
「いやどういう風の吹き回しだ?それくらい教えてくれてもいいだろ」

「別に、ただの気まぐれ」
あぁ、どうか。
オマエが今日は笑ってくれますように。