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幼い頃から、不思議な記憶があった。
確かにそれは自分であるのに、自分自身のものではない記憶。何気ない日常と、代わり映えのしない風景をした、それでも穏やかで愛しい、寄せては返す波のようで、目眩く変わる万華鏡のような輝かしい栄光の日々。この美しくも過酷な世界ではない、犯罪や戦争があったとしても成り立つ平和で文明の発達した穏やかな世界。
見覚えもないそんな記憶に惑って、けれどいつからか、「これ」は自分自身の体験したものだと思うようになった。何故かは、わからない。けれど、少女は、ウタは、その記憶を抱きしめていたいと思ったのだ。
「シャンクスー!朝だぞー!」
「んぁ・・・・・・?もう朝か?」
ぐうすか寝ている養父のベッドまで歩いて、がばっと毛布を剥ぐ。シャーッとカーテンレースを開けた先から差し込む日差しに目を猫のように細めながら、ウタは寝ぼけ眼の赤髪の養父、シャンクスにニパッと笑いかける。小窓の外には、深い色をした海が広がっている。海賊船、レッド・フォース号の朝は早い。早いが、この自らの父であり船長である男は割と図太いらしく。朝になっても起きてこない時があり、そういう時にウタが起こしに行くのが、赤髪海賊団の日課となっていた。
「全く、そのままだと示しがつかないんだから。しっかりしてね船長!」
「ははは、悪いなウタ。ありがとう」
「!・・・・・・褒めても何も出ないから!」
「はは、そんなに照れなくてもいいだろう」
「っもう!ほらシャンクス!早くルウのご飯食べよ!」
せっせとシャンクスの背中を押すウタが、どこか笑み崩れそうなのを隠しているのはシャンクス自体も気づいていた。
この妖精のように儚くて、大輪の花のように芳しいシャンクスの娘は、どこか大人びたところのある娘だった。我儘は多くなく、シャンクスやベックマンたちの言葉をよく聞いたし、不自然なほど綺麗に笑う。けれどその内心がどこか臆病で、慎重で、情熱よりも静謐の似合う少女であることをシャンクス含めた赤髪海賊団は知っている。言葉による自己主張が苦手で、だからこそ歌で表現しているような不器用な子供。時折子供らしからぬ表情を浮かべて海の向こうを見つめることもあるが、それを不気味だとは思わなかった。むしろ、普段薄い線を引いたような笑みを浮かべながらもコックであるルウの作った食事を伺うようにこちらを見て、笑って促せば目を輝かせて食べ始めるところとか。目まぐるしくうごく小さな体に宿るひたむきさとか。歌を褒めるとその白磁の美貌をむず痒そうに崩して照れるところとか。その全てがいじらしくて、可愛らしくて。ついつい可愛がらずにはいられない自分達の末っ子で、娘。
「・・・・・・えへへ、」
小さく、本当に小さく花が咲くように、ほにゃりとした声で笑うウタに。シャンクスもまた、そっと笑みを浮かべた。
***
ウター!と。元気のいいふくふくした子供の声にウタが振り向くと、ぴょんぴょん跳ねて手を振る年下の子供の姿があった。途端にウタもそのヴァイオレットの瞳を輝かせたが、それも一瞬のことで。ルフィ、と名前を呼ぶ声はどこか綺麗で、それでも隠せない親しみと慈しみがあった。
「ウタ、ウタ!勝負しよう勝負!」
「また?いいけど私は負けないよ?」
「なにをー!?俺が勝つんだからな!」
「まっけおしみー」
「むー!」
「ふふ、ごめん冗談。今日は何がいい?」
「そうだな〜!今日は、」
今現在、拠点としている東の海のフーシャ村。そこで出会ったモンキー・D・ルフィという子供。どこか静かな色香と傾国傾城の甘やかさのつきまとう子供であったウタと面と向かって話しかけてきたのは、ルフィだけだった。なあなあなあなあと後ろをついて回る年下の子供。自分の歌を聞いて目を輝かせて、屈託なく「俺が海賊になったら音楽家を仲間にすんだ!」と笑うから、ウタ自身も毒気を抜かれてしまって。
まあ、端的に言えば絆されていた。いままで、同年代の子供とのやりとりがなかったから、余計に新鮮だったのはあるかもしれない。けれどそれ以上に、ルフィとの子供じみた時間はかけがえのないものだった。
「ウタ!早く行こう!」
「ん、ちょっと待ってよルフィ!」
***
「ベックー」
子猫のように愛らしい声を響かせながら、ぱたぱたと音を立ててウタは迷いなく入っていく。たとえそこがこの船の副船長の部屋であろうと、お構いなしだった。彼の紫煙と火薬の匂いのする部屋はあまり得意ではなかったが、シャンクスと同じく親代わりであり、淡い思いを抱いているベン・ベックマンのものであると考えれば特に気にならなかった。
「・・・・・・ウタか」
「隣、いてもいい?邪魔しないから」
「今度はどうした」
「この前の財宝をわけるんだって騒いでたの。私はあんまり興味ないから、しばらく騒がしそうだし」
だから、ここにいてもいい?と背の高い彼を見上げて、自然と上目遣いになりながら首を傾ける。数秒経ってから、少しあざとすぎたかなと後悔した。周りからはどこか背伸びしたようなウタのみせるあどけなさを可愛いと思われているのだが、ウタ自身はあまり子供であることを免罪符にした言動を好まなかった。何故かはわからないが、子供らしく無邪気に邪魔をするのは恥ずかしいと感じてしまうのだ。
それに、やっぱり少女であろうと女性であるのだ。好きな相手には、子供らしい我儘で迷惑をかけたくない。ベックも一人になりたいことだって、あるよね。そう結論づけたウタはその小さな白い顔を上げて撤回しようとした。が、その前に大きくて硬い男の手が頭を撫でる。壊物を扱うような手つきだった。
「そうか」
それ以外は言わなかったけど。その三音がそこにいることを許してくれたようで、きゅうと胸が熱くなる。どくどくと心音が鳴って、顔が真っ赤なのがわかる。すきだなぁ、と思った。伝えて玉砕する勇気もないのに、こうしてたまに思わせぶりに水を与えてくるから、気づいてるのかななんて思っては心が勝手に浮き足立つ。頭からその男らしい手が離れてベックマンが作業を始めても、ウタは紅葉のような手で頭を抑え、きゅっと唇を噛み締めた。今はただ、この躍動する感情に浸っていたかった。
どうして好きになったのか、なんてわからない。シャンクスやみんなに対しては家族としての思いを向けることができているのに、どうしてベックマンだけ違うのかなんて、もう考えることすらやめていた。だって、気がついた時には好きだったのだ。ウタが赤髪海賊団の船員ではない者に拐かされそうになったとき、一番に駆けつけてくれたこと。ウタが戦闘面では役に立たないからせめて手伝いくらいはと船の中を駆け回っている時に、焦るなと嗜めてそれでも手伝ってくれたこと。歌を目を閉じて聞いてくれて、一言だけでも褒める言葉をくれること。少し苦いタバコの匂いも、ウタを見る穏やかな目も、ウタの名前を呼ぶときの低く掠れた声も。みんなみんな、抱きしめて離したくない思い出で、ウタはこぼれ落ちてしまいそうなほどなみなみ注がれた恋慕を募らせるしかない。
「・・・・・・ねぇ、ベック」
声を出したのは無意識だった。なんでかは、わからない。断られる勇気はないくせに、今聞きたいと思った。静かな後ろ姿がウタの言葉を促しているようで、自分の気持ちを伝えるのが得意ではないけれど、勇気を出した。祈るような心地でその大きな背中を見つめる。
答えてくれなくてもいいから、だからどうか、聞いていて、と。
「もしも、大人になって、ベックのことが好きだったら、告白してもいい?」
そのとき、彼はなんて答えてくれたんだっけ、?
