懐中時計は動き出した


「白ひげ」エドワード・ニューゲートが、荘厳なまでの輝きを持って笑う少女を見た時感じたのは、「お前また面倒なことに」という、なんとも形容し難い感情であった。
頂上戦争。自分の息子であり、宿敵であった男の息子のエースの処刑。それを止めるためにこの長くはないだろう命を燃やしてここにきた。だから、ここで死ぬかもしれないと思う気持ちは、別に構わない。もともと旧時代の遺物のようなモノだ。息子たちの生存があるのであれば自分の死に様など構うものか。だからこそニューゲートは、自分の命と引き換えにしてでも息子たちを逃すと決めていた。末の息子の命が絶たれようとしているこの瞬間を、手を伸ばしながらも届かないとわかってしまうこの絶望を噛み締めながら、ニューゲートは自らの最後の場所をここと定めたのだ。

しかし、それは覆された。悪い意味でなく、いい意味で。
その救いは最も予想していなかったモノでだったが。

ゴール・D・ロジャー。それはニューゲートにとって、穏やかな忌々しさと苛烈な懐かしさを感じさせる特別な名前だ。
海賊王。自分の宿敵。何度もぶつかり合い殺し合い、そして酒を酌み交わした漢。太陽の下で惚けたように笑うのが似合う男。海を愛し自由に愛された男。時折ふっと消えてしまいそうな郷愁と悲しみを込めた笑みを浮かべる、目の離せない大馬鹿者。
ロジャーとニューゲートの関係は、ひとことで表すのは難しい。自分の末の息子の実の父であり、宿敵であり、何の躊躇いもなく殺し合いをする相手であり、酒を酌み交わす相手であり……そして、慕情とも言えぬ情念を抱く相手でもあった。

自覚したのはいつだったか。確か、どこかの島での交戦の後の盃の酌み交わしの時だった気がする。軽口を交わし合っていたと言うのに、不意に伽藍堂な瞳で呆然と、星を煽るかのように見上げながら。こちらが泣きじゃくりたくなるような柔らかな声で、眩しいものを見る目でひだまりみたいに笑うから、つい手を引いてこちらに抱き寄せたことがある。そんな、この男の右腕じゃああるまいに、馬鹿なことを。そう気付いた時には遅く、自分の宿敵はきょとりと幼げにこちらを見上げてきたモノだった。まさか、この男が消えるかも知れぬなどという錯覚に夢中になったなんて言えないことへの気まずさと、こんな大柄な男へ女に感じるような儚さを感じてしまった自分への混乱であった。この男の右腕が宿敵を囲い込むように蛇のような執着と欲望と尊愛を絡めあった情愛を隠しながらも独占欲と過保護さを隠さないことを半目になって見ていたと言うのに、これでは同じ穴の狢ではないか!
それを誤魔化すために、というか、半ば自分が男のそのような、儚くて頼りない笑みを浮かべさせたくなくて、無理やりひどい言葉をかけたように思う。あまり詳しいことは覚えていない。なぜならひどく酔っていた。
しかし、それでもロジャーは、締まりのない顔で、幾分かマシになった顔で、ゆるゆると顔を綻ばせながら花のように笑ったのだ。
『あんがと』
その言葉が、胸の奥を撫でられたように叫び出したくなって。ついでに、彼からしたらとばっちりであったろう憎らしさすら抱いた。一生気づいてやりたくなかった、恋というには温かな感情。
自分が、射殺すような目でこちらを睥睨する色男と同じ穴の貉であることになど、気づきたくはなかった。
結局それは告げることもなく終わった、恋とも愛とも形容し難い慕情であったが。しかしふと思い出してはまるで自分が少年の時分に戻った時のような気恥ずかしさと柔らかな郷愁を持ってニューゲートの胸を暖めた。
……誰にも言わないことであるが、少しだけ。
少しだけ、アレに惹かれた男の中でも、自分がいの1番にアレがいるところに行くのなら、それは少し、嬉しい気がする、と思ったことが。ないわけではなかったから。

そんな密かな思いを持っていた相手が、今目の前にいる。
自分の見知った男ではなく、花も恥じらうような愛らしい少女として、ここにいる。
「よ、ニューゲートォ!元気そうじゃねぇなお前もさっさと帰れや!」
あくどい笑みを浮かべた少女は、全くどうしてあの頃の無邪気な笑みを浮かべていたロジャーと重なる。今の名前はなんと言うのか。どうしてそんな愛らしい姿を得ているのか。というかなんで女になってんだとか。言いたいことは山ほどあった。けれどこの男が、自分の知る性根であることがわかって、少し安堵してしまった。
ロジャーが、この花開くような笑みの似合う顔をした少女が、あんまりにも荘厳に美しかったから。
「随分とちんまい姿になりやがったなお前」
「あ?なにー?ロゼリアちゃんに見惚れちゃったー?中身俺だけどな」
「寒気がするな」
「ひでぇ!・・・・・・それより早くいけよ、あそこで待ってる奴ら見えてねーの?」
「・・・・・・」
「お前はあいつらの、エースの親父なんだから、生きてなきゃだめだろ?ここは俺に任せて、もうちょっと生きてけよ」
そうして穏やかに笑ったロゼリアに、ニューゲートは小さく息を呑んだ。ロジャーにとって、息子が自分を憎んでいることも自分の息子ではないと言い張っていることも、当然だと思っているのだろう。そしてそれでも、生きていて欲しくて。彼の生存には、父親である自分は不可欠であり、しかしそこにロジャー自身の姿はないのだ。
だからこそ茶化しながらも全力で自分を逃そうとする姿は、今の少女としての姿と相まって、どこか悲壮なものを感じさせて落ちつかない。たとえ中身があの頃と変わらぬままとはいえ、どうしても華奢な体といい愛らしさのほうが勝る顔立ちといい、仕草の一つ一つに儚さが残る。そして、自分もほかのロジャー海賊団も、あの色男であるレイリーも嫌っていた微笑み。らしくねぇことを、と舌打ちしながらも、白ひげはロゼリアに背を向けた。
「ロジャー」
「あん?」
「・・・・・・借りはいつか必ず返す。だから、死ぬなよ」
それは祈りであった。焚き火のように緩やかに、残り火が燃え出す音がする。
そうして少女は、ロジャーは、まるで春風のように微笑んだ。


「はっ、誰に言ってやがる。俺が死ぬかよ」

(とまっていた懐中時計が動き出した音)