怖い顔の人
怖い顔の人
海が綺麗なこの世界で、更に海が綺麗に見える島に物資調達のために停泊した日の事だった。
青い空と海、島の急斜面にへばりつくようにして建てられた白い色の建物。直ぐ近くにある農園の緑は若々しい明るい緑色で、夏島であるこの島の陽射しは随分と強い。
よっぽど平和な島らしく、通りすぎる家々の影や広げられたパラソルの下では、島民達が楽しそうにお喋りしたり、お茶を飲んだりチェスをしたりして、のんびりと過ごしている。
船を降りる前に、陽射しが強いからとサッチがかぶせてくれた帽子が風で吹き飛ばされそうになり、慌てて手で押さえたが、帽子は風に乗って高く吹き飛ばされ、私はそれを目で追うことしか出来なかった。
帽子が建物の裏側に落ちたのを確認してから、そっと振り向き、背にしていたお店の中を覗いた。
中ではエースが真剣な表情でガラスケースに陳列されたお肉を見ている。
今夜の宴に使うお肉らしく、せっかくオヤジの快気祝いで食べるんだから、良い肉じゃなけりゃあ駄目だ。と言ったエースは、自らお肉の買い出しに行くことを名乗り出た。
ついこの間の公開処刑によって広く顔を知られる事となったエースが、買い出しに出ても大丈夫なのかと思ったが、特に問題は無いらしい。
ついでに山下も一緒にエースと島を見て回れば良いと、マルコ隊長に提案され、青い海と空に映える白い綺麗な町並みに心を引かれていた私は、喜んでエースの買い出しに着いていくことにしたのだ。
エースはもうずいぶん長いことガラスケースに入ったお肉とにらめっこをしているが、未だにどのお肉にするか決めかねているようだ。
この様子だと、どのお肉にするか決めるのは当分先になりそうだ。
カウンターで笑顔でエースを迎えてくれたお店の人も、若干うんざりした表情をしている。
私は、帽子が風に飛ばされた方の建物に目をやり、それからもう一度店内のエースを見た。
そんなに遠く離れていないし、まだまだ時間がかかりそうなエースの様子を見て、行って直ぐ戻れると判断した私は、帽子を取りに行くことにした。
反対側の道に行き、建物の間の狭い通りを抜けてみれば、さっきまでいた通りのようなわずかに広い通りに出た。
帽子が落ちた場所の目星をつけて、そのあたりを探してみるが、どうにも見当たらない。もしかしたら建物の屋根や、バルコニーの柵に引っ掛かっているのかもと上を見上げるが、帽子は見当たらなかった。
もしかしたらもう少し先の方まで飛ばされたのかと思い、少し通りを歩いてからまた狭い通りに入り、次の通りに出て見回してみれば、開かれたオレンジ色のパラソルの上に私の帽子が乗っかっていた。
また風で飛ばされる前に取ってしまおうと、走り出した矢先に風が吹いて、ふわりと宙を舞った私の帽子は、パラソルから落ちて地面に着地した。
帽子をつかまえようと近づき、手を伸ばし、掴みかけたところで、帽子はまた吹いてきた風に煽られてわずかに浮き上が、り少し離れた所へ行ってしまった。
慌てて帽子へ駆け寄り、掴もうと手を伸ばせば、また風が吹いて私の帽子は私から離れた場所へ飛ばされてしまった。
まるで何かに操られているのかと思う位、私から逃げていく帽子を追いかけて、同じことを何度も繰り返し、ようやく帽子を捕まえ、辺りを見回せば見覚えがあるような無いような場所にたどり着いていた。
とりあえずエースの気配を探り、そちらに歩みを進めるが、まるで迷路のようにいり組む道を進むうちに行き止まりに当たり、たいして変わらない外観の建物のせいで、完全に今、自分がどこにいるのか分からなくなってしまった。
もしかしなくても迷子になってしまったようだ。
今通った道を振り返ってみるが、自分がどの道から入ってこの通りに出たのか分からない。
小電伝虫を使って船に連絡をとろうにも、小電伝虫はエースのズボンのポケットの中だ。
(おや?王はこんなところで何をしておいでですか?)
どうしようかと頭を悩ませていると、そう声をかけられて、声のした方を見ると、建物の2階のテラスの部分から猫がこちらを見下ろしていた。
(こんにちは。実は迷子になってしまったんです)
(それはお困りでしょう。私で良ければご案内して差し上げましょう)
猫はそう言ってテラスから飛び降りると、くるりとこちらに向き直った。
(それで、どこにご案内してさしあげれば?)
首を少し傾げた猫に思わずにやけそうになりながら、エースの所へ、と答えようとして口をつぐんだ。
きっとこの猫はエースを知らないだろうから、他の何か別のものがいいだろう。
しばらく考えた末に、船着き場まで案内してもらうことにした。
船着き場なら白ひげの皆がいるし、電伝虫もあるので、エースへ連絡することもできる。
まかせてください。と胸を張って歩きだした猫の後に続いた。
家と家との細い隙間、塀の上、草むらの中、人の通る道ではなく、猫の通り道を案内されたため、気づけば服はずいぶんと汚れてしまった。
今もまた、家と家との隙間を通っている。
ようやくその隙間を抜けたところで、突然目の前に現れた何かにぶつかってしまい、はね飛ばされた私は後ろに倒れて尻餅をついてしまった。
(王、大丈夫ですか?お怪我は?)
心配して近づいて来た猫の頭を撫でて大丈夫だと伝え、次に何にぶつかったのかは分からないが、とりあえず急いで頭を下げて謝り、いったい私は何にぶつかったのかと顔を上げれば、赤い色が目に入り、ゆっくり視線を上に移動させれば、エースを助けたときに私が子供にしてしまった怖い顔の人が、太陽を背にして私を怖い顔で見下ろしてした。
この人がここにいると言うことは、早めにこの島を出なくてはならないはずだ。
マルコ隊長達はこの怖い顔の人が、ここにいることを知っているのだろうか?
とにかく、のんきに迷子になっている場合では無い事だけは確かなので、立ち上がってその場を立ち去ろうとすれば、目の前に大きな手を差し出された。
きょとりと差し出された手を見つめていると、のびてきた手が私の腕を掴み、強引ではあるが立ち上がらせてくれた。
「怪我はしとらんか」
何がなんだか分からない私は、その質問に条件反射のように縦に首を振って答えた。
私の答え方が良くなかったのか、その人は眉間に皺をもう1本くらい増やして私をじっと見つめた。
「……手を怪我しとるじゃろうが」
そう言われてあらためて自分の手を見てみれば、手を突いて尻餅をついたときに怪我をしまっていたらしく、掌にはかすり傷ができていて、そこから血が滲み出ている。
別に大した怪我ではないので問題ないと伝えれば、眉間の皺がまた1本増えた。
「来い。手当てをしてやる」
有無を言わさない態度で、断る間もなく腕を引かれ、連れて行かれたのは海軍の船で、当然のことながら周りは海軍の人だらけだ。
もし私が手配書に乗っている海賊だとばれたらどうなるだろうか。そんなことを考えると背中を嫌な汗が流れる。
手配書は顔が隠れているのでばれることはないとして、声を聞かれたらきっとこの赤い人には分かってしまうだろう。と言うより、さっき話してしまった気がする。
じゃあ、もしかしたら、手の怪我の治療なんて口実で、本当は私を捕らえるために、わざわざ海軍の船に連れて来たのだろうか。
逃げるという選択肢すらなくしてしまったこの状況で、どうすればいいのかさっぱり分からない。
用意された椅子に腰かけるように言われて、その椅子に座れば、赤い人に顔を覗きこまれた。
「……わしが怖いか」
ええとても。なんて素直に答えることもできずに、ぎこちないであろう笑みを浮かべて首を振ってみた。
「……ふん。お前が海賊なんて言う海のクズじゃないんなら、わしはなんにもせん」
つまり、海賊ならなにかするということですね?
殺してしまうということですね?
そんなことを考えていると、赤い人に手を取られ、何かされると思った私は、覚悟を決めて目を固く閉じた。
ヒヤリとした冷たさの後に、ずきりと痛みが掌に走った。
ゆっくりと瞼を開けば、赤い人は消毒液を染み込ませた脱脂綿を傷口に当てて、手当てをしてくれていた。
思っていたのとは違うその行動に拍子抜けして、肩から力を抜いて、おや?と首をかしげた。
「これくらいならわしでも手当てできる」
私が不思議そうに首をかしげたのを見て、そう言った赤い人は、慣れた手つきでガーゼを当てて包帯を巻いてくれた。
そのままもう片方の手の治療を始めたのを見て、今度は心の中で首をかしげた。
どうやら、私が海賊であることはばれていないようなのである。
声でばれるかもと思ったが、私の声はそんなに特徴のある声でもなかったようで、特にその心配は無さそうだ。
(王よ、お怪我のお加減はよろしいですか?)
道案内をお願いしていた猫は、どうやら着いて来ていたらしく、そう言いながら私のすねに体を擦り付けると、膝に飛び乗って来た。
(あの人が手当てしてくれたので大丈夫です)
手当てが終わって、包帯の巻かれた手を猫に見せると、(それは良うございました)と言って赤い人の方に向いた。
『人間、我らの王の怪我の治療をしていただいたこと、礼を言う』
猫が赤い人にそう言って頭を下げたのを見届けてから、私も椅子から立ち上がり頭を下げれば、短く「かまわん」とだけ返事が返ってきた。
手当てもしてもらったので海軍の船を下りて、皆の気配を探りながら、ひっそりと隠れるように停泊させられていたモビーに戻れば、船が騒がしくなっていた。
「あ、山下!」
突然名前を呼ばれ体をびくりと震わせれば、イゾウと目が合い、迫ってきたイゾウにデコピンをされた。
「どこに行ってたんだ。近くには海軍も来ているし、心配するだろ。エースなんて、俺がモタモタしていたせいで山下がさらわれたって、大騒ぎして町を捜索してるんだぞ」
「ごめんなさい」
イゾウにデコピンをされた所を擦りながらそう言うと、イゾウは途端に厳しい顔つきになった。
「山下、それ、どうした?」
「こけた」
包帯の巻かれた手を指差して尋ねるイゾウに、短く答えると、手を取られ取ってまじまじと見つめられた。
「ひどいのか?」
「擦りむいただけ」
「……じゃあ、まあ、そんなに心配をする必要はないな。
とりあえず、船の中に入っておけ。エースに連絡を入れて、船に戻ったら、直ぐに出港だ。
もしかしたら乱闘になるかも知れねぇ」
イゾウにそう言われて船内に入り、大人しくしていると、間もなく船は動きだし、大砲が発射される音が聞こえてきた。
部屋に取り付けられた小窓から、こっそり外を覗くと、海軍の船に傷の手当てをしてくれた赤い人が、腕を組んで仁王立ちの状態でこちらを睨んでいた。
傷の手当てをしてくれたし、乱暴ではあるが優しい人なのかと思っていたが、まるで親の敵でも見るかのような表情は、"優しい"から程遠くて、やっぱり怖い人なのだと思い直すには十分だった。
end