
誰だって一度は何故自分が生まれてきたのか≠疑問に思うことがあるだろう。普通の家の親が何と答えるかは分からないけれど、両親の愛があっての子なのだと説明するか、コウノトリが子を両親の元へ運んできた、などという美しい幻想で真実を塗り替えるかのどちらかなのではないだろうか。
私も両親に尋ねたことがあった。自分が一つの生命としてこの世に存在しているのか不思議でたまらなかったから。
あの時のことは今でも忘れられない。母は寂れた縁側に座る私の頭を撫で、目一杯の愛情を乗せてこう言った。
「悟様が生まれたからよ」
母は顔も見たことのない赤の他人のために生まれてきた、と告げられた我が子の気持ちを考えなかったのだろうか。
今になってはそう思うけれど、それは紛れもない真実で、全ての起源で、私という命が誕生した意味だった。きっと母にはコウノトリのコ≠フ字も浮かばなかったのだと思う。一般的に綺麗事として丸め込むその理屈が、母にとっては悟様≠セったのだ。それがどれだけ尊いものなのかを語るように、母は私が私であることを否定した。
「貴女はね、私たちの希望なのよ。悟様に見初めてもらえればこの家は安泰だわ」
母は私の絶望など興味がないように恍惚とした表情で名前を呼んだ。
「だからね、皐月。貴女は悟様のお嫁さんになるために頑張らなくちゃいけないのよ」
この久世家は遠い昔に栄華を極めた家だった。しかし、今となっては名ばかりのお飾り一族。術師は排出するものの、実力は乏しく若くして皆死んでいく。
このままでは家が途絶えてしまう。そう焦った両親たちは、お家の存続のため、後ろ盾を──
そんな時、御三家の一つ、五条家の奥方が子をもうけたと風の噂で両親の耳に入った。しかも男児、当主になる子なのだと聞いて、二人はすぐに子作りに励んだ。目的は一つ。その男児に嫁がせる希望を生むため。
そうして奇跡的に母の胎に宿ったのが嫁として嫁ぐことができる女の私で、また奇跡的にその五条家に生まれた男児は無下限術式と六眼の継承者だった。呪術界の均衡をも崩す力の持ち主、五条悟。彼が彼である限り、私は私でいられないのだと、酔った父からたまたま聞かされた時にはそのまま手洗い場に篭って一晩吐き続けた。
気持ち悪い。両親の考えていることも、それを実行したことも、その末に私が生まれたことも、全て思い通りに行くと勘違いしている両親も、生まれた時から胎としか見られていない私も、全部全部気持ち悪い。そんなことをするくらいなら、こんな家世情に任せて潰れて仕舞えばいい。それに、御三家に目通りも叶わない立場なのにどうやって五条の次期当主に嫁がせるつもりなのか。
どう考えても愚策と思われた両親の案はタチが悪いことに、全て上手い具合に運だけで事が進んでいった。
五条家と久世家。呪術界では天と地ほどの格差がある。けれど、それはこの狭い世界では別段珍しい話ではない。それほどまでに長い時を要して私たちの意識に根を下ろしていた。
しかし、呪術界の要である呪術高専では学校らしく学び集う生徒へ平等@^えられている。私たちに根付いていたその凝り固まった思想を直接影響は受けていない、謂わば治外法権と化していた。両親たちが狙っていたのはそこなのだと、彼らの思考が理解できない私に分かるはずもなかった。
全ては五条悟と私が家の格差など関係なしに自然に出会える機会を生み出すために、五条悟が生まれてから間が空きすぎないようすぐに私を作ったということだ。一つ学年はずれてしまったものの、私は当たり前のように五条悟の後輩になる。そこで彼に見初められろと言うのだ。
どう考えても無茶苦茶な博打打ちだというのに、神は両親たちに罰を当ててはくれなかった。反対に運を味方につけた彼らの思う通りに舞台は用意され、この春私は五条悟の通う呪術高専東京校に入学することになった。今更抗おうとも役者は既に揃ってしまった。後は私が筋書き通りに演じるだけ。けれど、私には両親の操り人形になる気などさらさらなかった。
上手くいくはずもない。そもそも、こんな生まれてくる価値もない私が彼に選ばれるわけがないことくらい容易く想像がつく。
そう考えれば少し気が楽になって、高専での生活が少し楽しみになった。親元から離れたお陰で、醜い弱者の悪足掻きを直視しなくて済むのだから。
ようやくまともに息が吸える。五条悟に罪はないけれど、彼との因縁が私に纏わりついている以上、正直関わりたくはなかった。
──しかし、もし彼に嫌われれば、家ごと潰してもらえるのではないか。呪術界に多大な影響をもたらす彼の気分一つで久世家などどうとでもなる。
ずっと曇天を背負っていた頭上が晴れていき、希望の光が差した気がした。
そうだ、それがいい。そうしよう。
私は軽くなる足取りで呪術高専へと繋がる上り坂に敷き詰められた桜の絨毯を踏み締めたのだった。