
「七海建人です。よろしくお願いします」
「灰原雄! よろしく!」
これはまた対照的な二人だと思った。一方は最低限の表情筋で、もう一方は人懐っこい笑顔を浮かべてそう名乗った彼らは、この春時を同じくして入学し仲間となる人達。若干の不安を抱えながら私も彼らと同じように「久世皐月です、よろしく」と名乗り挨拶を済ませる。
話を聞けば彼らは少し前から寮へ入っていたらしく、最後の一人が私らしい。荷解きはもう済んだか、高専内を散策したか、など他愛のない話がテンポよく交わされる。礼節を弁えているその二人の様子に、彼らとなら上手くやっていけそうだと、私は先ほどまで胸の内に霞がかっていた不安を拭い去った。
そうやって寮の廊下で立ち話に花を咲かせていると、向こう側からゾロゾロと足音が聞こえてくる。
「おー、今年の新入生揃った?」
その声に気を取られ、思わず振り向く。目に飛び込んできた白い髪の男に、息が止まった。
あれが、悟様。五条悟。
彼の容姿は、どこから手に入れたのかすら分からない写真を、親から見せられていたことによって把握はしていた。抜けるような白い髪に、清い水面のように透き通った青い瞳。整った容姿に美しいそれらを据えた彼は、やはり神に愛された子なのだと思った。秀でた術式を受け継ぎ、この呪術界を担う者なのだと、大切に大切に育てられた。私なんかとは比べるのも畏れ多い。
写真では伝わらなかった、その誰もがひれ伏したくなる圧倒的なオーラを放ちながらこちらへ歩み寄ってくる彼から慌てて目を逸らす。己の中心で脈打つ心臓を押さえつけながらも、気圧された私は後ずさった。
トン、と背中に衝撃を受け、傍にいた七海にぶつかったのだと、即座に理解する。
「あ、ごめ……」
「何? コイツ顔真っ青だけど」
七海への謝罪は、五条悟がその高いところにある顔をぬっと近寄らせたことによって遮られた。至近距離で対峙したことにより、一層青くなったであろう自分の顔色などコントロールできるはずもない。私は蚊の鳴くような小さな声で「大丈夫です」と言うしかなく、それを受けて彼も興味を無くしたのか「ふうん」と言ったきり、こちらに近寄ってくることはなかった。
私が生まれることとなった理由である彼を前に、好かれるとか嫌われるとか、そんな次元にも達せない。ただただ劣った存在である自分自身のコンプレックスでしかないその人に怯えることしかできなかった。
「五条、早速後輩いじめてんの?」
「いじめてねぇよ。心配してやってるのに」
「そんな態度だから怖がられるんだよ」
「傑、お前だけには言われたくない」
軽口を叩き合う先輩たちを前に、細く息を吐く。顔色が悪い理由を聞かれても困るので、平常心を取り戻さなくては、と意識的に呼吸を繰り返しているとうなじに視線を感じる。斜め後ろをチラリと伺うと七海と視線があった。何を語るわけではなく、ただ無感情に思えるその眼差しに、何も言わないと言うのも居心地が悪く、「さっきはごめん、大丈夫?」と尋ねざるを得ない。私の問いかけにパチリ、一つ瞬きをした彼は「貴女こそ」とトーンを落とした声色で呟いた。
「うん、大丈夫」
「そうですか」
淡々と相槌を打った彼は、ようやく視線を私から外した。彼の何を考えているのかよく分からない眼差しから解放された私も、傍で灰原たちが楽しそうに話している様子に視線を移す。
「この後、時間あるかい?」
「歓迎会でもしようかと思って買い出ししてきたよー」
「え! サプライズですか!」
「バレてしまったからサプライズではないね」
そう苦笑する先輩と、「二人とも楽しみだね!」と満面の笑みを浮かべる灰原の前には、行かない≠ニ言う選択肢は無いにも等しい。
曖昧に頷いた私はゾロゾロと移動して行く集団の後方で息を殺し、なるべく存在感を消してついていく。身体の内を駆け巡る妙な緊張感が外面に出ないよう、気を張っていると、連れてこられた歓迎会の会場となるらしい夏油さんの部屋のローテーブルに、彼らが持っていたビニール袋から乱雑にスーパーのパックに入った食材が並べられて行く。そして、確実に買いすぎであろうスナック菓子の袋や缶ジュースが、机に乗り切らず床の上に散らばり転がる様に戦慄した表情の七海が問う。
「これから一体何が……」
「見てわかんない? タコパだよ、タコパ」
呆気に取られている私たちを前に、黄色いビニール袋から大きな箱を取り出している硝子さんは、箱を開け、中身のたこ焼き器を取り出し、一緒に出てきた説明書を一瞥した後容赦なくゴミ箱に突っ込んだ。
「五条がやってみたいって言うから金だけ出させて全部揃えてやったんだ」
彼女は「優しいだろ」と何事もなく笑って机の上に無理やり作ったスペースへたこ焼き器を乗せた。そして「生地作るの手伝って」と私たちにボウルを手渡した。
「歓迎会、じゃないのか……?」
思わず漏れ出てしまったような七海の困惑した様子に、灰原と苦笑しつつも粉の分量を測ってボウルに入れていく。水と卵を溶き、ダマが消えるまでかき混ぜ、薬味を入れてまた混ぜる。結局準備はほとんど歓迎される側の私たちがすることとなったけれど、それなりに楽しんでいた自分がいたので、ベッドの上で漫画雑誌をめくり、こちらに一切興味も無さそうな発案者のはずである五条悟の圧にも慣れてきたのだな、と密かに胸を撫で下ろしていた。
穴の空いたプレートに生地を流し込んでいけば「お、タコ入れるのやりたい」と美味しいところだけ持っていった彼はそのまま焼けた生地を数個クルクルとひっくり返した後、飽きたと言わんばかりに投げ出してしまったので、皆で手分けしてたこ焼きをつつくことになった。
「これ、意外と大変じゃないか?」
「大きいの買わなきゃよかったんじゃない?」
「じゃあ、悟のせいだ」
「俺が金出してんだから何でもいいだろ」
先輩たちの愚痴を聞きつつ、必死に手を動かす。たこ焼き器の大きさもだけれど、既に結構な量のたこ焼きが出来ているというのに、食材はまだまだ余っている。確かに大は小を兼ねるとはいうけれど、これは流石にやりすぎていた。
「これ、たぶん二度とやんないわ」
「えーせっかく買ったのに勿体ないですよ!」
「灰原、もらっちゃえば? 先輩たちから一年へ入学祝いにたこ焼き器をプレゼントってことで」
「先輩たちから、じゃなくて俺からな」
「ありがとうございます! めちゃくちゃ使います!」
はっきり言って保管するのもめんどくさい先輩たちに押し付けられただけの灰原に「ねっ!」と悪気のない笑顔を向けられたら「うん」と言うしかない。
確か先ほども同じようなことがあったな、とデジャブを感じる。どうやら私は純粋無垢な灰原に弱いらしい。
「物に罪はありませんからね」
「そうだね」
七海も私と同じなのか、やれやれと言いたげにため息を吐きながらもそう言うので、私も同じように頷いた。
大皿に山のように乗せられたたこ焼きが、ようやく皿の底が見えるくらいには胃に押し込んだ頃、それまで食べることで会話から逃れていた私が一番振られたくない話題に卓上が賑わっていた。
「へぇ、じゃあ七海も灰原も一般家庭の出身なんだね」
飲み物を片手に「私もだよ」と言う夏油さんが自然な流れで私の方へ視線を流した。
「久世は?」
「え、えと……」
夏油さんは何も悪くない。確実に聞かれると分かっていたことをすんなり答えられない私が悪い。
それでも、彼≠フ前でその話題を出して欲しくなかった、とわがままな私は思わずチラリと正面に座る五条悟へ視線を向けてしまった。
「何」
「い、いえ……」
怪訝そうな彼の追及に視線を逸らした私は、夏油さんの方に向き直り、腹を括って口を開いた。
「……一応代々術師をやってる家筋ではあります」
その私の言葉に「え! すごいじゃん!」「そうだったんですね」と灰原と七海からも視線を注がれてしまい、ますます居心地が悪くなってしまう。
私なんて二人が思うような大層な家柄ではないし、御三家である五条家の嫡男がいる前なのだから余計にそんな目で見ないで欲しい。
「ふーん、全然知らね」
「こら、悟。失礼だろう」
「いえ、いいんです。本当にその通りですから。今こうして五条の若様と一緒にいるのも恐れ多いくらいなんです」
五条悟は私などに興味もなさそうにしているのだから、それが正しい対応だと納得する。彼がこちらを認知していたら、それはそれで両親は泣いて喜ぶだろうが、私は両親の都合の良いようにことが進んで欲しくないので、寧ろ安堵に肩を下ろしながら、そう告げた。
「五条の若様……」
そう夏油さんと硝子さんが示し合わせたように復唱したその言葉の後にどっと笑った。
そんなに可笑しかっただろうか。事実を言ったまでだと言うのに……
いまだにヒィヒィ苦しそうに息をしている二人を見つめながらぼんやりしていると、正面からドスの効いた声が投げかけられた。
「オイ、その呼び方今後一切すんなよ」
サングラスの奥に在るまばゆい青に刺され、反射的な喉元を引き攣らせた。
「は、はい、すみません」
お、怒らせてしまった。あの五条悟を怒らせてしまった……いやでもいいのか……? それが一番初めに考えていた対抗策でもあったのだし。
グルグルと纏まらない思考を回しながら恐縮しきっていると、横からぬっと伸びてきた腕に肩を抱かれる。
「え〜じゃあなんて呼ぶ?」
完全に悪巧みをしている表情の硝子さんはそう問うた。
「ご、五条様?」
「全然変わってね〜」
ハハハ、と軽い笑い声を上げた彼女は、別の答えを求めるように私を揺さぶった。
「じゃあ、えっと、悟様……?」
さすがに胸の内では五条悟≠ニフルネーム、呼び捨てで呼んでいたとは言えないので、私の中の一般的な呼び方を提案してみるが、それまで隣で黙って聴いていた七海にまで突っ込まれしまう。
「それもほとんど同じようなものでは?」
「え、でも、両親や家の皆そう呼んでたから」
つい、ポロリと零してしまった言葉にしまった、と口を噤むけれどもう遅い。
「なんだそれ、キッショ」
「悟」
夏油さんに嗜められた彼は大袈裟に肩を竦ませて「へーい」と軽く唇を尖らせ、私を一瞥した後口を閉じた。私は「いいんです。これも本当のことですから」と、この場を重いものにしない為だけに笑顔を作って虚勢を張った。
「まぁ〜アレだよ、五条のことは悟くん♡≠ニでも呼んでおけばなんとかなるから」
「硝子、酒入ってないよね?」
「ノンアルノンアル」
一番この状況を楽しんでいたはずの硝子さんは「一服してくる」と自然に席を立つ。それに私たち一年三人は目を丸くして、未成年では? という問いかけを飲み込んで、何も言わずにその背中を見送った。夏油さんも五条悟も特に突っ込むわけでもなかったから、彼らにとってはいつものこと≠ネのだろう。呪術師に変わり者が多いのは至極当然に認知されている話なのだが、それとは別で如何せんガラが悪すぎる。五条悟は言わずもがな、夏油さんは優しいけれどボンタンといい、大きなピアスといい、その見た目が物騒な雰囲気を醸し出している。そして十七歳にして喫煙者である硝子さんも加えて三人並べれば、完全に普通の高校生が発していいオーラではない。実際の任務にあたると一年でこんなにスレてしまうとか、そういうことなのだろうか……
一年後のもしもの私たちを想像し、脳内で灰原がメンチを切ったところで、それは嫌すぎる、と自分の妄想を払い除けた。
手元の空になったアルミ缶の表面を指圧で凹ませる。ベコ、と少し大きな音を立ててまた元の形に戻った。その様子をただ見つめていると、目を伏せた七海がつぶやいた。
「無難に先輩でいいのでは?」
どうやら彼は私が五条悟の呼び方を悩んでいると勘違いしているのだろう。決して間違いではないのだけど、この場においては見当違いなのが寧ろ申し訳なくなったので、私は「そうだね」と一言同調の言葉を返した。
──五条、先輩……か。
言い慣れないその単語を咀嚼するように心の中で繰り返す。なんだか、私が彼の後輩となったことを自分自身で噛み締めているようで、なんとも言えない複雑な心境に追いやられる。事実と言われればそれまでなのだけれど、やはりまだどこかに現実を受け入れたくない自分がいるのかもしれない。
私が生まれる前から両親たちが喉から手が出るほど欲していたこの状況で筋書き通りに五条悟と出会ってしまったけれど、彼には最悪の印象を与えることができたのだから、上々の滑り出しなのではないだろうか。そうでも思い込まなければやってられない。
私は彷徨した思考を現実に落とし込み、自分で付けてしまったアルミ缶のヘコみに親指を沿わせ、そのまま思い切り潰した。決心にも似たその音は、私の鼓膜を大きく震わせた。けれど小さな卓の上で会話を興じる彼らは、そんなものなど一切気に留める様子はない。そのことに私は胸を撫で下ろし、愁眉を開くのだった。