二十八、望むもの 参



 天変地異でも起きたかのような乱雑な部屋には、全てを照らし出すには心もとない月明かりが差し込んでいる。
 数刻前、失くし物をしたと泣きついてきた直哉の言葉に、思い当たる場所をしらみ潰しに探し始めるも見つからず、とうとう自室にしまっていた私物まで全てひっくり返していた。すっかり日も沈み暗くなってしまったけれど、未だ灯りをつける頃合いを見失ってしまっていた。

「何やってんだ」
「ちょっと探し物をしていて……」

 背後から唐突にかけられた私は、手元から目を離せず返答する。
 視界の隅で影が揺れた。開け放っていた部屋に侵入することは容易い。けれど畳を踏む音一つなく、呪力の気配すらないのはどう考えてもおかしい。
 私は咄嗟に顔を上げ、相手を目視するべく振り向いた。

「甚爾!?」

 予想外の人物に驚きの声を上げ、緊張を解く。

「なんだかすごく久しぶり……声変わりしたからかな。話かけられて誰か全然分からなかった」

 立ち上がっても尚、頭一つ分ほど見上げる形なってしまうことに気づく。
 よくよく見れば鍛え上げられた体躯に、研ぎ澄まされた風格を携えている。しばらく会わない間に多大な努力と成長を重ねてきた証拠だった。
 喜ばしいことには変わりはないが、その成長を見届けられなかったことが惜しまれた。

「……お前は変わらないな」
「今更変わっても変だもの」

 甚爾は「そりゃそうだよな」と呟き、不意に視線を落とす。徐に屈み本を手に取った。色褪せた菊の模様と和綴の紐。かつては色鮮やかだった表紙を撫で、中身をパラパラとめくっていく。

「両面宿儺か」

 私は咄嗟に手で文字を隠す。遠い昔、私だけの想いを綴った日記。それを今更人目に晒すのは堪らなかった。
 私に注がれる彼の眼差しを拾い上げるのは容易かった。私は諫めるように「甚爾」と名を呼んだ。

「大事なものなの」

 念を押すようにそう言うと、彼は感情の読めない声色で「知ってる」と言い放った。
 その堂々たる態度に困惑を隠せず「え……」と言葉を漏らすと、彼は揚々と口火を切った。

「お前自身が何を想って、何を願ってるのか。誰かのためなら望めるなんて、どれだけ綺麗事だったか、全部な」
「……どういうこと?」

 何故彼がいきなりそんなことを言い出すか分からず、眉根を寄せ分かりやすく狼狽する。
 甚爾が無愛想な表情のまま口を開こうとした時、ドタドタと忙しない足音が近づいてくる。

「千乃〜! あったで!」

 呼びかけと同時に部屋に駆け込んで来た直哉が、脚に激突する勢いで抱きついてくる。

「なぁなぁ、これ読んでや」

 だからずっと探しとったんよこれ、と手に持っていた絵本をずいっと腹に押し付けてきた。
 探し物はどうやら私の部屋ではなく別の場所で見つかったらしい。どこにあったのか直哉に問うと、自室の畳の下だと言う。何故そんなところにあったのかは分からないが、それは確かに簡単に見つからないわけだと苦笑いを零した。

「邪魔したな」
「甚爾……」

 皮肉めいた言葉を残し、彼は背を向ける。結局、私の呼びかけに振り向くことなく部屋を後にした。

「なぁ今の甚爾くん? 千乃知り合いやったん?」
「うん。直哉は甚爾に会ったことはなかった?」

 袖を引っ張りながら問う直哉に尋ね返す。すると彼は、ううんと首を横に振った。

「あったんよ。一度だけ」

 甚爾が去っていった廊下に視線を投げたまま、静かに言葉を放つ。

「喋っとるとこ初めて見た」
「そう……」

 私も直哉につられて、月明かりに照らされた廊下へ視線を向ける。
 甚爾は一体何を言いかけたのだろう。それが気がかりでならない。私が知らないところで、知らない彼になってしまったような、微かな寂しさと不安感によって胸の内に靄がかかる。

「早よ読んで」

 再び直哉が絵本を押し付けてくる。上目遣いでせがむ彼の手を引いて部屋を出た。

「こっちで読もう。ほら、ちょうど月が見える」
「ほんとやね!」

 軒下から覗く満ちた月の丸さに感嘆を上げた直哉と縁側に座る。
 十五夜の時期だけあって綺麗な月だ。そしてそれに合わせたかのように、直哉の持ってきた絵本はかぐや姫と月明かりを頼りに読むにはピッタリだった。

「膝乗りたい」
「はいどうぞ」
「こういうの、とくとーせきって言うんよ。知っとった?」

 無邪気にはしゃぐ直哉に、肩をすくめ笑いながら首肯する。

「直哉は甘えるのが上手ね」
「それってええこと?」
「もちろん。自分の感情をなかなか素直に出せない人もいるから」

 再び甚爾のことを思うけれど、すぐに頭の隅に追いやる。
 今は直哉の望み通り、この絵本を読まなければならない。そう思い直し、厚い紙をめくりひらがなの文字を追う。
 いつの日か宿儺様に竹取の翁の話を読んでもらったことがあった。あの頃から変わらず存在している物語は多くの者に語り継がれている。一方、私はこの場所から離れることなく、同じ時の長さを過ごしてしまった。やるせなさと昔を懐かしむ想いで、胸がキュッと何者かに握りつぶされたように苦しくなる。

「千乃はかぐや姫みたいやね」

 それまで静かに話に耳を傾けていた直哉が唐突に言い放った。
 私は驚きのままに目を丸くする。徐々に込み上げてくる笑いの波にまかせ、くすくすと声を上げて笑った。

「なんかおかしいん?」
「まさかそんなこと言われるなんて思ってなくて。鬼からかぐや姫なんて、随分と昇格したなと」

 褒めて貰えるのは嬉しいけれど、それは過大評価だと説明する。
 すると膝の上でこちらを見る彼は、キョトンと首を傾げた。

「千乃は鬼なん?」
「昔、そう呼んだ人もいたの。呼び方一つで認識なんてものはどうとでも変わるものだからね」
「じゃあかぐや姫って呼んだら、千乃のはかぐや姫になるってことなん?」
「うーん……それはどうかなぁ」
「ちゃうん?」

 子供特有の質問攻めにたじろぎながらも頷き返す。
 それを聞いた直哉は、よかったぁと心底ホッとした様子で胸を撫で下ろした。

「かぐや姫やったら月に帰ってしまうんやろ。だったら千乃は千乃のままがええもん」

 真剣な言い草になんと返せばいいのか分からず口籠もる。そんな私をよそに、直哉は膝の上から立ち上がり「おやすみ!」と自室へ駆けて行った。

「……月に帰る、か」

 そう考えるとかぐや姫が羨ましく感じる。私が帰る場所なんて、どこにもないのだから。
 私は手元に残された絵本を持ったまま立ち上がる。また失くしたと大騒ぎになるかもしれない。返しに行こうと直哉の部屋へ向かって歩き出す。しかし、すぐ手前の角で誰かに鉢合わせそうになり、慌てて立ち止まった。

「まだやってたのかよ」
「……ちょうど終わったところ」

 バツが悪そうな甚爾にゆるゆると首を横に振った。私はそのまま頭の隅に追いやっていた疑問を口にする。

「ねぇ甚爾。さっき言いかけてたこと、どういう意味?」
「どうもこうもそのままの意味だ。一昨年の台風の日、両面宿儺を思い出してガキみたいにベソかいてたろ」

 訝しげに眉を顰めたが、すぐに眉間の皺を伸ばした。
 甚爾の言う出来事は記憶には全くなかったけれど、心当たりなら己の胸の内に問えばいくらでもあった。あの日と全く同じ空模様であったならば、宿儺様のことを思い出さないわけがない。きっと普段は絶対に口にしないことまで話してしまったのだろう。
 甚爾に聞かれてしまったのは、触れられたくない私の本音だったはずだ。弱みを見せてしまったと、後悔に口を閉ざし視線を落とす。

「まぁ覚えてないのも無理ねぇか。あの時のお前、相当イカれてたからな」

 トントンと己のこめかみを指で叩く彼が、だんまりを決め込んでいた私との間合いを一歩詰めた。思わず後ずさった私に視線を注ぐ。
 私は目で何かを語る彼に恐々と口を開いた。

「な、何」
「可哀想だと思ってな。そうやっていつまでも死人に囚われてたら、終わるもんも終わらないだろ」

 浴びせられた言葉が胸に刺さり息が止まる。しかし、口元は緩く弧を描く。

「……は、はは。まさか、甚爾にまで可哀想だなんて言われるなんて。皮肉でも懐かしく思えるものだね」
「は? 何だよそれ」
「昔同じことを言われたの。甚爾の……というより禪院みんなの先祖にあたる人に」

 千年も経って同じ言葉を同じ血筋の者に言われるなんて、何の因果だろうか。それとも、そう言わせてしまう私が悪いのだろうか。
 今も昔も宿儺様のことで悩んでばかりで、あの頃から何も変わっていない。昔はあんなにも変わりたくないと思っていたのに、変わらないのならそれはそれで気に病むなんていくらなんでも都合が良すぎる。
 私は自虐的な笑みを浮かべたまま、諦念を乗せたため息を吐いた。

「終わりなんてものは絶対に来ないから、私は永遠に囚われ続けるんだと思う。……教えてくれてありがとう。迷惑かけてごめんなさい」

 言いたいことだけを告げて踵を返す。本を返しに行くのはやめだ。明日になってしまうことを心の中で直哉に詫び、自室を目指す。
 途中、ぐいっと腕を掴まれた。甚爾は大きな歩幅で私を追い越し、目的地まで足早に腕を引く。そのまま放り投げるようにして、私を開け放っていた部屋の中に押し込んだ。

「痛っ、な、何?」
「昔、昔って……いい加減現実見ろよ」

 甚爾は掴まれていた所をさする私に向かって、押し殺せない怒りを乗せた声音で言う。後ろ手に障子を閉め、ジリジリと距離を詰めてくる。

「もういいだろ。千年前に死んだ奴のこと思ってても何も変わんねぇよ」
「……そう、だね。私もそう思う。でもきっとそれでいい。変わらないことが罰なんだよ」
「へぇ。だから甘んじて受け入れようってか?」

 怒気を孕んだ声音で責め立ててくる甚爾に、思わず口を閉ざした。無言で見つめれば「そっちの方が都合がいいだけだろ」と吐き捨てるように言った。

「辛いんだろ。苦しいんだろ。あんな誰にも声なんか届かない場所で助けを求めるくらいなら、変わろうとしろよ!」

 壁際に追い詰められた私は、強い語気を浴びせられ、小さく肩を震わせる。決して大声に気圧されたわけではない。何故だか彼の真剣さが恐ろしかった。そこまで必死に訴えかける理由が見えない。そして、彼の言葉がどこか無責任にも聞こえた。
 私は冷静さが欠けないよう気を張りながら、ゆっくりと引き攣った喉奥をこじ開けた。

「……私が変わったとして、一体何になるの。宿儺様が生き返るわけでもなければ、たとえ生き返ったところで合わせる顔もない。本当に、どうしようも……」

 言葉につっかえる。ギリギリで堰き止めていた思いの丈が決壊し、言葉の代わりに涙となって込み上げる。

「そんなもん余計に忘れるしかないだろ。死人に助けを求めたても苦しいだけだってお前自身が一番分かってるはずだ」
「……忘れる? 嘘でしょう……? できるわけない。だってそれは」

 ──私の全てだから。
 そう続けようとしたけれど、それは甚爾によって遮られた。

「そうだよな。お前はずっとそうやって、両面宿儺の記憶を追って生きてるんだもんな」

 真実を言い当てられ、息が詰まった。熱くなった目頭からようやく涙が溢れ落ちていく。視界が明瞭になると目の前にはどこか苦しげに眉を寄せる甚爾がいた。







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永遠に白線