三十、最善の果て 壱



 底冷えのする部屋で一人、真っ白な山を前に膝をついた。目の前には洗い上がった洗濯物が積み上がっている。ここから仕分けをして、アイロンをかけ畳み、各部屋に運ばなければならない。
 昨日から降り続く雪のせいで外には干せなかったけれど、しっかりと乾いている。天日干しより少し柔らかい手触りを確かめながら、どのくらいで終わるかと考えながら手を動かす。
 その時、スパン! と勢いよく障子が開いた。私は人の気配を全く感じなかったことに驚いて、洗濯物の山から顔を覗かせる。しかしその事実が侵入者が誰であるかを証明していた。

「ちょっと匿え」

 音もなく身体を滑り込ませた甚爾は、後ろ手に素早く障子を閉める。

「え……何事?」

 状況が上手く飲み込めず、眉を顰める私に、甚爾は「いいから」と死角に身を潜めた。その数秒後、ドタドタと数人の足音が廊下を駆けていく。
 追われていたのかと合点がいく一方、そもそも何故追われていたのか更なる謎が深まっていく。

「千乃、暇してんなら付き合えよ」

 死角の影から抜け出してこちらに近寄ってきた彼は、自身の羽織の袖に手を突っ込んだ。

「この金でパーっとやろうぜ」

 少し膨らんだそこから取り出されたのは、ぐしゃりと握りつぶされた数十枚の札。上機嫌でニヤリと笑った甚爾に、軽く息を吐いた私は、目の前にある洗濯物の山へ視線を移した。

「暇じゃない上にまずそのお金の出所は?」
「喧嘩止めたらもらったんだよ」
「甚爾が収めたの?」

 珍しいこともあるものだと思いながらも、偉いねと言いかける。しかし、彼の「まぁぶん殴ったけどな」という清々しいほどの告白に、苦笑いを浮かべるしかない。先ほどの追手の様子を見るに、明らかに正攻法ではなかったことが窺える。

「それってもらったじゃなくて、奪ったの間違いじゃ……?」
「ああ? あーあれだあれ、イシャリョーだイシャリョー」
「またそんな適当なことを」
「いーんだよ。少し撒いときゃもう気付かれない。こういう時、呪力がねぇと便利だよなぁ」

 カラリと自虐的に笑う甚爾。私もまた肩を竦ませ小さく笑った。
 彼の横暴とも取れる自由奔放さは、時には咎めるべきなのだろうが、やはり安堵が勝ってしまう。彼には自由が似合っている。だからこそ私も彼が何者にも囚われずに生きて欲しいと願いたい。
 甚爾は隣にどかりと座り、頰杖をつく。そして早々に手元の作業を再開させる私の顔を覗き込むようにして首を傾げた。

「んで、どうすんだよ」
「残念だけど見ての通り外には行けないよ」

 まだまだやることが山積みだと彼の視線を促す。
 彼はつまらなそうにフンと鼻を鳴らしたが、何か良からぬことでも思いついたのか、目の端を細め口角を吊り上げた。

「じゃ、外に出なきゃいいんだな」

 屁理屈のように聞こえる言い分に、私は怪訝に思い眉根を寄せた。しかしそんなことは、ぬっと伸びてきた手が私の肩を掴んだことにより、すぐに意識の外に放たれる。
 抱き寄せられた身体は、意図せず甚爾の頑丈な胸元にしなだれかかる。預けた重心を引き戻そうと膝を立てるけれど、それを引き止めるかのように背中に回る腕。肩口に埋めた顔。首筋を這った熱い吐息がその先を予感させる。

「ちょ、ちょっと!」
「何だよ。少しくらいいーだろ」

 ようやく外に出ずに何をするか≠悟り声を上げるが、甚爾は待ったをかけられたのが不満だったらしい。軽く口元を歪め、物言いたげな目で私を見つめてくる。
 しかし、私もまたジトリと呆れた視線を彼に向けていた。

「……少しで済んだことなんて無かった気がするけど」
「ハハ、気のせい気のせい」

 適当なことを言いながら、当然の如く着物の合わせに差し込まれる彼の手。それを軽く叩けば、流石に諦めたのか抱きすくめる力が弱まった。
 私はすぐさま身体を起こし、緩みかかった襟元を整えて身なりを正す。

「これを片付けても暇なわけじゃないの。この後呼ばれてるから行かなきゃいけなくて」
「誰に」
「ただの宴会の準備。直哉の術式が相伝だって分かったばかりだから、そのお祝い」

 どこか拗ねた表情で口を尖らせていた甚爾は、顔色を変えた。そして神妙な面持ちで私に尋ねる。

「相伝……十種か?」
「いや、直毘人と同じ投射呪法だけど」

 何故、急に十種の話を持ち出したのか。普段の甚爾ならば、興味すら示さず「へぇ」の一言で終わるはずなのに。

「……じゃあ、猶予はまだあるわけか」
「え?」

 驚いて落ちかかった視線を上げると、顎を掬われ、そのまま唇が重なる。
 拒む隙すらなく、見事に唇を奪われた私は目を見開き、目の前にある切なげに揺れた彼の瞳を見つめた。

「まだ俺のもんだろ」
「…………」

 バツが悪そうに目を逸らしながらも、抱き寄せる腕の力強さが、何より切実さを物語っていた。
 この人は、私が自分以外の誰かの唯一になることを恐れている。それは遠い昔の主のことを忘れることができず、そして十種影法術使いに仕えるという縛りがある以上、永遠に自分のものにはできないと悟っているからだ。
 いくら甚爾になんと言われようとも、宿儺様のことを忘れることはできないし、皆が信じきっている縛りも偽りのものだ。彼にこんな顔をさせたのは私のせい以外にない。
 罪悪感。それに突き動かされるように、彼の背中に手を回した。

「……夜なら」

 予想より遥かに、か細い声が漏れた。微かに生じた迷いがそうさせたのだろうか。けれど確かに今、心底安堵を手に入れた確証を欲している彼を前に、望むものを与えたいと思ってしまった。
 私は再び口を開き、少し声を張った。

「夜なら空いてる、けど」

 幾度か身体を重ねてきたが、明確に私から誘うのはこれが初めてだった。
 甚爾は呆気に取られたかのように、ポカンと口を開けた。

「……はは、お前本当にお人好しだな。そんなんじゃ悪い男に騙されんぞ」
「やっぱり片付けで遅くなるだろうから空いてない」
「悪かったって」

 馬鹿にされた腹立たしさと、湧き上がる羞恥心によりそっぽを向いた。それをどうにか振り向かせようと半笑いで謝る甚爾と、意地でもそっちを向いてやるもんかと抗う私の攻防は、もつれ合い、畳の上に着地した。
 不本意ながらも、先ほどまでじゃれついていたのが、嘘だったかのように静寂が訪れる。私たちは横たわったまま見つめ合った。互いに何も言わず、眼差しを注ぐだけ。そして、どちらからともなく唇を寄せた。
 たった一度、触れるだけの行為。慎重に、丁寧に、温もりを、感触を忘れないように。そう思うだけで、こんなに息が震えるものだっただろうか。
 力んだ身体の力を抜く私の隣で、ゴロリと転がった甚爾は、天井を見上げた。

「あ〜あ、暇になっちまったな。どうすっかな」

 そのぼやきを聴きながら、私も彼を真似て冷気が這う畳に背をつけ、天井を見た。

「パチでも行くついで、どうせ外に出るならあの五条の坊でも見てくるか」
「五条……ああ、あの六眼の」

 五条家相伝、無下限呪術の術式を持ちながら、六眼まで所持している麒麟児。五条家が待ち侘びた存在。呪術界の宝で、その均衡を崩す者。名前は確か、五条悟。

「アタリがどんなもんか見る価値くらいはあんだろ」

 それはまるで、禪院家にはアタリなどいないと言いたげな口ぶりだった。






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永遠に白線