三十一、最善の果て 弐



 甚爾にとってはアタリでなくとも、この家の人間にとっては間違いなく相伝の発露はアタリだと扱われる。
 直哉の術式が相伝だと分かった今、禪院家内の力関係は大きく変動していた。将来当主の座に着く可能性が最も高い者への賞賛の裏で、失墜を狙う者、取り入って自分の立場を確立する者の思惑が蠢いている。
 めでたい宴の席だというのに、透けて見えるそれぞれの本音。いくらまだ幼いと言えど、己に向けられた祝福の言葉に潜む違和感を拭えないだろう。
 賑わう大広間。忙しなく働いている女中たちも、残りは酒の用意と後片付けくらいしか仕事が残っていないと、裏でしばしの休息を取り始めた。
 当主・直毘人を筆頭に大人たちは酒を呷り続ける。その中でどこか取り残されてしまったような主役の直哉。私は上座に座る彼の元にそっと近寄った。

「直哉、おめでとう」
「千乃!」

 パッと顔を輝かせた直哉の表情が、一瞬確かに固まった。瞳に浮かんだ戸惑いの色に、私は膝をつき彼の顔を覗き込んだ。

「どうしたの」
「……ううん、なんでもあらへん」

 何かあったのか問うけれど、やはりなんでもないと首を横に振るばかり。
 そんな直哉の様子に困り果てた時、背後から伸びてきた手が肩に乗る。

「千乃、ちょっといいか」

 空き瓶を片手に酒気を帯びた直毘人が顎で部屋の外を示す。私は「分かりました」とだけ言い、直哉に向き直った。

「何か困ったことがあったら呼んで」
「……千乃は味方でおってくれるん?」
「もちろん」
「誰のもんでも?」
「……どういうこと?」

 眉を顰める私を、直哉は真っ直ぐ目を逸らすことなく見つめていた。

「そのまんまの意味やよ。ほら、父ちゃんに呼ばれとるんやろ。早よいき」

 腑に落ちずにいる私を促し、背中を押す。
 私は一度直哉の方を振り向くが、彼は何事もなかったかのように前を向き笑っていた。






 部屋を出ると廊下の先に灯りが宿っている部屋を見つける。直毘人がいる部屋だと当たりをつけ向かってみれば、部屋の前には先ほど彼が持っていた空き瓶が置かれていた。
 障子の外から声かければ「入れ」と陽気な声音が返ってくる。数名の気配を感じつつ、私はそっと障子を滑らせ、部屋の中に足を踏み入れた。

「来たか」

 そう言った当主を囲うように、禪院家をまとめ上げる重鎮たちが腰を下ろしている。

「何のご用で?」
「まあ座ったらどうだ」

 言われるがまま、直毘人の隣に腰を落とすと、「好きに飲め」と適当に酒瓶を渡された。誰かが酌をするわけでもなく、思い思いに酒を呷っている。その様子を見るに、どうやら考えているほど固い場ではないらしい。
 すでに年寄り連中≠ニ呼ばれるようになっている彼らは昔話に花を咲かせていた。彼らの子ども時代を知っている身からすると不思議な気分だが、過去を話せる相手も限られてくる彼らからしたら、私は稀少な存在なのだろう。
 酒に全く口をつけずにいるのも礼を失するので、何度か口に運び、話を振られたら相槌を打つ。それを繰り返していくうちに、私がわざわざ呼び出された理由は昔話をするためではないことを悟り、盃を置いた。

「──それで、そろそろ本題を。この後も仕事が残ってるので」

 夜は空いていると甚爾に言ってしまった以上、早く後片付けを済ませなければならない。早々に話を終わらせるため、改めて切り出すと、彼らは「そうだったな」と忘れていたと言いたげに各々声を上げた。

「甚爾のことだ。お前はアレをどう思う?」

 ヒュ、と喉の奥が締まった。それは今の今まで甚爾のことを考えていたからでもあり、核心に触れない言い方に、悪い予感がしたからでもあった。
 目の前の彼らに甚爾との関係を知られてしまっているかもしれない。不都合と言うには無粋だが、良いとは言い難いのも事実。そしていつかは来るかもしれないと、ずっと心の片隅で恐れていた。

「どう、とは?」

 私は最もふさわしい答えを出すために、探りを入れた。すると「これを見ろ」と直毘人からいくつか手渡される。本にしては薄いそれを開くと、着飾った着物の女が固い表情でこちらを見ていた。

「禪院家との繋がり欲しさに他所から見合いが来ていてな。今のところ当てがう相手が見つかっていないのはアイツくらいだ。適任だろう」
「見合い」

 止まった思考のまま、そう繰り返す。
 甚爾との関係を咎められるわけではなかったことに安堵しつつ、そうであった方が良かったかもしれないと胸が痛んだ。しかし、甚爾にとってはこれで良いのだと思い直す。

「アレは見目だけはいい」
「儂に似たか」
「アンタの息子じゃないだろう」
「俺は冗談でも実子があんな能無しなど御免だな」

 私の心情など知らない彼らは好き勝手に言い合う。ドッと笑いが湧き上がる部屋の中。私は不快なその会話を断ち切るため、感情が乗らないよう気を張りながら声を上げた。

「──それならば、いっそ婿に出しては?」

 その一言で笑いが静まる。視線が注がれることに臆せず、端的に述べる。

「厄介払いができるいい機会かと」

 この場において最も耳障りの良い言葉を選ぶと、いとも簡単に同意の声が返ってきた。

「妥当だな。万が一子が優秀ならば引き取ればいいだけの話だ」
「先代当主の血縁ならば十分ありえる。見合い相手の選定も慎重に行うべきか」
「重視するべきはやはり術式。そうするとやはり──」

 ずっと考えてきた。甚爾は早く家を出るべきだと。嫁を取るより、婿に行けば確実に禪院から離れられる。完全な自由は手に入れられない可能性の方が高いが、いつまでもここにいるよりマシなはずだ。
 手元にある見合い写真をざっと眺める。素早く家名を確認した後、最も権力争いと縁遠いところにあり、なおかつ思想が凝り固まっていなそうな歴史が浅いと家を選び、目の前に並べていく。

「術式が重要だとしても、相手側の思惑が当家の害にならないことが一番かと。こちらの要求を呑ませやすく、今後恩を売っておいて損のない相手……現状の関係性を鑑みるに、この辺りでは?」

 申し分のない実力を持っている相手まで選び抜いていけば、残るのはきっと高専出の女性だ。甚爾の生い立ちを聞けば、きっと外の世界で自由にさせてくれるだろう。
 藁にもすがるような思いでそうであることを祈ることしかできない。私が口を出せるのもここまでだ。「仕事に戻らなければならないので、この辺で」と席を立つと、隣の直毘人がチラリと視線を投げ「ご苦労」と言った。

「お前に相談して良かった」
「……そう、それはよかった」

 甚爾との関係を、直毘人だけはきっと勘付いている。だから立ち振る舞いを試し、釘を刺したのだ。
 己を律せていなかったことが悔しい。そして確かに向けられる好意と信頼を無碍にできず、いつまでも嬉しいと思い上がってしまったことが何より情けない。
 涙だけは流さないと強く唇を噛み、自室へ繋がる長い廊下をひたすら歩く。たどり着いた先には、壁に寄りかかって眠りこけている甚爾がいた。
 約束通り、待っていたのだろう。気配で起きそうなものの、予想以上に無防備に寝ている。
 彼にとって安心できる場所であることが嬉しかった。しかし、そう思うのもこれで最後かもしれない。
 私は起こさないよう、押し入れから毛布を取り出してそっと肩にかける。彼の顔を覗き込むと伸びきった横髪が、くっきりと浮き出た輪郭を撫で、頰に張り付いていた。私はそれを梳き、耳に掛ける。

「……約束破ってごめん」

 その夜、再び自室に足を踏み入れることはなかった。






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永遠に白線