6.もしもの愛 I
「先輩、おかえりなさい! 復帰おめでとうございます!」
待ち合わせ場所に到着した直後にそう歓迎されるものだから、わたしは思わず苦笑する。
「ありがとう、灰原くん。相変わらず元気そうだね」
「はい! ちゃんと三食食べてるんで!」
「う〜ん、それは健康的で素晴らしいね」
屈託のない笑顔が眩しすぎる。五条くんを筆頭にみんな外見は若く見えていても、割と年相応に精神が擦り減っているのに対し、灰原くんは学生時代から輝きを失っていない。
今の学生の子と比べても遜色ないのではないかと思いながら、サングラスでも持ってくればよかったと密かに後悔する。
任務を終わらせる前に目が先に潰れてしまう可能性がないことを祈り、簡単に任務内容を確認し現場に向かう。
「簡単な任務についてきてもらっちゃってごめんね。ブランクあるから低級の任務から当てられることになって……」
晴れて失業者になってしまったわたしは、呪術師に舞い戻る決断を下した。
決め手になったのは、高専に住んでいるのにもかかわらず特に役に立つわけでもなく外に転職活動をしに出るのが心苦しい、というのと、一度呪術界を離れているせいか向いてなければその時はその時。また一般人に戻ればいいやと思えるのが一番の理由だ。
「いえいえ、七海もすぐ一級に戻ったし、先輩も大丈夫だと思いますよ。夏油さんにもよろしくって任されたので気合い入れてサポートしますよ!」
「……また夏油くんかぁ」
「何が言いました?」
「ううん。何でもない」
夏油くんが灰原くんに任せた理由はなんとなく分かる。単純に彼を信頼しているというのと、わたしの戦闘スタイルと相性がいいからだ。……そこまで考えてくれているものだと願いたい。
「そういえば、先輩ってなんで呪術師辞めたんですか?」
「君って子は聞きづらいこと躊躇いもなく聞くねぇ。別にいいんだけどさ」
「そういうとこが長所だって気づいたので、直してません!」
「おおう、強かに成長してる……」
後輩の成長を喜びつつ、その打たれ強さは素直に見習いたい。
わたしは恐らく、きっとその部分が強くない。
「……手遅れな現場に送られることって時々あるでしょ? 学生時代、たまたまそういう任務が続いて、全て助けることはできないんだって思い知って、時には遺族に責められて、わたし何やってるんだろうって思う瞬間があったの」
我ながら情けないと自嘲する。
灰原くんは笑うことなく「わかりますよ」と頷いた。わたしは眉を下げ「ありがとう」と言って過去に思いを馳せる。
「全部ダメな時って、本当にびっくりするほど不意に死にたくなるものなんだよねぇ。今だから言えるけどわたし、任務でわざと死のうとしたんだよ。そしたら夏油くんがわたしの心の中を読んだみたいにすっ飛んできてさ、何でもないみたいにササっと祓っちゃって。その時思ったんだ。何も出来ないまま、何も報われてないまま死ぬのって悔しいなぁって」
静かに耳を傾けている灰原くんに「わたしが夏油くんにフラれてるの知ってるでしょ?」と聞くと、一瞬気まずそうに目を泳がせた後、嘘はつけなかったのか、はいと一つ頷いた。
わたしはその様子につい笑みを溢してしまう。
「だから余計になのかな。どこかみんなが知らない別の場所で幸せになってやろうって思って辞めた」
「思い切りがいいところ、先輩らしいですね」
「それ、褒めてる?」
「もちろんですよ!」
確かにふと死のうと思ったり、辞めようと思ったり、いい意味でも悪い意味でも思い切りがいいかもしれない。
戦闘を含め何に置いても決断が早いことに越したことはないので、そういう意味では呪術師は向いているのだろう。
「でも先輩が夏油さんにフラれててよかったです。もしフラれてなかったら今こうして会えてなかったかも」
「うん、確かに……なんか複雑だけど、そうかも」
悔しいと思ったのは間違いなく夏油くんにフラれていたからだ。もしフラれていなくて悔しいとも思わずあのまま呪術界に居続けていたら、別の任務で死んでいたかもしれない。
今こうして同期や後輩が一人も欠けずに生存しているのは奇跡にも等しい。そう思うくらい人は簡単に死ぬものだと、わたしはあの頃から痛いほど知っていた。
任務は至って普通に終わった。学生でも祓えるくらいの呪霊だったおかげで、肩慣らしどころかあっけなく、帰りに灰原くんとランチで丼ものとパフェを食べるために二軒はしごしたくらいだ。
彼は次の任務があると途中で別れ、わたしは高専に戻ってきた。
「灰原との任務、どうだった?」
「問題なかったよ。灰原くんのおかげって……その格好何?」
背後から声をかけられ、振り向くと袈裟を纏ったこれまで見たことのない格好の夏油くんが立っていた。
「これかい? ただの副業さ」
「えっと……コスプレイヤー?」
「残念。教祖だよ」
「いや、わかるか! 何? 教祖って副業でできるものなの?」
またしても意味が分からない。けれど今回はわたしに歩み寄ってくれるようで、ちゃんと説明をしてくれる。
「信者が連れてくる呪霊を取り込めば信者は助かるし、私も手数を簡単に増やせる。お布施を積めば信者は私の顔を拝める時間が長くなるし、高専の懐も潤う。一石二鳥の慈善活動だ」
「自分の顔にお金を積ませるってホストみたいだね……慈善活動っていうか、むしろ悪徳商法?」
「悪徳も何も向こうが札束を積んでくるんだ。猿どもは好きで貢いでいて、私は好意の形として金をもらってる。それの何が悪いんだい?」
「ん……? なんか聞き覚えのある……」
わたしが無職になったのは、胡散臭い宗教に貢いでた社長のせいだ。その胡散臭い宗教って、夏油くんの……?
「まさか、ねぇ」
確かにあの社長、顔採用ばかりするから人事から完全に外された無類の美形好きだと入社直後に聞いたくらいだ。言われてみれば社長が人事に関わっていた時に採用された先輩たちはみんな美男美女だらけだった。となると、あの社長、夏油くんの顔に貢いでた可能性はかなり高い。……その宗教というのが夏油くんのインチキコスプレ教だとすればの話だけれど。
当の本人はというと、人畜無害ですよと言いたげな顔で首を傾げている。
「何かあった?」
「いや、なんでも……」
真相を聞くのが怖い。もし職を失ったことまで夏油くんのせいだとすれば、彼氏と別れたのも夏油くんのせいだと疑い始めてしまう。
わたしは気付かなかったふりをして、話を逸らさなければと話題を探す。
「そ、それより、任務先で灰原くんと昔の話してさ。夏油くんにフラれてよかったって話になったんだよね。結局、良いことも悪いことも何事も結果が全てなんだなぁ」
本人に言うべきではなかったかもしれないが、これくらいしか共通の話題がない。
それに夏油くんも真剣な面持ちで耳を傾けるものだから、わたしはつい本音を零してしまう。
「自分で言うのはなんだか気が引けるけど……術式を認識してから高専を出るまで、あれだけ苦しい思いをしたんだから、絶対に報われるべきだと思うの。だから絶対に幸せになってやるって思って生きてきた。過去の自分を救うにはそれしかないから。でも……上手くいかないもんだよね、人生」
呪いと共に生きるなんて正気じゃない。わたしには自分を大切にしてあげられない生き方は向いていなかった。
誰からも愛してもらえないのなら、余計に自分で自分を愛してあげるしかない。だから、わたしは呪いから逃げて、呪いとは縁遠い幸せを掴もうとした。
きっと上手くいかなかったということは、私の選択は間違っていたのだろう。時を戻せば間違えずに済むのだろうか、と見上げると空が色づいていた。昼と夕と夜が混在しているような不可思議な色の空から、夏油くんへ視線を戻す。
「私たちと過ごしたあの時代も、苦しかった?」
「……結果的に見ればね。苦しかったよ、でもそれだけじゃない」
非常の中にも日常があるように、苦しいながらも楽しかったことはたくさんある。
夏油くんは私の返答に小さく笑みを零した。
「私もだよ。やっぱり、心の底から安堵して笑えたことはなかった。常に心のどこかに死への不安が付き纏ってた」
「夏油くんですらそうなら、わたしがそう思うのも当たり前だね」
わたしだけじゃなかったんだ。その思いが少し心を軽くする。
苦笑するわたしたちは、どこか晴れやかな気持ちで日が落ちるのを見守っていた。
「ねぇ、気晴らしに旅行なんてどうかな?」
「え〜夏油くん持ちなら」
「決まりだね」
明後日九時出発だと告げた彼に「その格好では来ないでね」と念のため釘を刺す。
どこに行くかは知らないが、旅行先で怪しい教祖コスプレと歩きたくはない。「大丈夫だよ。安心して」と笑っていたけれど、前科があるせいか彼の言葉は信用しきれない。
まあ、幸いなことに同じ場所に住んでるんだ。もし袈裟で来たら強制的に着替えさせればいいだけの話だ。
どこかで羽を伸ばしたいと思っていたからちょうどいい。楽しんでくるか、と天に向かってぐっと伸びをした。