8.もしもの愛 V
車内のアナウンスと共に音を立てて開いたドアから現場に降り立つ。任務開始は三十分後、そこから一時間列車の運行は停止するよう手配されている。わたしたちはその一時間の間で任務を完了しなければいけないらしい。
外の空気を吸い込み、固まった身体をぐっと伸ばす。そして周囲の様子を窺うように、駅のホームを見渡した。
「見た限りでは何もないね」
「一種の領域なんだろう。発動するには何かの仕掛けがあるのかもしれない」
わたしたちは一度駅の外に出るため、改札を抜ける。窓口は一切封鎖されており、何かしらの事情があって無人駅になっていることが窺えた。
ロータリーにあるベンチに腰掛け、再び資料に目を通していく。ああでもない、こうでもないと意見を交わしていると、あることに気が付いた。
「被害者の証言を見る限り、みんな駅の外から足を踏み入れてるみたい。もしかしたら中に入ることが発動条件なんじゃない?」
「なるほど。列車から降りるだけでは駄目なのか。中に入らないと認識できない、ということは、恐らく発動条件を縛りとして外からは認識できないようになっている可能性があるね」
呪霊を祓うには見えなければ始まらない。認識するには先にあちらの領域に入らなければならないというのなら、まずはその領域に入ることから始めなければ。
幸いにも被害者は皆生きて帰ってきている。呪霊との戦闘で死なない限りはきっと大丈夫だ。
じゃあ、最初に何をするかは決まりだね」
「ああ。そろそろ時間か。行こう」
特級術師がいるというだけでも心強い。
わたしたちは改札を抜けて再びホームのアスファルトを踏んだ。
──と思ったのに。わたしは自分のつま先を見ていた。
「お前のせいだ!」
「え、?」
思わず間抜けな声を上げた。誰に向けられた怒鳴り声なのか分からず、わたしは顔を上げる。
「助かった奴らと何が違う⁉︎ お前が助けなかったんだろ! お前が見捨てたんだ!」
口角泡を飛ばしながら責め立て、血走った目で睨みつける初老の男性を前に、わたしは再び自然と頭を下げた。下げるしかなかった。
「──申し訳、ございませんでした」
既視感がある。これはきっと、わたしの過去だ。
無事に領域に入れたのだと思いながらも、被害者たちが夢と呼んでいたものは予想以上にリアルで、過去に戻されたと言われても信じてしまうだろう。
浴びせられる罵詈雑言は遺族のやるせない怒り。受け止めなければいけない。それでも、わたしの限界は近かった。
「……大丈夫でしたか」
「はい、大丈夫です」
止めに入ってくれた補助監督さんに礼を言い、車に乗り込む。何も大丈夫ではなかった。
次の任務は山間部にある消滅集落に残っている残穢の調査か。それなら被害者が出る任務ではない。わたしは少し安堵しながら座席に体を預けた。
車窓に映る街並みが緑に変わっていくのをぼんやりと見つめる。手の中で携帯が震えていたけれど、見る気になれずポケットの中にしまった。任務上に必要な情報なら補助監督に連絡が行くはずだ。今はなるべく外界からの情報を断ちたかった。
そっと目を閉じる。疲労が何も感じることのない無を求めて夢の中に誘った。
数時間車を走らせ、対象の場所に着くと一人で帳の中に入る。その足を踏み入れるという行為で、ふと本来の目的を思い出した。
わたしは学生ではなく、出戻りのアラサー呪術師で、旅行気分の夏油くんとわざわざ新幹線でやってきて、人が消えると言われている領域に入って、これからどうにかしてこの領域の主を見つけ出さなければいけない。
過去の追体験といえど、当時の心情に引っ張られすぎていた。今夏油くんは何をしているのだろうか。わたしの記憶ではこの任務で自ら死を選ぼうとしたところを、結果的に彼によって救われている。
そういえば、あの時どういう風に彼はやってきたのだろうか。
思い出そうを頭をひねるわたしの胸に突如衝撃が走る。
「────え?」
熱い。ぐらりと傾く自分の身体に目を落とすと、胴に立派な風穴が空いている。
混乱する思考と共に心拍数が上がる。それにつられて身体の下に広がる血だまりが大きくなっていく。
霞む視界の端に、こちらへ近寄ってくる呪霊を捉えた。これは本当に過去なのだろうか。そう思う間に、力の入らない身体に圧力がかかる。
形容し難い音が体内の中から聞こえてくる。わたしの身体が聞いた最後の音は、自分の身体が潰れる音だった。
「遺体の損傷が激しすぎる。そのまま火葬することになった」
「……そうですか」
──本当に死んじゃった。なんで、どうして。
身体を失っても領域から出られずにいたわたしは、呆然と佇みながら夜蛾先生と夏油くんの会話を聞いていた。
「納骨、立ち会うか?」
「……はい」
わたしの遺体というには原型を留めていない肉塊は、無事に回収され高専まで戻って来ていた。
外見だけで誰か判別するのも難しいそれを、友である彼らに見られるのはわたしとしても心苦しかった。そういう意味では骨で見られた方がマシなので、納骨だけでよかったと密かに安堵する。
自分の骨を見るというのはなかなかない経験だというのに、すでに悲惨な状態の亡骸を見ていたせいか、思ったより取り乱すことはなかった。
ただ、どうやったらこの夢≠ゥら抜け出せるのか。それだけが不安でしょうがない。
せめて夏油くんに気付いてもらえたら、と思ったけれど、やはりと言うべきか彼には見えていないようだった。
この状況ではどうすることもできないので、とりあえず今は学生服姿の彼に付き纏うことにした。
「傑」
しばらくして五条くんと硝子がやってくる。ベンチに座り込んでいた夏油くんはようやく顔を上げた。
酷い顔だ。そんなにわたしの死を悼んでくれるのか。
「火葬終わったってよ」
硝子の言葉に意外と早かったなと他人事のような感想を持つ。
燃やすところが少なかったからかな、と自虐的に笑うわたしをよそに「納骨に行くんじゃないの?」「ああ、行くよ」と会話が繰り広げられる。
「本当に立ち会うのか。付き合ってたんだろ、オマエら」
五条くんの発言に思わず硬直する。
──え、わたしと夏油くんが? 何それ、初耳。
驚きで声を上げるわたしの声はやはり誰にも届かない。
夏油くんは特に否定することもなく、ゆっくりと立ち上がった。
「だからこそ余計にだろう。……もう後悔したくない」
「そうかよ」
わたしは自然と並んで歩き出す三人の背中を見つめる。それが何故だかあるべき形に見えて、追うことができなかった。
──もしかして、ここはわたしの知ってる過去じゃない……?
わたしと夏油くんが付き合っていた、なんてそんなこと、わたしの過去の記憶では間違いなくない。
言いようのない不安が募る。それは当たりだったようで、次から次へとわたしの知らないことばかり起こっていった。
「じゃあ、非術師を皆殺しにすればいいじゃないですか」
「夏油君。それはアリ≠セ。というか多分それが一番簡単だ。非術師を間引き続け、生存戦略として術師に適応してもらう」
狼狽える彼の表情が、擦り減っていく彼の精神が、偏り蝕んでいく彼の思想が、全部わたしの前を通り過ぎていく。
「これはなんですか?」
「◾️◾️……? ◾️◾️◾️◾️⁉︎」
「違います」
「◾️◾️◾️◾️‼︎」
「事件の原因はもうわたしが取り除きました」
こんな悲惨な任務、なかった。
「皆さん、一旦外に出ましょうか」
非術師の大量虐殺。呪詛師。処刑対象。
そんなこと、わたしの記憶には一切ない。
「意味はある。意義もね。大義ですらある」
「ねぇよ‼︎ 非術師を殺して術師だけの世界を作る⁉︎ 無理に決まってんだろ」
──何これ……! 何これ……‼︎
「生き方は決めた。後は自分にできることを精一杯やるさ」
──知らない! こんなの、知るはずがない!
「私に従え、猿共」
──こんな夏油くん、知らない!
「失礼だな。純愛だよ」
「ならばこちらは大義だ」
死んだ。夏油くんが、五条くんに殺された。
彼ら自身はわたしの知っている記憶と何も違わない。ただ、起こる出来事が少しずつ違っていった結果がこれだ。
結果が全て? とんでもない! あらゆる過程が未来を作る。そんなことすらわたしは忘れてしまったのか。
「ハァッハァッハァッ」
荒い息を繰り返す。歪んだ領域の中。目の前には確かに元のわたしの知る夏油くんがいた。
「大丈夫?」
「なんで、そんな、平気なの。夢だとしても五条くんに殺されたんだよ?」
わたしは取り乱すこともなく手を差し伸べる彼を見上げる。
彼はバツが悪そうに肩を竦めていた。
「……ああ、そこまで見てたんだ。恐らく戻ってくる方法は自分の死を見届ける、というよりは、同時に足を踏み入れた人間の死を見届ける、かな」
「本当にリアルな夢だった……それは怖いって都市伝説になるわけだ……」
ゾクリと身震いをして自分の肩を抱く。
今を生きてる人間に己や近しい人物の死を突きつけるなんて、趣味が悪すぎる。それもあんなあり得たかもしれない未来[#「あり得たかもしれない未来」に傍点]。どこかで道を間違えればあの結末を辿っていたかもしれない。
そう零すわたしに、彼はゆるゆると首を横に振った。
「あれは夢じゃないよ。またもう一つの現実だ」
「……なんで、そんなこと分かるの」
キッパリと言い切る彼を怪訝に思い、わたしは恐る恐る尋ねた。
「今見たこと、一度全て経験してるから」
「……は」
震える唇で息を吐いた。
──一体、何を言っている?
彼は困惑を隠せないわたしの疑問を汲み取るも、最優先することが他にあると領域内を見渡した。
「説明は後だ。今はこの領域を破壊することが最優先だろう」
「呪霊本体はどこにいるの……? 中に入れたらすぐ見つかると思ってたのに」
「こんな回りくどい真似ばかりする呪霊だ。出てこないなら、領域ごと消しとばしてしまえば問題ない」
「ってことは、領域に領域をぶつけるのか」
「そういうこと」
これ以上長引かせないためにも力技が一番手っ取り早い。
やっぱり少し強引なところがあるよなと苦笑いを零していると、あることに気がつく。
「あれ? そういえば夏油くんって領域展開できるんだっけ?」
「私だって君の知らないところで努力くらいするさ」
わたしの知る学生時代では少なくとも会得していなかったはずだ。
驚いて目を丸くすると、夏油くんは目尻を下げて柔らかく笑った。
「できたら褒めてくれるかい?」
「うん、そりゃね。わたしにはできないことだし」
「じゃあ、なおさら頑張らなきゃね」
そっと息を吐いた彼は、緩やかな動作で手印を結んだ。
「領域展開────」