タソガレドキ忍軍お家騒動の段 その四









 お兄様達のような強い忍びになって、共に肩を並べたい。
 思い描いていた夢を高坂に託してから約一年半。延々と繰り返す日々にうんざりしていた頃、唐突にお兄様の訃報が届いた。

 表向き父となっている侍大将からの手紙と装い、簡素な暗号のみで伝えられたため、死に至った経緯までは書かれていなかったが、確かに兄は死んだと記されていた。詳細を聞こうにも、新月の夜に誰も来なくなり、直接聞くこともできない。
 きっとタソガレドキ内も混乱しているのだろう。それとも、私のことなどどうでも良くなってしまったのだろうか。兄の死を弔うことすらできず、誰にも動揺を悟らせないよう静かに不安を飲み込む毎日。気づけば季節を一つ跨いでしまっていた。




「まだ寝ていなかったのか」

 近づいてきた足音の主が、すぐ傍で立ち止まった。
 障子を開け、寄りかかりながら外を眺めていた私は、怪訝そうな顔の夫を見上げる。

「何かあったか」
「いえ。最近夜が過ごしやすくなったなと」

 霧が立ち込める今宵は、ひやりと残暑を拭い去るような秋の空気をしていた。

「確かに暑さは引いたが、湿っぽくてかなわん」
「今のうちだけですよ。すぐに冬がやってきます」
「そうだな」

 この時期は長雨に悩まされることもあってか、どうやらお気に召さないらしい。夫は初夏の日差しのように真っ直ぐな人であるから、反りが合わないのかもしれない。
 私はそんなことを考えながら、霞がかった空を見上げた。靄の向こう側に浮かぶ月の光が、ぼんやりと辺りを照らしている。
 その様子が、まるで私の胸の内のようであると思った。どうしようもないこの状況で、思い出だけが故郷と私を繋ぐ縁。最後に残された希望の光であると感じたその時、そっと肩に手が回る。

「……なぁ、そろそろ寝所を一緒にしないか」

 こちらを気遣う柔らかな抱擁。私はあたたかな夫の胸の中で、ああと諦めが胸に満ちた。淡い希望に縋り付くより、このまま身を委ねてしまった方が楽なのではないか。
 早鐘を打つ彼の鼓動は、出会ってから変わらず正直なままなことを証明している。それが、人として好ましいことだと思った私は、頷こうと顔を上げた──その瞬間、ホウ、と梟の声が辺りに響いた。
 今宵は月のある夜。新月ではない。聞き間違えだろうかと、身を固くしながら朧月を見上げる。すると、秋虫の鳴く音の向こう側で、ホウホウと梟が二度鳴いた。
 タソガレドキの誰かだと確信した私は息を呑んだ。捨てようとしていた希望がすぐ傍にいる。この時をどれだけ待ち望んでいたことか。
 私は滲む涙を消し去るように瞬いて、夫に抱かれたまま固い声音で告げた。

「……もしかして、どなたかに早くやや子をと、急かされでもしましたか?」

 私ももう十五だ。嫁いでから二年も経てば言われそうなことを口にすれば、図星だったらしく彼の身体が強張った。

「あ、ああ。だが、私はお前を」

 そこで素直に頷いてしまうのかと、思わず苦笑を零す。私は彼の胸をそっと押して身体を離し、バツの悪そうな顔を見上げた。

「旦那様、周囲に言われたということは、本人には秘密にするものですよ? 女子の心は繊細なんですから」
「う、すまない……」
「いえ、意地の悪いことを聞いてしまった私こそ申し訳ありません。……私の立場を案じてのことだと、ちゃんと分かっておりますよ」

 私が気丈に振る舞えば振る舞うほど、彼は私に強くは出れない。敢えて冗談めかして笑って見せた私が「しっかり考えて参ります」と言えば、彼は「苦労をかける」と弱々しく頷いた。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 自室に戻る夫の背中を見送る。私の足は既に外へと向いていた。

 はやる気持ちを抑えながら人の気配がないことを確かめて庭に出た私は、松の木の下に身を寄せた。そっと見上げてみるが、いつものように人影はない。

「高坂じゃない……?」

 お兄様がいない今、ここに来るのは高坂だろうと思っていたけれど、読みは外れたらしい。伝令なら陣内叔父様か、黒鷲隊の押都様だろうか。そう考えながら、松の木の奥にある影に身を隠す。
 もしかすると、いつものように新月ではないから別の場所に身を潜めているのかもしれない。ちょうど死角に当たる蔵の裏側までやってきた時、闇の中で影が動いた。

「久しぶりだね」

 その潜められた声音は、間違いなくあの人のもの。
 朧げな月明かりの下、霧雨がちらちらと細かく輝く中で、目の前に降り立った相手の姿を捉える。それはまるで月の欠片が降り注いでいるようで、私は思わず息を呑んだ。

「雑……っ!」
「シー」

 声を上げかけた私の口を塞いだ雑渡様は、布で覆った口元に人差し指をやり、静かにするよう求めてくる。それにコクコクと頷くと、そっと手が離された。

「こんな事で驚いちゃ駄目だよ」

 彼は記憶に残る姿のまま、目を細めそっと微笑む。しかし、そう言われようとも、私は驚きを隠すことができなかった。

「何故、雑渡様がここに」
「しばらく人を寄越してやれなかったから、その謝罪に」

 目を見張る私を前に、雑渡様は真剣な面持ちで、深く頭を下げた。

「園人のこと、本当に申し訳ない」
「いえ、雑渡様が謝る事では……あのお兄様が亡くなるということは、余程のことがあったのでしょう」

 頭を上げてください、と言うけれど、なかなか顔を上げようとはしない。きっと他でもこうやって残された家族に頭を下げているのだろう。
 ようやく顔を上げた彼は、事の経緯を語り始めた。

「陣左を含め数名が深傷を負ってね。園人が庇わなければ代わりに皆死んでいた」
「……そう、ですか」
「きっと怪我が治れば陣左は小菜乃に申し訳が立たないと飛んでやってくるだろう。……その時は赦さずとも謝罪だけは」
「大丈夫ですよ。責めるなんて、その場に居合わせることもできない私が言えたことではないですから」

 お兄様の訃報を受けてから、良くも悪くも時が経ちすぎていた。今さら「死を受け入れられない!」と取り乱すことなどできない。

「……少なくとも、高坂はお兄様を忘れる事はないですよね」

 よかった、と呟く私に、雑渡様は驚いたように目を丸くした。

「ここには、お兄様を知っている者はいませんし、私とお兄様を繋ぐ物すらありませんから。……私はお兄様の最期の顔すら知らず、墓の前で弔う事すら許されず、何食わぬ顔で笑っていなければいけない。……本当に、不孝者です」

 込み上げる悔しさに唇を噛む。
 何も返せなかった。立派な姿を見せることすら叶わなければ、一番お兄様が望んでいたはずの傍にいることすらも叶わなかった。罰当たりな妹だ。

「だから、お願いします、どうかお兄様を忘れないで……最期に傍にいてくれたタソガレドキの皆だけには、私の代わりに覚えていてほしいんです」

 ポロリと目の端から涙が零れた。その時ふと、お兄様の訃報を聞いてから泣いていなかったことに気づく。意識してしまえばとめどなく溢れてくる涙を止めることはできず、顔を覆うしかない。

「……次は、きっと大丈夫にしてみせる」

 後頭部に回った大きな手が、そっと自身の腕の中に導く。私はあやすように頭を撫でられながら、彼の胸に顔を埋めた。
 私を包み込む彼の忍び装束は、じっとりと湿っていた。いつからこの霧の中にいたのだろうか。もしかしたら、旦那様とのやり取りも全て見られていたのかもしれない。
 今さら見られたところで慌てる必要などないのに、雑渡様だけには見られたくなかったと思ってしまう。

「与えられた任が解けたら、共に手を合わせに行こう」
「……そんな日が来てはいけませんよ」

 まだ彼の腕の中で抱かれていたい。この頰に張り付く温もりを手放したくない。
 ずっと男女の愛など分からず、これが恋慕なのだろうかとぼんやりと思っていた。しかし、今私の心を支配しているのは間違いなく焦がれた愛であった。
 そう気づいたところでもう後戻りはできない。ここで己を律さなければと、私は彼の腕の中から抜け出した。

「雑渡様、もうここには来ないでください」

 泣き腫らした瞳を揺らし、身を切る思いで訴える。

「お役目のためだけに生きなければと決めたのに、貴方のお顔を見ると……信念が揺らいでしまう」

 信念を貫き通すことは、意外と大変で難しいことだと、遠い昔に彼が言っていた通りだった。

「……分かった」
「我儘を聞いてくださって、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる。
 彼はいつだって願いを聞き入れてくれる。本当に優しいお方だ。

 それから私の言葉通り、雑渡様がやって来ることはなかった。












目次

永遠に白線