一目惚れ




今日は、晴れているものの西から雲が迫ってきている模様の天気。
今日も今日とて上手く声は出ないものの、なんと、今日はやっと点滴が外せました。


朝の検診でご飯はだいぶ食べられるようになったことを伝えたところ、じゃあもうビタミン剤とかで大丈夫だろうと判断されて脱点滴。自由度が増したのでテンションが上がる。腕に刺さっていたアイツがいないだけでとても嬉しい。

(しかも今日は幸村さんと図書室!楽しみだなぁ。)

まさか入院している病院で友達ができると思わなかったので、幸村さんと知り合えたのは本当に嬉しい出来事だったし、言葉が十分に出ない私の話をちゃんと聞いて理解してくれる幸村さんは本当に優しい人だと思う。
私のたどたどしい話し方に怪訝な顔をすることもなく、会話をしてくれる幸村さんと今日も話せるという事実が私をウキウキさせた。


そんな気分で午前中はテレビを見て過ごし、お昼ご飯を食べてお昼寝をしていたらもうすぐ待ち合わせ時間、という良い感じの過ごし方ができた。
鼻歌でも歌えそうな気分で待ち合わせ場所に向かうと、幸村さんはまだ来ていない。午前中よりも曇った空を見上げてぼーっと待っていると「一条さん」と後ろから声がかかり、振り向くと車椅子に座った幸村さんがにこやかに手を振っていた。私も笑顔で幸村さんに歩み寄る。

「こんにちは。」
「こんにちは、待たせちゃったかな?」
「いいえ、(来たのついさっきですし)大丈夫です。」
「それはよかった。」
「幸村さん、車椅子(押してもらってるんですか)?」
「うん、少し体調が優れなくてね。」

昨日一昨日と会ったときは一人で車椅子に乗っていたので少し驚いた。
大丈夫かな…と心配している私をよそに、看護師さんは何かを察したのか「車椅子お願いしても大丈夫?」と言ってくる。快く引き受け、ハンドルを握り、ゆっくり押すと幸村さんの重みを感じた。


「(ふおお…これが車椅子の感覚…!人が生きている重みをリアルに感じるなぁ。あ、でも私、車椅子初心者だけど大丈夫かな?そもそも幸村さんは体調大丈夫なのかな??)幸村さん、……その、大丈夫……?」

(思ったように!言葉が!でない!!)

自己嫌悪しつつも必死に伝えようと幸村さんを見つめると、彼は少し目元を和らげゆっくりと話し出した。

「ああ、うん、大丈夫だよ。図書室に行ける程度には元気だし、君が運転する車椅子は快適だ。」
「(すごい…概ね伝わってる…!?)それはよかった、です。」
「ところで図書室の場所わかる?」
「調べてきました。」
「よし、じゃあ行こう。」

幸村さんに促されて図書室へ足を向けると、「いってらっしゃい。何かあったらすぐ呼んでね。」と看護師さんが手を振ってくれました。



*****



旧館の図書室に入ると古い本のにおいがした。私は実は、このにおいがどうしようもなく好きだったりする。
(前に市立図書館に行ったときは新しい本のにおいだったしね…)

やっぱり図書室はこうでなくっちゃ!と思いっきり深呼吸をすると、その呼吸音が聞こえたのか、車椅子越しに幸村さんのくすくすと笑う声が聞こえた。

「一条さん、古い本のにおい好きでしょ?」
「あ…ばれちゃいました?」
「うん、ばれちゃってるよ。俺もこのにおい好きだから気持ちはわかるけど。」
「ふふ、一緒(ですね)。」

お互い小さく笑いながら本棚の間を歩いていく。
人は全然いなくて、図書室担当の職員さんと看護師さんだけ受付にいる程度なのでとても静かだ。

「幸村さん、本、…(なに読みますか)?」
「読みたい本があるんだ。世界の画集のコーナーに行ってもらってもいいかな?」

(世界の画集かぁ…面白そうだな……)

普段読まないジャンルなのですごく気になる。幸村さんのおススメの画集とか教えてもらえないだろうか。楽しみだな〜と、うきうきと車いすを押しながら歩を進める。世界の画集コーナーにつくと幸村さんはルノワールの画集をそっと手に取った。
興味がわいてのぞき込むと「一緒に見る?」と聞かれたので、大きく頷いて机へ向かう。幸村さんと車いすを机につけ、私も隣にお邪魔すると彼は画集のページをめくり始めた。

「一条さんは画集はよく見る?」

いいえ、と首を振ると、彼は「じゃあ教えてあげる。」と楽しげに語り出した。

「これはルノワールという画家の画集でね、俺のお気に入りなんだ。ルノワールはフランスの印象派の画家で、特に人物画が有名なものが多いんだけれど、人への関心の深さが表れていて、明るい風景画よりも、若々しい女の人の肌の上に点々と落ちかかる木漏れ日を描写することに熱意を燃やしたそうだよ。純粋な風景画でも、ルノワールの作品は、単に目に映る光の描写じゃなくて、植物の生命力や生々しい実体に関心が向けられている。見ていてとても、心奪われるんだ。」
「(へえ、すごい面白い話だな…)すごい…詳しい、ですね。」
「うん、好きだから調べたんだ。あとは俺もたまに絵を描くから…憧れているっていうのもあるかもしれない。」

そう屈託なく微笑みながら、幸村さんはページをめくる。その間も彼の解説は静かに生き生きと続き、よほどルノワールが好きなんだろうということが伝わってきた。そのうちにたどり着いたページで、彼はそっと手を止める。

そのページの絵はあまりにも美しく、私も思わず息を止めて見入ってしまった。
そしてあまりにも有名なその絵の名前を私は知っていた。

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢…。」

幸村さんは静かに頷く。しばらく沈黙が続き、呼吸を取り戻した私の第一声は、うっとりするような声色でこぼれた。

「きれい……。」
「分かってくれて嬉しいよ。俺の一番好きな絵で……実は一目惚れ、したんだ。」
「わかります…!」

(そりゃあこんな綺麗だもの、私だって見とれましたよ!)

照れたように笑う幸村さんに、大きく頷いて同意する。私もすっかりイレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢に惚れてしまっていた。立派な一目惚れだ。
勢いよく同意しつつ幸村さんに視線を移すと、何に驚いたのか、彼はキョトンとした顔をしていた。

「幸村さん…(どうしたんですか)?」
「……、ああ、ごめん、ちょっと驚いて。」
「びっくり?」
「うん、びっくり。」

何で?と問いかけるように見つめてみると、彼は答えてくれないどころか、フフフと笑い始めてしまった。
(いつもはすごく察しがいいのに!)

何がツボにはまったのか、くすくすと静かに笑い続ける幸村さんに思わず私もつられて笑ってしまう。

「もう、何笑ってるんですか。」
「秘密。」
「ずるいです!」
「フフ、今度気が向いたら教えてあげるよ。俺の初恋の話もね。」
「幸村さんの初恋は彼女でしょう?」

そう言いつつイレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢を示すと、彼は「察しがいいね」と笑みを深めた。これまでの彼からは想像もつかないほど楽しげなので、この人は本当に彼女に憧れているんだなとほっこりする。



幸村さんが唐突に爆弾を落としてきたのは、そんな時だった。



「ところで、一条さん。さっきからスムーズに話せていることに気づいてる?」



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