幸福




夏の日差しも朝は爽やかなものである。

窓から差し込む光に目を細めつつ、目の前に座る先生を見ると今日も彼はダンディに微笑んだ。

「体調はどうかな?3日間寝てたけど動けるには動けるだろうか。」
「はい、…点滴のおかげ、(もあって、だいぶ回復してきてますし)元気。」
「声は………今日もちょっと本調子ではないみたいだね。」
「そう、(ですねぇ…言いたいことの半分くらいしか出てこないです…)はい。」
「ちなみに昨日は何をして過ごしたんだい?」
「お散歩、しました。」
「………おさんぽ。」
「(あれ?なんか先生が真顔だな??)はい。」
「…………。」
「…………。」


暫く沈黙が続いて先生と見つめあってしまったが、突然彼はため息をついて「美里さん」と呼び掛けてきた。思わず身構えてしまう。

「は…はい。」
「君は何で先日意識を失ったか覚えているかな?」
「い…いっぱい、知らない人(がいて倒れたんだっけ)…?」
「そうだね、知らない人々に囲まれる恐怖で過呼吸から意識を失った。それは分かるね?」
「はい。」
「そんな君が病院を歩き回って、不本意に大勢の人の集団に囲まれる事態になったらどうだろう?」
「(それはやばい)」
「あとね、病院なんて知らない人の集まりなんだから君の病状を考えるに…出来るだけ病室に…と思うが…、でもそれだと治るきっかけが掴みづらいか…。」

(言われてみればそうだよね…危うく地雷踏んでまた倒れるところだったかも…)

思案顔になった先生は、うーんと悩みつつも打開案を提示してきた。曰く、なるべく人通りの少ない所で活動するようにとのこと。

「人通りの少ない廊下を通ったり、とにかく人が多そうなところは避けるように。まあ君の病室は旧館だし、新館の方に近寄らなければ大丈夫だろう。できるかい?」
「(要するに旧館で過ごすようにってことだよね)できます。」
「そう、じゃあくれぐれも無理はしないように。いいね?」

少し心配そうに見つめる先生だったけど、こくりと頷くと目元を細めて微笑んでくれたのでした。(とてもダンディでした)



*****



ということで、なるべく近場でカラコロと点滴を連れてお散歩する事にした。
先生の言ってたように私が入院してるのは旧館のお部屋なので、端の方へ歩けば自然と人は少なくなってくる。最近増築したばかりなので旧館、新館と区別はしてるもののどちらも綺麗で過ごしやすい。

(でも確かに、旧館の方が静かで私は好きだなぁ…)

穏やかな気持ちで歩いていると、中庭が見下ろせるスペースに出た。昨日も同じような所があったので、そういったつくりなのだろう。例によってちょっとしたソファーや自販機も置いてあるので、少し腰掛けて外を見てみることにした。

(日差しが程よくあったかいなぁ……)

うとうとしつつ、中庭を眺めてると、庭師さんが白い花に水をあげはじめる。
どこかで見た様な花だけれど名前が思い出せなくて、うううん と唸っていると少し思い出してきた。

「(あれ、何だったけっけ…花束によく使う…ああ、) カスミソウ。」
「そうだね、あれはカスミソウ。でも地植えなのに水やりをしてしまっては駄目だな。」

ポツリとその花の名前を呟くと、突然背後から返ってくる同意。驚いて振り向くと、少し眉根を寄せた幸村さんがいた。私と目が合うと「昨日ぶりだね」と微笑んで車椅子を寄せてくる。

「(どうしてここに…っていうか、近寄ってきたけどどうしたんだろう?) 幸村さん?」
「ちょっと散歩してたんだけど1人だし飽きてきてね。話し相手になってくれないかな?」
「(なるほど、お話したかったのか) いいですよ。」
「ありがとう。」

そう言うと幸村さんは中庭に視線を戻す。
釣られて見ると、まだ庭師さんがカスミソウに水をあげているところだった。ところで、さっき幸村さんは「水やり駄目」って言ってたけど、どうしてなのだろうか。
少し気になって幸村さんを見ると、私の視線を感じたのか、苦笑しながら教えてくれた。

「カスミソウに水を与えすぎると根腐れを起こしてしまうんだ。特に地植えだともう水分は足りているからね。」
「(へえ、知らなかったなぁ…) あげすぎも、ダメ?」
「そういうこと。」

「与えすぎは良くないんだよ。…何事もね。」と言って幸村さんは黙ってしまう。また何か考え事でもしているのだろうか。

(それにしても、与えすぎは良くない、かぁ…)

すごくよく分かるけど、何だろう、カスミソウに関してはどちらかというと逆な気もする。私の考えはポロっと零れた。

「カスミソウは、強いんですね。」
「………え?」

考え事をしていた幸村さんはキョトンとこっちを見る。見られた私はたどたどしくも一生懸命言葉に出す。

「水が、なくても、咲く。自分の力で、咲ける。すごいこと。」
「ああ、そうか…逆の視点だね。」
「(伝わった…!) そう。“幸福” は、強い。」
「幸福は強い……。」

カスミソウの花言葉は“幸福” 。
幸福が咲くには人の手なんて要らないのかもしれない。見た目はほわほわと可愛い花だけれど、その実とても強いと思う。言葉で伝えるのは難しいけれど、とても察しのいい幸村さんの事だ、多分大丈夫だろう。
そう思って彼を見つめると、ほんの少しだけ目元が緩くなっているのが確認できた。そのまま柔らかい表情で話しかけてくる。

「いい言葉だね、そんな見方が出来ると思わなかった。」
「ありがとう、ございます…?」
「(昨日も思ったけど、この子と話すのはとても新鮮な気持ちになるな…) 良かったら、これからもこうして話さないかい?」
「(これはもしや…お友達が出来たということだろうか!もちろん、) 喜んで…!」
「それはよかった。改めて自己紹介するよ。俺は幸村精市。…君の名前は?」
「一条美里、です。」
「そう、一条さん。これから宜しくね。」

そう言って綺麗に笑う幸村さんは握手を求めて手を差し出した。

握ると、硬い固い、手だった。

きっと本人も気にしているのかもしれないので、手のことには触れずにそっと握る。その笑みにほんの少しだけ苦笑を混ぜて、幸村さんはゆっくり手を離した。

「じゃあ、少し話そうか。今日は検診の時間は大丈夫かい?」

そういたずらっぽく言い出した彼に「大丈夫です」と笑いながら返す。

「それは良かった。俺は新館の方の病室なんだけど、一条さんは?」
「私は、旧館。」
「そうなんだ。旧館は居心地が良くていいよね。図書室はもう行ってみた?」
「(図書室なんてあったんだ…!) まだ、です。」
「あ、じゃあ明日一緒に行こうか。」
「(幸村さん、体調とか大丈夫なのかな?) 良いんですか?」
「うん、大丈夫。ここに2時に集合でどうかな?」
「(明日は何もなかったはず…) うん、大丈夫、です。」
「それなら、決まりだね。」

(図書室かぁ…暇つぶしに本を読めるのもいいなあ)



何の本を読もうかワクワクしていると、幸村さんにも伝わったのか、自然と本の話になり、おすすめの本の話をしながら穏やかな午後を一緒に過ごしたのでした。



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