世界の歪み
美しい桜が舞っている。
見れた校門を抜け、教室の扉を開けると、長い髪を揺らしながら窓から桜を見ている藤宮さんがいた。
「あれ? 城戸くん朝早いんだね」
そう微笑む彼女は私を手招きする。
「この桜、司にも見せてあげたいな。ねぇ、司は元気?」
何も答えない私に藤宮さんは瞳を濡らしながらこう言った。
「どうして司は私を覚えてないの? 城戸くん、どうして」
確かに司から彼女の記憶を消したのは私だ。しかし間違いだとは思わない。
そう告げようとして口を開くと同時に、世界が美しい光に包まれた。
◇◆◇
目覚ましよりも早く、城戸はふと目が覚めた。
そもそもアラームをセットした記憶がないので目覚ましよりも早く起きたと思うのは変かもしれない。そんなことを思いながら枕元のデジタル時計を見ると、[6:28 1/1 san]と表示されていた。
そうだ、昨夜は久々に実家に帰ってきた司と22時頃まで酒を飲んで、カウントダウンをせずにお互い床に着いたのだ。
家族は司の事情を知っており、本当の家族のように接しているが、司はいつも居心地が悪そうに眉を寄せて困り顔をしながら笑う。
リビングに足を運ぶと、司の定位置となっているソファーには毛布が綺麗に折り畳まれて置いてあった。
そこに寝ていたであろう人物はいない。ソファーと毛布に手を滑らせても温もりは感じられず、リビングにも誰もいない。ならば後は……、城戸は靴とコートを手に取りベランダに向かった。
「司」
コートを着て靴を履いて、ベランダにから空に向かって声をかけると屋根からひょこりと司が顔を覗かせた。
「おはようございます。降りますので少し下がっていてください」
「いや、いい。私がそちらに行く」
「寒いですよ」
「それくらい分かっている。上げてくれ」
「……、了解」
手を差し出した司は城戸を屋根の上に引き上げた。軽々と引き上げられたのは彼がトリオン体だからだろう。
城戸が無事に屋根の上に登った事を確認すると、司は優しげに目を細め、微笑みながら頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「ああ、あけましておめでとう」
城戸の返事を聞いた後で、司はまた屋根に座り、まだ暗い空を見上げた。
「そろそろ日の出なんです」
「そうか」
司の横へ座ろうとすると、司は素早く紺のクッションを敷いた。
「いいのか?」
「俺が学生時代に使ってたやつが押し入れに入ってました。捨ててくれても良かったのに」
そう言う目は少しだけ嬉しそうに微笑んでいる。
「昔からよく屋根に登っていたな」
「そうですね」
そうだ、これは司が中学生の時に使っていた"屋根用のクッション"だ。
我が家にあった司の物は司が高校1年生の夏の終わりに「金が貯まった」と言って家を出て行く時にほとんど捨ててしまっていたはずだ。
城戸はそんなことを思いながら、遠慮なくクッションの上に腰をおろして地平線の先を見ると、明るい光が少しだけ見える。
「俺は太陽よりも月を見慣れてるから、やっぱり太陽は眩しすぎるな、と思うんです。」
きらりと輝く美しい緑の瞳が日の光を浴びて更にきらきらと輝いた。
「司」
「なんですか?」
城戸を見た司は首を傾げた。
「幸せか?」
「……そうですね、幸せをどう定義するかによるかもしれませんが、俺個人の感想としては幸せです」
「それならいい」
司は質問の意図が分からないと言いたげに考える素振りを見せてからまた空に目を向けた。
「俺、ボーダーに就職した時に決めたことがあるんです」
一瞬、司の瞳が強く、きらりと光ったような気がした。
「俺の手の届く範囲は全部守ってみせます。もちろん……、と、父さんも」
少し戸惑いながらも城戸を父と呼んだ司は照れ臭そうに頭を掻いた。
何年も聞いていなかったその響きは、城戸の胸を喜ばせると同時にひどく痛め付けた。
20170109
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
藤宮司は城戸の行ったことに気づいていながらも、彼を家族として愛しています。