知らない君を見たい

じっとりとした汗が首にまとわりついて、早くボーダー本部へ行きたいのに足取りは重い。バッグの中に入れた宿題が、想像以上に重く感じて、参考書を1冊減らせば良かったと思う程だ。

そもそも今日は任務をするためだけに本部に向かっているのだから、もしその時間がなければ無駄な労力を費やすだけなのだ。

ボーダーと学生の両立は思ったよりも難しく、日々を涼しげに過ごしている奈良坂は一体どんな生活をしているのだろう。

ふと、犬飼先輩もいつも涼しげに物事をこなしているな、と思ったが直ぐに頭から消した。犬飼先輩は何も考えていないようで、考えているのだ。俺がアドバイスを求めても、犬飼先輩は「そんな風に俺のこと見てたんだ〜うれし〜」と誤魔化すに違いない。

そんなことを考えながら歩いていると、橋の向こう側に綾瀬さんの後ろ姿を見つけた。

「辻ちゃん何してるの?」

心臓が止まるかと思った。

後ろを振り返ると犬飼先輩が不思議そうな顔をして俺を見ていた。

「本部に向かって歩いていただけですよ」
「そう?なんだかさっき、辻ちゃんの足取りが一瞬止まったように見えたからさ、何か見えるのかと思ったのに」

目敏い人だ。ここで「何もない」と答えても、素直に返してくれるとも思わないし、そもそもこの人は確信を持って聞いているので、俺には逃げ場がないに等しい。

「橋の向こうに同級生がいたので、少し驚いただけですよ」
「同級生?どこどこ?」
「ここから真っ直ぐ前を見て、少し左の……」
「うーん、女の子がいることは分かるけど、辻ちゃんよく同級生って気づいたね」

確かにここからは距離がある、でも綾瀬さんの姿は誰よりも見てきたんだ。間違えるわけがない。

綾瀬さんは誰か知らない男に駆け寄り、楽しげに何かを話している。

「あれれ、辻ちゃんあの人も同級生?」
「知らない人です」

背も高く、どちらかと言えば上級生や大人に近いそのシルエットは綾瀬さんと親しげに歩いていく。

「声かけたら?」
「そんなことしませんよ」
「え、でもしないと後悔するかもよ」
「俺にはそんな権利ないですよ」

そう、権利はないのだ。

綾瀬さんが誰と仲良く歩いていたって、俺には関係のないことで、プライベートを探られるのは綾瀬さんも嫌な思いをするだけだ。

「じゃあ俺が聞いてあげようか?」
「やめてくださいよ」
「でもこっちに来るし」
「え」

今度は犬飼先輩から橋に向かって振り返ると、綾瀬さんが知らない男の人とこちらに向かって歩いてくる。

パニックになっていると、俺に気づいた綾瀬さんが手を振ってこちらに来る。

「こんにちは」

丁寧に挨拶をした綾瀬さんとは正反対に、男性は俺のことを不思議そうに見ているがそれはお互い様、俺も同じような顔をして目の前の男性を見ているのだろう。

それに気づいた綾瀬さんは慌てて、この人はお隣さんだと説明を始めた。

図書館に出かけようと家を出た綾瀬さんは家の前で困っているお隣のおばさん、つまりは彼の母親に出会い、伝言を頼まれたらしい。

「スマホを家に置き忘れてるなんてドジだよね」
「お前人前でそんなこと言うなよ!」

親しげだ。いいな。

「辻くん勘違いしないでね、私はこんなやつ全然好きじゃないから。おばさんが可哀想だから助けてるだけで、何も関係ないから」

男の人もうんうん、と最後に大きくうなづきながら、『そう言うことなので大丈夫です!』とサムズアップしながら俺に言ってきた。

「これからもコイツのことよろしくお願いしますね」
「コイツとか言わないで」

綾瀬さんに背中を思い切り叩かれて少しだけ涙目になりながら横を通り過ぎて行く男の人を見送り、綾瀬さんは俺の目の前に来た。

「辻くん、あのさ、ボーダーって見学できるのかな?」

えっ?と固まる俺の横で犬飼先輩はニヤニヤと笑いながら顔の横でオッケーサインをつくり、勝手に了承していた。


特別な黙字をきみに捧ぐ
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