3



名前が変わった。というよりも、姓が出来た。
そのことを知ったのは、馬車を降りて妙に豪華な屋敷に入って、少女趣味満載の部屋に通されてからだった。
「旦那様のお子様、嫡子でいらっしゃった貴方様の母親違いのお兄様がお亡くなりになりました。当家には早急に跡取りが必要でして。そこで妾腹であるお嬢様を、旦那様はお引き取りになったわけでございます」
これで豪華な暮らしができるだろう、満足しろ、スラムのゴミ。
私の前で懇切丁寧にことのあらましを喋る教育係だという女は、多分そんなふうに言いたいのだと思う。こんなに丁寧な口調で、こんなに悪意を滲ませている。一挙一動はびっくりするくらい整って、洗練されているのに、いっそのこと品がないように思われた。
オフィーリア=ホルクハイマー。私の新しい名前だった。
これは夢ではないのかもしれない。
なんとなくそんなふうに思い始めたのは、押し込まれた真っ白なバスタブの中で熱いシャワーを浴びせられている時だった。
私の世話を言い渡されたらしいメイド達は何かしらの無駄口をたたくことはなかった。ただ黙って、私のことを洗っている。あちらこちらからこびりついた垢だったり、泥だったりが落ちていくのが気持ちが良い。私は日本人なのだから、風呂が好きなのだ。
その感覚にようやくこれが夢でないのかと納得した。
なるほど私は、これからオフィーリア=ホルクハイマーとして針のむしろに座り続ける以外に選択肢がないらしい。
着たこともないし見たことすらないような可愛らしいワンピースを着せられて、どうやらこの世界はライトノベルによくあるようなファンタジーワールドらしいぞと気付いたのはようやく、ここだった。
それまでもなんとなく思ってはいたのだが、やっぱりここはファンタジーの世界らしい。
どこかの小説で読んだ様な展開だと思った。これでこの世界が実はどこかの乙女ゲームだったら愉快極まるが、生憎と私にそういった知識は乏しい。乙女ゲームは首の後ろが痒くなるから、あまり好きではないのだ。
ぽつんと一人きりで温かくて豪華なのに味のしない食事を食べて、今日はお休みくださいとベッドに押し込められて、ようやくこれからのことについて考える気がおきてきた。
妾腹の子供。
きっとそれは随分と生きづらいだろう。この家には父の正妻だっているのだ。息子を失くしたばかりらしい彼女に、跡取りにと連れてこられた幼い小娘はどう映るだろう。
私だったらきっと、殺してやりたいと思う。我が子の場所を奪った小娘なんて、死んでしまえと思うだろうし、そもそも子供の死だって、その娘のせいにしたいと思う。
わりと切実に、命の危機だ。
死にたくないと思う。けれど、ここから逃げ出す手立てもない。私はまだ、たった三歳だ。もう十年も経てば多少は融通が効くだろうけれど、今はそもそも、歩くことすら覚束無いのだ。
気楽に考えることなんて到底できそうになかった。
けれど何とか、頭を振って考えをポジティブな方へと動かすことにした。
この家は、職業訓練の場所だと思おう。
この世界においてスラムの女にに与えられる仕事や知識なんて微々たるものだ。義務とされる初等教育すらスラムには適用外だ。だから男は単純な肉体労働に従事するか犯罪者になるかしか道がないし、女は体を売るしかない。
娼婦というのが如何に酷い場所で働いているのか、知っていたし見てきた。けれど私もそうなのだとなんとなく納得していたし、そこから抜け出す手立てもなかった。
しかし今の私にはチャンスがある。公爵家で与えられる素晴らしい教育を、スラム生まれの女の子が受けられるなんてことは、ほぼ確実にありえない。その点だけ見れば、今の私は超幸運だ。
私は知識を貰って、それからこの家を出よう。
こんな家がどうなろうと知ったことではないし、なんのデメリットも無い。私に貴族のくらいなんて、豪華な暮らしなんて到底不要だった。
母さんと二人で暮らしていければ、ただそれだけでいい。
この世界で平民が働くには少なくとも十二歳になる必要がある。
私の前のわたしが知っていた知識だからだろうか、そういう知識は私の中に、もう既に存在していた。
母さんに楽をさせてやれるような仕事を見つけて、母さんをスラムの劣悪な環境からうつしてやりたい。私はその為に、ここで生きよう。
今の私は本当にもとの私なのかそれとも、わたしの意識が混ざって変わってしまったのか。頬を伝った涙は、今度は確かに私のものだった。

無知は果たして罪なのか