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お祖母様、が居た。
この家に暮らす貴族は父と、養母と、あとはなり損ないの私だけだと思っていた。なんと言っても私はここに来てからおよそ一年、満足に部屋の外にも出ていないのだ。
貴族の部屋というのは妙に広いらしくて私の自室には寝室の他に二つ部屋があり、トイレやらお風呂やらがまた別についていて、そしてさらに衣装部屋がある。
欲しいものは無いかとメイドには聞かれたし、必要ないくらいのたくさんの衣服や多すぎるくらいの食事も貰っていた。何不自由無く世話されながら、私はひたすらに、所謂マナーというやつや一般教養というのを詰め込まれていた。
一度だけ、顔を見に来た養母の蔑んだ目を思い出す。血は繋がっていないはずなのに、父のそれと本当によく似ていた。汚くて、おぞましいものを見る目。
暴力こそ振るわなかったが、いつ、食事に毒を仕込まれてもおかしくないようなひたすらに暗い目をしていた。
「貴方にはホルクハイマー家の跡取りとして相応しい教育を施します。御託は許しません」
養母はそれだけを言って背を向けた。
父の青色とも、母の星色とも違う、花のような薄桃色の髪をした、可愛らしい顔立ちの女だった。甘くたれた薄い黄緑色の瞳に浮かぶ感情が侮蔑でさえなかったら、その目に慈しみが浮かんでいたら。私は彼女をもう一人の母と慕うことが出来たかもしれないのに。
ぱたんと閉まった扉を目にして、いつの間にか泣いていた。
それからの日々は飛ぶように過ぎていった。
文字を覚えてから母に届けてほしいと寝る間を惜しんで書いた手紙を渡せば五回に一度くらいの頻度で了承をもらえたが、部屋から出ることを考える暇もないほどにハードなスケジュールを組まれていたらしく、これはとても三歳の子供に施す教育では無いだろうとぼんやりと思った。
手紙を送ってはいたものの、母からの返事はほんの一通だけ、父の目に触れても差し障りのないような当たり障りのない手紙が届いた。それだけで、十分だった。
いつか母にもう一度会いたい。母に抱き締めてもらいたい。リリィと、母だけが使う愛称で、あのあだっぽい、母親らしからぬ声で呼んでほしい。
私と私は混ざりあって、どちらがどちらだとかそういう区別はもうほとんどなくなっていた。
たまらく気が滅入って仕方が無い時に、こちらの言葉とは違う日本の文字で日記のようなものをつけてみたり、後は周囲の冷たい対応にただ耐える時に、日本人としての私が矢面にたっていた。
一年経って、恐らくろくな反抗もしなかった上、聞き分けよく飲み込みもよかった為か、部屋の外に出る自由を貰えた。それでも背後にはメイドが監視についていて、完全に自由というわけでも無かったが、それでも十分だった。
広すぎる庭に出て日向ぼっこをするのがすぐに気に入ったが、日焼けをすると言うのであまり長い間そうしていることは叶わなかった。
それでも初めの頃よりは幾らか多くなった休憩時間に外に出ているその時に、私は私の祖母に出会ったのだ。
祖母は、父の母親だ。その姿を目にしたメイドが、ひどく焦った様子で目の前の女が私の祖母だと告げた。
祖父は私が生まれるより前に亡くなっていたらしく、父が跡を継いだ今も屋敷の中で実権を握る祖母は降嫁してきた前の王妹だと言うではないか。ホルクハイマーという家は驚くほどに歴史が長くて、また功績もたくさんあげてきたらしい高名な家だとは聞いていたが、まさか王族の降嫁を許されるような家柄だとは思わなかった。
筆頭貴族と名高いテンペスト家と張る家柄だと、家庭教師は自慢げだった。お前はこの家の人間ではないだろうと思ったが、彼よりも私の方がこの家の人間として、ふさわしくないのだと思うと閉口してしまう。ちなみにテンペスト家、という名前だが日本人としての私はとんでもないインパクトの名前だと思った。ホルクハイマーもさる有名な哲学者の名だが、嵐って、やばいと思う。
父と同じ海の色をした髪を持つ老女は、私の感覚からすると随分とおかしく思われた。ただその鮮やかな色のせいでひどく若く見える。高く見積っても四十代半ば程度にしか見えない祖母は、頑張れば私の母と紹介されても納得出来てしまうくらいだ。
「貴方……誰かしら?」
深窓の令嬢のようにこてりと首を傾げた祖母は、どうやら私のことを知らないようだった。

ありふれた奇跡を