今日は絶対に残業したくなかった。
それなのに「えー、柏手さん仕事終わりそうじゃーん。私今日急いで帰らないといけないんだけどぉ、柏手さん時間余裕有りそうだからこれもお願いねぇ」なんて言いながら、反論の余地もなく仕事を押し付けてさっさと定時退社キメていったあいつマジ許さない。退社後から明日の朝までめっちゃお腹痛くなる呪いかけたからな。覚悟しとけよ。

そもそも私の仕事が終わりそうだったのは私だって急いでたからだよ!急いでたから定時で終わるように鬼のように仕事片付けてたんだよ!あんたみたいにトロトロやってダメだったら誰かにやってもらおう精神じゃねぇんだよ!甘ったれが!

しかし、それが通ってしまうのがああいう人なんだよ。適当に媚びて適当に誰かに助けてもらって、適当に社内恋愛して寿退社していくんだ。どんなに頑張ったところで気難しそうとか付き合い悪いとか言われて、よくて便利屋程度にしか思われない。
あゞ無情。人生ってままならない。

通知を知らせているであろう携帯はもう見てない。ギリギリまで終わらせるように頑張ったけど、押し付けられた仕事の量が半端なくて定時退社不可と判断した瞬間謝罪文を送ったから。昔から優しい人だから、きっと気にしないでとか言ってくれてると思う。1個下なのによくできた人だ。

ようやく仕事も片付いて、地の底から這い上がるようなため息をつきつつ凝り固まった肩を解しながら見上げた時計は9時半を過ぎていた。会社に13時間近くいるってなんだよ。マジ辛い。明日の残業は嘘偽りなくありのままの事実を部長に報告しよう。それで明日怒られればいいよ。それくらい今日の私は定時で帰りたかったんだ。
どんなに文句を言ったところで家は迎えに来てくれないので、ブルーライトで痛む頭を抑えながらタイムカードを切って会社を出た。

精一杯虚勢を張って、いかにも仕事ができる風を装って改札を通る。ずっと座って仕事してたはずなのに、今すぐ座りたいほど体が重い。だけど妙なプライドが無理矢理背筋を伸ばす。
ああ、そう言えば携帯。ずっと無視しちゃったから、それも含めて後日埋め合わせをする旨を連絡しよう。そう思ってホームで携帯を見て驚いた。

「…は?」

向こうの定時の方が私より少し遅いから、それに合わせて「今日残業になったから後日にしよう」って送ったのに、まさか「最寄り駅で待ってます」なんて返ってきてると思わないじゃん。しかも今の今まで携帯見てなかったから3時間以上待たせてることになる。それにここから私の最寄りまでの移動時間を含めると最寄りに着くまでに4時間は待たせてることになる。
これだけ時間が経ってればさすがに帰ってるだろうと思いつつ、どう返事をしようか迷ってるとき。ピコリと「お疲れ様です」と表示された。

電車に乗り込み、嘘だと思いつつ言葉を返すと、どうやらまだ駅にいるらしい。バカじゃないのかと思いつつ、血の気が引くとはこういうことかと思った。
まさか既読もつかない相手をこんなに待つ人がいるなんて思わなかった。いや、だって「まだしばらく仕事が終わりそうにないから、後日に改めよう」って送ったのに「待ってます」なんて返ってくると思わないよね?「じゃあまた連絡します」になるとおもうよね?

定刻通り動く電車すらもどかしくて、駅についたと同時に転がるようにホームへ駆け出した。その勢いのまま改札を抜ければ、私がいつも使う西口側で携帯片手に立ってる赤葦と目があった。

「なんでいるの…?」

本当にいると思わなかったから、改札を抜けるときの勢いなんてどこかになくなって、フラフラと赤葦に近寄ることしかできなかった。

「ここで待ってるって送ったじゃないですか」
「だって、私それ見たのさっきなんだけど」
「そうですね。既読つく瞬間見てました」

だから私が読んですぐ通知が来たのかと合点がいった。

「私、仕事終わらないから後日って送った」
「俺は了承してません」
「後日って送った」
「あんな一方的なの、俺が認めるわけないじゃないですか」

そうだ。赤葦って基本的には優しいけど、変なところ頑固だった。

「こんな今期1番冷え込んでる日に、なんでこんなところで待ってるのさ」

実際いままで待っててくれたのにいつまでも文句を言うのも非道がすぎるので、せめてここ以外で待てなかったのかと訴えることにした。
女性には薄手のコートがあるけど、男性はあまり見かけない。赤葦も例にもれず寒そうなスーツにビジネスバッグだけ。触れたスーツの裾は完全に冷えきってる。

「もしも携帯見なかったとき、ここにいれば確実に視界に入ると思ったので」

実際携帯を確認しないでいることは多々あるし、改札を出てすぐにわかったから否定できない。

「バカじゃないの?風邪引いたらどうするのよ」
「体は丈夫なんでこれくらい大丈夫ですよ。それより、なんで電車乗ってた柏手さんの方が手冷たいんですか」
「冷え性なの」
「知ってます」

触れられた赤葦の手も、冬みたいに冷たくなってる。私なんかのためにこんな冷たくなるとかホントバカじゃないの?さっさと帰ってればよかったんだよ。

「きっと誰かの仕事を押し付けられたんだろうなってこともわかってます」
「なんでそう思うの」
「学生の時からそうじゃないですか」

そんなことはない。そう否定したかったのに、共通の知り合いがどいつもこいつも厄介事を持ち込むもんだから、それに巻き込まれてた事しか思い出せない。
おかしい。高校の時はそうじゃなかったのに…それもこれも大学で知り合ったミミズク野郎のせいだ。そう言うことにしよう。今度ご飯奢らせよう。

「たまには断ったらどうです?」
「断る暇もなく定時で退社された」

ムカつきすぎて泣きそうになったけど、絶対泣かない。化粧崩れるし、なによりあいつに泣かされたみたいでムカつく。

「よく頑張りましたね。お疲れ様です」

もはや意地で涙を耐えてたのに、そう言って頭に乗せられた重さが愛しすぎて泣きそうになった。
こういう時、自然と甘えられる女子の方がかわいいってことくらいわかってる。だけど、変に片意地はって生きてきてしまった私にそんなことできるはずもない。定時で帰ったあいつは難なくできるんだろうなと思うと、訳もなく悔しくなった。

「赤葦なんなの?」
「彼氏ですけど」
「かっこよすぎかよ」
「ありがとうございます」
「後で体育館裏来いよ」
「告白ですか?」
「ちっがうよ!リンチだよ!」

体育館裏で告白とか少女漫画かよ!私でもしたことないよ!あんたもしなかったじゃん!

「そんな物騒なこと言わないで、なんか食べに行きましょう」
「この辺じゃあ居酒屋しかないよ」
「明日もお互い仕事ですし、いいじゃないですか」
「まぁ…いいけど」
「じゃあ行きますよ」

ゆるりと腕を引かれれば、冷たい風の吹く町へと踏み出すしかない。
冷えきってた手は、いつの間にか暖まってた。


2018/11/16