▼ 雨のように月が降る夜


「及川は勉強しなくていいの?」
「してるよ」
「この頻度でここまで来てたらそんな時間ないよね」
「それがあるんだなー」

今日も今日とて俺は和泉さんのクラスに通ってる。もうほとんど日課どころじゃなく通ってるから、授業の都合とかで会えないと違和感すら感じるようになった。
和泉さんもそう思ってくれてるのかはわかんないけどね。

「推薦来てるの?」
「来てるけど、試験は受けるから気は抜けないよ」
「そうなんだ」
「和泉さんはどこ受けるの?」
「国公立」

間を置くことない返答を聞いて、それはいろんな方面に気を使ってる和泉さんらしい選択肢だと思った。

「推薦来てるのって、東京?」
「なんで?」
「なんとなく」

藪から棒ではあるけど、そんなことを聞かれたってことは、ほんの少しでも俺が和泉さんの中にいるって思っていいのかな。もしそうなら嬉しいんだけどな。
そう思っていたら、考えていたことがバレたのか、それともいつの間にかにやけてしまったのか。和泉さんから先に釘を刺されてしまった。

「別に答えなくてもいい」

別に推薦が来てる学校くらい教えてもいいんだけど、聞きたくないのかな。それはそれで寂しい。

「じゃあ内緒ってことで」

今日の和泉さんはなんとなくソワソワしてる感じがするんだよね。バレーのこと知りたいって言ったときみたいな雰囲気。

「及川」
「なに?」
「な、名前…」

名前?

「名前がどうしたの?」

逡巡した後、ややあって開いた和泉さんの口からは、驚くような言葉が転がりだした。

「呼んでもいい」

ん?え?今なんて言った?及川さんちょっとよくわかんなかったんだけど、これって聞き直したらいけないやつ?
聞き間違いじゃなかったら、名前を呼んでいいって聞こえた気がするんだけど…

「ホントに?」
「うん」
「嘘じゃない?」
「嘘にしてもいいけど」
「やだやだ呼びたい!」

え、どうしようめちゃくちゃ緊張するんだけど。だって女の子の名前なんてそう滅多に呼ばないし、なにより相手は和泉さんだよ?
和泉さんは俺と同じ名前の人がずっと好きで、今も忘れられなくて、結果として俺が和泉さんの名前を呼ぶことも俺の名前を呼ぶことも1回拒否されてる。

「加奈枝、ちゃん?」

その事を別としても、好きな子の名前を呼ぶのに緊張しないやつなんているの?

「イヤなら呼ばないで」
「違うから!緊張してるだけ!」

どうしよう。跳んで喜びたいくらい嬉しいんだけど本当にいいのかな、無理してないのかなって少し考えなくもない。

「…初めて勝手に名前を呼んだときはそんなことなさそうだったけど」

きっと何を今更と思ってるんだろう。
でもね、あの時と今じゃ全然違うんだよ。例えば和泉さんのことを好きな気持ちの形というか色というか、そう言ったものがあの時とは全く違うんだよ。

「イヤとかじゃないからね、勘違いしないでね」
「別に及川の好きにしていいけど」

本当にいいんだ。めっちゃ嬉しい。俺今日死ぬのかな?どんなに頼まれたって絶対に死んでやらないけどね!

あ!いや、嫌がられるかな?でも前に呼んでくれたことあるし、聞くだけならいいかな?

「俺も、名前で呼んでもらえる…?」

これでヤだって言われたら、和泉さんはなんて思わせ振りで酷い人なんだろうと思わなくもない。いや、やっぱり思わないかな。
もしもそうだったとしても、俺は和泉さんを嫌いにはなれないだろうな。

「たまになら…」

う、わ…勘違いじゃなければ和泉さんが恥ずかしがってる!かわいい!

「頑張らなくも…ない…」

え、俺が思い上がってるだけじゃないよね?夢じゃないよね?なにこれ和泉さんかわいすぎるんだけど!少しも酷い人なんかじゃないよ!小悪魔だよ!

「じゃあ、たまにでいいから呼んでもらえる?」
「…うん」

俺、今日ではないだろうけどいつか本当に死ぬかもしれない。


  
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