あいつが死んだ日


「ユウ!」

俺のファーストネームを呼ぶ奴は2人しかいない。うち1人からは昔からそう呼ばれてるから、今更他の呼び方なんてされたら逆に気味が悪い。
聞き馴染んだ声に呼ばれて振り返れば、案の定馴染みの顔が意地の悪い顔をして笑っていた。

「コムイに聞いたけど、今日1日暇してんだろ?」
「だったらなんだ」
「付き合えよ」
「あ?」

こいつが頭の高い位置で髪を団子にするのは、鍛練や任務といった時だけ。
これは教団の誰もが知っていて、本人がその髪を邪魔だと思っていることもそれなりに知られている。しかし、邪魔だと思いながらもその髪を切らない理由は誰も知らない。

「私も任務なくて暇なんだよ。ユウも1人で鍛練するよりいいんじゃねぇの?」

挑発するような笑みを浮かべながら言ったこいつは、ハナから断らせるつもりなんてないらしい。

「いいぜ」

断る理由もないがな。

「ユウならそう言うと思ってた」

俺が返事をすると、膝にかかるスカートを揺らしながらさっさと修練場に向かって歩きはじめた。
歩幅の違いがあるから、多少出遅れたとしてもあいつにはすぐ追いつける。

「ユウは相変わらず歩くの速ぇな。嫌みかよ」
「お前は相変わらず口悪ぃな。本人に女か?」
「残念ながら女だな」

こいつはおとなしそうな見た目のわりに、驚く程口が悪い。そして腕が立つ。
初めて会った奴は大概イメージと違ったとか勝手なことを抜かしては、更に勝手なイメージを作っていく。教団の奴等が知ってるこいつは、イメージで塗り固められたハリボテでしかない。

「この間の任務先で子供助けたら、お礼にってビスケットくれたんだ」

実は子供と菓子類が好きな普通の女だなんて、一部の人間しか知らねぇんだろうな。

「食ったのか?」
「そりゃ食わないわけにいかねぇだろ。また泣かせることになったら可哀想だし」
「いつか死ぬな」
「そりゃいつかは死ぬだろ。人間だからな」

頭のどこかでそれを知っていながら、こいつは簡単に死なないだろうと勝手に思ってた。

「最近なんかあるか?」
「あ?なんかってなんだよ」
「惚れた腫れた?」
「んなもんねぇよ」
「黙ってりゃ女が寄ってきそうな顔してんのにもったいねぇの」
「お前に言われたくねぇよ」
「私をそう評価するのはユウくらいなもんだ」

カラカラと笑いながら、まっすぐ前を見て歩くこいつは嫌いじゃねえ。

「じゃあイノセンスとかは?」
「んな簡単に出てくるなら苦労しねぇよ」
「だよな」

こいつは昔からそうだった。
初めて会ったのは、アジア支部だった。顔つきやら髪型やらは今と大差ないが、やってたことは男と同じ。口は悪いわ俺らの喧嘩に混ざってくるわで、よく支部の奴等に止められてたのを覚えてる。当然生傷が絶えないから常にどこかしら手当ての跡が残っていて、当時は男なんじゃないかと本気で思ってたくらいだ。

それからすぐ本部に移動しやがったからそれほど長い時間を過ごしたわけじゃねぇが、今と同じように歩いていたのがやけに印象に残ってる。

「いつもと同じでいいか?」
「ああ」

修練場に着けば、各々で必要な準備をしていく。準備と言ってもたいしたものはなく、俺はいつものようにタイマーを修練場の端に置くあいつをただ眺めていた。

用意らしいものがほとんどない中で、俺達にとって最も重要な物はあのタイマーだ。
そんなもんいちいち用意するのもめんどくせぇが、こいつとやるといつまでたって終わんねぇから、こうでもしねぇと日付が変わってんだよ。

「うしっやるぜ」
「おう」
「蟲は出すなよ?」
「お前もな」

互いにイノセンスを発動させる。
鈍く光るそれは、まさしくアクマを破壊する為の武器。こいつはそれを綺麗だとかぬかしやがるが、とても理解できそうにない。アクマを破壊する為の武器の、どこをどうみたらそう思えるんだかわからん。

「考え事か?随分余裕そうじゃねぇか」

それぞれリーチの違う刃を何度か交えた時、苛立った様に声をかけられた。

「そのくらいでちょうどいいだろ」

戦闘の際に思考を止める事などないからこれもその延長線、余裕と言う程のものではない。
それをわかっていながら挑発して、挑発されればそれに乗る。

「いいぜ、うっかり殺したとしても文句言うなよ?」
「はっやれるもんならやってみろ」

元々遅くはない速度が更に上がる。それでも追いつけない速さじゃない。

「っらあ!」

イノセンスの性質上、こいつの攻撃は大振りなものになりがちになる。しかしその隙を埋めるように、逆についた刃で引っ掛けようと小細工をしてきやがる。

そんなのが俺に効くわけもないがな。これまで何度お前の相手をしてきてると思ってる。
適当にかわして攻撃をいなし続けていると、痺れを切らしたように

「手ェ抜いてんじゃねぇぞユウ!」
「抜いてねえよ」
「じゃあ弱ったんだな」

苛立ちから出た安い挑発だと頭でわかっていながらも、にやりと笑ったその顔にイラついた。

んな訳ねえだろクソアマ。

「なんだよ。やればできんじゃん」
「ちっ」

殺すつもりで斬り込んだが、あっさりかわされた。
散々刃を交えてきた俺達は、互いの攻撃パターンを把握している。だからこそ本気で斬り込んだとしても切っ先の少しも引っかけられずかわされる事が多い。

「今のは本気だったろ」
「だからなんだ」

わかってんなら素直に殺されろ。
そもそも頭のどこかで本当にこいつを殺そうと思っていないから、何度やったところで殺せやしないだろう。

「せっかくユウの貴重な本気を見せてもらったことだし、私の本気も見してやるよ」

そう言って一旦取った間合いより外、強く踏み込んだと思ったら視界から姿が消えた。

「は?」

そう思ったのは一瞬の事で、首のすぐ横から伸びたそれは間違いなくあいつのイノセンス。

「スキアリ」

修練場の端からは、セットしていたタイマーが静かに自己主張を始めていた。

「テメェ…今何しやがった」

いつの間に後ろに回り込まれたのか。そして俺はそれに追い付けなかったのか。
今まで見失うことがなかっただけに、何が起きたのかわからない。

「なんもしてねぇよ。だだ錯覚を起こさせただけだ」

なにが錯覚だ。明らかにお前の速さが上がってんだろ。

「んな睨むなよー」
「言え、何をした」
「いつもより若干身軽なだけで、私自身はなんもしてねぇんだよ」
「錘でもつけてたのか?」
「いや?あえて言うなら吹っ切れたってとこだな」

精神的な問題ってことか?そんなことで身体能力が変わるなら誰も苦労しないだろ。しかしどうやら、嘘と言うわけでもなさそうだ。

「そうか」
「おかげで明日は気持ち良く壊せそうだ」

発動を解いたこいつは、やり合う前よりいくらか気が晴れたように見えた。

「今日の飯は何にすっかなー」

タイマーを手にひとつ伸びると、片付けもそこそこに自分だけさっさと修練場から出て行こうとしていた。

「ユウも飯にしようぜ」

振り返って誘うあいつは、さっきとどこか違っていた。何がどう違うかわからんが、なんとなく違う。吹っ切れたとか言ってたからそれか?

「早く来いよ、置いてくぞ」

気付けば、あいつは扉を半分開いて今にも修練場を出ようとしている。自分が先に歩き出した癖に早く来いとは、相変わらず勝手な奴だ。

「ユウはまたソバ?」
「悪いか?」
「いや。人の好みに文句言えるほど私は偉かないからね」

食堂につくと、いつもの様にこいつは厨房に声をかけた。

「ジェリー、シュヴァイネハクセとパンよろしく。クネーデルも忘れないでね」
「はーい。神田は今日もソバかしら?」
「あ!あとね、キルシュトルテも!」

これが、こいつの最後の食事だった。