わたしが病院に入ってから、どれくらいたったんだろう…まだそんなにたってないらしいけど、記憶があまりに曖昧でよくわからない。
ベッドの枕元に置かれた花瓶には花が生けられてる。あまりはっきりと覚えていないから自信はないけど、何日か置きで新しい花に変わっているらしく、花が萎れている所は見たことがない。
ぼんやり空を眺めていると、いつの間にか空は赤らみ、また気づいたら看護師さんが食事を用意して夕食の時間になるのだ。
代わり映えのない一日、というんだと思う。今では昨日のことも曖昧で、毎日が新鮮に感じられるから退屈はしない。
「昊罹ったら、また空をみてたのね」
いつも決まった時間に来るらしいお母さん。写真があったからなんとか忘れないでいるけど、写真かなかったら綺麗さっぱり忘れていただろう。
本当、写真があってよかった。
そうじゃなかったら、今よりもっと辛い思いをさせてたかもしれない。ただでさえ普通に暮らせないのに、自分の事を忘れられるなんて、親には辛いと思う。
「空はずっと見てても同じ景色を見せないから、見ててもあきないよ」
「それはそうでしょうけど」
「だからいいの」
「そう…じゃあ、花瓶の水かえてくるわね」
そう言って部屋から出ていったお母さんはしばらく戻らないだろう。この部屋から水道までだいぶ距離があったはず。トイレまでも遠かったし。
手近に置いてある一冊の本を手にとってページを捲る。内容は知らない。きっと忘れたんだと思う。
少し前に、「ずいぶんそれが好きになったのね」と言われた気がする。これも曖昧だけど。
「またそれを読んでるの?」
意外と早く戻ってきたお母さんは、やっぱり思ってたことと同じ言葉を言った。
「うん。なんか気になっちゃうんだよね」
なんて言うのかな…恋愛小説って言うのかな?あんまり読まないで忘れちゃうから面白いのかすらわかんないけど。
「そろそろいくわね。お父さん帰ってくるから」
「気をつけてね」
「昊罹もなにかあったらすぐにナースコールするのよ」
「はぁい」
ベッドから見える棚に貼られた紙を見る。そこには「なにかあったらナースコール」と書いてある。
これも、ちゃんと覚えていられないわたしのためにわざわざお母さんが張ってくれたものだ。
お母さんありがとう。こんな娘でごめんなさい。
そう思ってまた本に目を落とした。何度思ってもすぐに忘れるんだ。それと同時に、何度読んでも忘れるんだ。
わたしは、そろそろ諦める事を学習した方がいいのかもしれない。