赤葦
ある絵の前で、ふと鳴子がこぼした謝罪の言葉。
「ごめん」
その視線は目の前の絵に注がれたままで、声だけが俺に向けられてる。
「どうして?」
ついっと、視線が下に落ちる。
「京治くん、あんまりこういうの興味ないのに、付き合ってもらってるから」
「鳴子のこと好きになってからちょっと考えながら見るようになったから、楽しいよ」
「なら、いいけど」
ひとつひとつ丁寧に見て、フラりと次に進む鳴子について歩く。
正直、俺には絵がどうとかよくわからない。なんとなく色がいいなとか、これはなんとなくこんなことを思って描いたのかなって思うくらい。鳴子はなにを感じてるんだろう。
館内は驚くほど静かで、無意識のうちに話すことは憚られた。黙ったまま全て回りきると、空調に渇かされた体を潤わすために入った駅前の喫茶店がどこか別の世界のようにすら感じた。
「付き合ってもらってありがとう」
「俺も楽しかったよ」
ほんの休憩のつもりだから、お互いの前には飲み物だけがある。
「大丈夫だった?緊張とかで疲れてない?」
鳴子はいつも気遣ってくれる。部活の休みが少ないからたまの休みくらい鳴子と過ごしたいのに、いつも家で休めばいいって言われる。
「全然。この後どうしようかなって考えてたくらい」
そんなこと気にしなくていいのに、毎回気にしてくれる。アホっぽいかも知れないけど、俺は鳴子と一緒にいられたらそれだけで元気になれるのに。それで、鳴子が笑ってくれたらもっといい。
まぁ表情がはっきり変わることがそもそも少ないけど。
「思ったよりも早く見ちゃったかな」
「ゆっくり見れた?」
「うん。京治くんは初めてだよね」
校外学習以外で美術館来ることは初めてだと事前に言っていたから、なにも不思議なことではない。
「こう言うのもあるんだね」
「…どう言うこと?」
「こう、海外の天使とか浮世絵みたいなやつばっかりだと思ってた」
こう言ってみるとかなり偏見的だな。
「イルカで有名な人もいるよ」
「あ、その人教科書に載ってた」
「でも、今回みたいにプロもアマも一緒に展示してるのは、確かに少ないかも」
鳴子が好きそうなテーマだったから、部活帰りに駅で偶然見つけて衝動的にチラシを手にそのまま帰って、チラシを写メって送ってそのまま今日の約束になった。
「京治くん、なにか気に入った作品あった?」
「オレンジのやつ。理由は、ちょっとうまく言えないけど」
「そんなもんだよ。大体は直感で気に入るものだから」
「鳴子は?」
「ぼたん雪。滅多に積もるのなんて見たことないけど、懐かしい感じがした」
青と白で描かれたあの絵はどこか遠い世界で静かに消えていくようで、あまりよく見れなかった。
「静かでちょっと鳴子っぽかったよね」
「そう?」
「うん」
「それなら、洋梨のやつは木兎先輩っぽかった」
「ああ、あれか」
「ビビッドで元気な感じがして、木兎先輩と梨恵かなって」
すごく想像ができる。
「従兄妹ってあんなに似るんだね」
「私も初めて知った」
カラリと氷が音を立てる。あの2人は美術館なんて絶対来ないだろうな。来てもうるさくて追い出されそう。
鳴子の少し伸びた髪は、細くて白い首をなにかから守るように肩の辺りで揺れている。あの時の長さに戻るのはいつになるんだろう。
「ねぇ、この後行きたいところあるんだ」
思い付いてそう言うと、鳴子は2つ返事で了承してくれた。
「どこ行きたいの?」
「1番最初にデートで行ったところ」
そう言っても、鳴子はピンときてないらしい。
あれ?もしかしてそう認識されてなかった?デートだと思ってたのは俺だけだった?
「…あ、」
わかったらしい。グラスを抱えて視線は左下、そわそわと指先が動く。
「あれは、別にデートじゃない」
「俺はそう思ってたよ」
「…じゃあ、それでいい、と思う」
今日の時間はまだある。これからのことを考えると、緩やかに顔が緩んでいくのがわかる。
今日の残りは数時間だけど、まだまだ楽しみが尽きなさそうだ。
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ある絵の前で、ふと鳴子がこぼした謝罪の言葉。
「ごめん」
その視線は目の前の絵に注がれたままで、声だけが俺に向けられてる。
「どうして?」
ついっと、視線が下に落ちる。
「京治くん、あんまりこういうの興味ないのに、付き合ってもらってるから」
「鳴子のこと好きになってからちょっと考えながら見るようになったから、楽しいよ」
「なら、いいけど」
ひとつひとつ丁寧に見て、フラりと次に進む鳴子について歩く。
正直、俺には絵がどうとかよくわからない。なんとなく色がいいなとか、これはなんとなくこんなことを思って描いたのかなって思うくらい。鳴子はなにを感じてるんだろう。
館内は驚くほど静かで、無意識のうちに話すことは憚られた。黙ったまま全て回りきると、空調に渇かされた体を潤わすために入った駅前の喫茶店がどこか別の世界のようにすら感じた。
「付き合ってもらってありがとう」
「俺も楽しかったよ」
ほんの休憩のつもりだから、お互いの前には飲み物だけがある。
「大丈夫だった?緊張とかで疲れてない?」
鳴子はいつも気遣ってくれる。部活の休みが少ないからたまの休みくらい鳴子と過ごしたいのに、いつも家で休めばいいって言われる。
「全然。この後どうしようかなって考えてたくらい」
そんなこと気にしなくていいのに、毎回気にしてくれる。アホっぽいかも知れないけど、俺は鳴子と一緒にいられたらそれだけで元気になれるのに。それで、鳴子が笑ってくれたらもっといい。
まぁ表情がはっきり変わることがそもそも少ないけど。
「思ったよりも早く見ちゃったかな」
「ゆっくり見れた?」
「うん。京治くんは初めてだよね」
校外学習以外で美術館来ることは初めてだと事前に言っていたから、なにも不思議なことではない。
「こう言うのもあるんだね」
「…どう言うこと?」
「こう、海外の天使とか浮世絵みたいなやつばっかりだと思ってた」
こう言ってみるとかなり偏見的だな。
「イルカで有名な人もいるよ」
「あ、その人教科書に載ってた」
「でも、今回みたいにプロもアマも一緒に展示してるのは、確かに少ないかも」
鳴子が好きそうなテーマだったから、部活帰りに駅で偶然見つけて衝動的にチラシを手にそのまま帰って、チラシを写メって送ってそのまま今日の約束になった。
「京治くん、なにか気に入った作品あった?」
「オレンジのやつ。理由は、ちょっとうまく言えないけど」
「そんなもんだよ。大体は直感で気に入るものだから」
「鳴子は?」
「ぼたん雪。滅多に積もるのなんて見たことないけど、懐かしい感じがした」
青と白で描かれたあの絵はどこか遠い世界で静かに消えていくようで、あまりよく見れなかった。
「静かでちょっと鳴子っぽかったよね」
「そう?」
「うん」
「それなら、洋梨のやつは木兎先輩っぽかった」
「ああ、あれか」
「ビビッドで元気な感じがして、木兎先輩と梨恵かなって」
すごく想像ができる。
「従兄妹ってあんなに似るんだね」
「私も初めて知った」
カラリと氷が音を立てる。あの2人は美術館なんて絶対来ないだろうな。来てもうるさくて追い出されそう。
鳴子の少し伸びた髪は、細くて白い首をなにかから守るように肩の辺りで揺れている。あの時の長さに戻るのはいつになるんだろう。
「ねぇ、この後行きたいところあるんだ」
思い付いてそう言うと、鳴子は2つ返事で了承してくれた。
「どこ行きたいの?」
「1番最初にデートで行ったところ」
そう言っても、鳴子はピンときてないらしい。
あれ?もしかしてそう認識されてなかった?デートだと思ってたのは俺だけだった?
「…あ、」
わかったらしい。グラスを抱えて視線は左下、そわそわと指先が動く。
「あれは、別にデートじゃない」
「俺はそう思ってたよ」
「…じゃあ、それでいい、と思う」
今日の時間はまだある。これからのことを考えると、緩やかに顔が緩んでいくのがわかる。
今日の残りは数時間だけど、まだまだ楽しみが尽きなさそうだ。