月島
練習が長引いた。コートの襟を正して歩き始めれば、刺すような空気に目が細くなる。
動いてたからものすごく寒いってことでもないけど、12月の後半で寒くないわけがない。道路の端にはこの間降った雪が溶けきらずに残ってる。この時期にそんなことが言えるのはバカだけだよ。
寒さからマフラーに顔を埋めると、呼気で眼鏡が雲ってこれ以上になく不愉快極まりない。舌打ちをひとつと、ポケットに手を突っ込んで、不機嫌をそのままに家へと急いだ。
それにも関わらずちらつき始めた雪に悪態がこぼれる。
意味ないってわかってるけど、明日の通学がめんどくさくなる。ダルい。さっさと風呂入って寝よう。そう思ってようやく慣れてきた家へ帰ると、玄関になにかある。
このご時世、何があるかわかったものじゃないから警戒して近付いたんだけど、それは危険物でもなんでもなかった。というか、物ですらなかった。
「ねぇ、なにしてるの?」
「ぉお帰り蛍くん」
そこにいたのは鳴子だった。マフラーから覗く鼻やしきりに擦られる指先は真っ赤で、いつからここにいたのか考えるのも嫌になる。
僕、今日も練習あるって言ったよね?
「ただいま。なにしてるの?」
「えっと、サプライズしようと思って」
そういうことじゃなくてさ、こんな時間にこの気温でなに考えてるのってことを聞きたいんだけど。頭いいくせになんでこんな簡単なことがわかんないの?
「とりあえず立って」
「あ、待って」
「なに?」
「ちょっと膝固まっちゃって」
なにそれ。本当にどれだけここにいたの?
「あ、や、待って。いっ…」
握った手は完全に冷えきってる。無理矢理立ち上がらせたからか痛がってるけど、これだけ指先が冷えきってれば体も冷えてて当たり前だろう。
「せめて連絡して」
「すみません」
暖めないと冗談抜きで風邪引く。
鍵を開けて鳴子を部屋に押し込むと、悴んで靴を脱ぐことすらも苦戦してる。その間にケトルでお湯を沸かして、ついでにこたつもつけた。
「あの、ごめんなさい、いきなり訪ねてしまって」
「温かいものなんて紅茶しか出せないんだけどいいよね」
「あ、いえ。お構い無く」
「いいからこたつ入ってて」
「はい」
たいして広くもないワンルーム。こたつにはいってソワソワしてる鳴子にカップを2つ持っていくと、また謝ってくるんだから呆れる。
「謝るくらいなら連絡して」
「はい」
カップをそっと包み込むように包むだけで、なかなか口をつけようとしない。たぶん、カップが熱いからなかなか口をつけられないんだろう。
猫舌なんてホント大変だよね。なんて思いながら、鳴子に渡したものよりもぬるいカップに口をつけた。
「なにしにきたの?」
「あ、そうだった」
傍らにおいたトートバッグから出てきたのはケーキの箱。前に2人でおいしいって言ってた店だ。
「クリスマスだから、一緒に食べれるかなぁと思って」
「ごめん」
「え、いいよ!私が勝手にしたことだし」
そうだった。練習だからと言って、鳴子がおとなしくしてるわけがなかった。こんなことになるなら、いつもより遅くなるって連絡すればよかった。
「指まだ赤いよ」
カップを包み込む手を握ると、表面だけが暖かくなってまだ内側が冷えてるような感じがする。
「え、あ、これはカップがあったかくて温まってきたからだよ」
なんとなくだけど、指先もいつもよりかさついてる感じもする。
「あのね、プレゼントもあるんだよ」
「は?」
「あんまり使わないかもしれないけど、この間そのまま置いてるの見たから」
握り込んでいた手をほどかれて持ってきたのはラッピングされた袋。開けてと言われるままに開けると、中からは眼鏡ケースが出てきた。
確かにこの間ケースが壊れて仕方なく鞄の上に適当に置いてたけど、壊れたことは言ってない。
「ありがとう」
買うタイミングが見つけられなかったから、正直助かる。適当に置いておいたら壊されるリスクも増えるし、なにより僕が嫌だった。
言ったわけでもないのにこうして察してくれる鳴子は、正直にすごいと思う。
「渡したかっただけだから、気にしないでね」
それなのに変なところで鈍いと言うか、引いてしまうんだからよくわからない。
なにその言い方。僕がなにも用意してないとでも思ってるの?すっごいムカつくんだけど。
「ちょっと待ってて」
「?はい」
明日学校で渡そうと思ってた紙袋を、クローゼットの上段から引っ張り出した。
「え、これ、」
「手袋いつもしてないから持ってないかと思ったんだけど」
この間偶然見つけて思い付いたから買っただけだし、別に使わないならそれでもいい。
「いいサイズが見つからなくて、持ってなかったの」
「え、サイズとかあるの?」
「うん、私手が小さいみたいでなかなか見つからなかったの」
そんなの全然知らなかった。
でもそうか。僕もなかなかサイズの合う手袋が見つからないんだから、逆もあるってことか。
サイズ合わなかったらどうしよう。
「サイズよく見つかったね」
どうやらサイズはあってたらしい。手袋をつけて笑ってるのを見てひっそり胸を撫で下ろした。
「鳴子がなにかするのはわかってたし、やられっぱなしがいやだっただけだから」
「ありがとう蛍くん」
ふにゃりと笑う鳴子を見て、早く帰れたらよかったのにと、今更すぎることをまた意味もなく思った。
「ケーキ食べるんでしょ」
「うん」
「うち、たいしたものないけど」
「いいの、蛍くんと一緒にいたかっただけだから」
料理もなにもなく、ショートケーキしかない鳴子と2人だけの小さな空間。そんな小さな空間が不思議なほど愛しく思えた。
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練習が長引いた。コートの襟を正して歩き始めれば、刺すような空気に目が細くなる。
動いてたからものすごく寒いってことでもないけど、12月の後半で寒くないわけがない。道路の端にはこの間降った雪が溶けきらずに残ってる。この時期にそんなことが言えるのはバカだけだよ。
寒さからマフラーに顔を埋めると、呼気で眼鏡が雲ってこれ以上になく不愉快極まりない。舌打ちをひとつと、ポケットに手を突っ込んで、不機嫌をそのままに家へと急いだ。
それにも関わらずちらつき始めた雪に悪態がこぼれる。
意味ないってわかってるけど、明日の通学がめんどくさくなる。ダルい。さっさと風呂入って寝よう。そう思ってようやく慣れてきた家へ帰ると、玄関になにかある。
このご時世、何があるかわかったものじゃないから警戒して近付いたんだけど、それは危険物でもなんでもなかった。というか、物ですらなかった。
「ねぇ、なにしてるの?」
「ぉお帰り蛍くん」
そこにいたのは鳴子だった。マフラーから覗く鼻やしきりに擦られる指先は真っ赤で、いつからここにいたのか考えるのも嫌になる。
僕、今日も練習あるって言ったよね?
「ただいま。なにしてるの?」
「えっと、サプライズしようと思って」
そういうことじゃなくてさ、こんな時間にこの気温でなに考えてるのってことを聞きたいんだけど。頭いいくせになんでこんな簡単なことがわかんないの?
「とりあえず立って」
「あ、待って」
「なに?」
「ちょっと膝固まっちゃって」
なにそれ。本当にどれだけここにいたの?
「あ、や、待って。いっ…」
握った手は完全に冷えきってる。無理矢理立ち上がらせたからか痛がってるけど、これだけ指先が冷えきってれば体も冷えてて当たり前だろう。
「せめて連絡して」
「すみません」
暖めないと冗談抜きで風邪引く。
鍵を開けて鳴子を部屋に押し込むと、悴んで靴を脱ぐことすらも苦戦してる。その間にケトルでお湯を沸かして、ついでにこたつもつけた。
「あの、ごめんなさい、いきなり訪ねてしまって」
「温かいものなんて紅茶しか出せないんだけどいいよね」
「あ、いえ。お構い無く」
「いいからこたつ入ってて」
「はい」
たいして広くもないワンルーム。こたつにはいってソワソワしてる鳴子にカップを2つ持っていくと、また謝ってくるんだから呆れる。
「謝るくらいなら連絡して」
「はい」
カップをそっと包み込むように包むだけで、なかなか口をつけようとしない。たぶん、カップが熱いからなかなか口をつけられないんだろう。
猫舌なんてホント大変だよね。なんて思いながら、鳴子に渡したものよりもぬるいカップに口をつけた。
「なにしにきたの?」
「あ、そうだった」
傍らにおいたトートバッグから出てきたのはケーキの箱。前に2人でおいしいって言ってた店だ。
「クリスマスだから、一緒に食べれるかなぁと思って」
「ごめん」
「え、いいよ!私が勝手にしたことだし」
そうだった。練習だからと言って、鳴子がおとなしくしてるわけがなかった。こんなことになるなら、いつもより遅くなるって連絡すればよかった。
「指まだ赤いよ」
カップを包み込む手を握ると、表面だけが暖かくなってまだ内側が冷えてるような感じがする。
「え、あ、これはカップがあったかくて温まってきたからだよ」
なんとなくだけど、指先もいつもよりかさついてる感じもする。
「あのね、プレゼントもあるんだよ」
「は?」
「あんまり使わないかもしれないけど、この間そのまま置いてるの見たから」
握り込んでいた手をほどかれて持ってきたのはラッピングされた袋。開けてと言われるままに開けると、中からは眼鏡ケースが出てきた。
確かにこの間ケースが壊れて仕方なく鞄の上に適当に置いてたけど、壊れたことは言ってない。
「ありがとう」
買うタイミングが見つけられなかったから、正直助かる。適当に置いておいたら壊されるリスクも増えるし、なにより僕が嫌だった。
言ったわけでもないのにこうして察してくれる鳴子は、正直にすごいと思う。
「渡したかっただけだから、気にしないでね」
それなのに変なところで鈍いと言うか、引いてしまうんだからよくわからない。
なにその言い方。僕がなにも用意してないとでも思ってるの?すっごいムカつくんだけど。
「ちょっと待ってて」
「?はい」
明日学校で渡そうと思ってた紙袋を、クローゼットの上段から引っ張り出した。
「え、これ、」
「手袋いつもしてないから持ってないかと思ったんだけど」
この間偶然見つけて思い付いたから買っただけだし、別に使わないならそれでもいい。
「いいサイズが見つからなくて、持ってなかったの」
「え、サイズとかあるの?」
「うん、私手が小さいみたいでなかなか見つからなかったの」
そんなの全然知らなかった。
でもそうか。僕もなかなかサイズの合う手袋が見つからないんだから、逆もあるってことか。
サイズ合わなかったらどうしよう。
「サイズよく見つかったね」
どうやらサイズはあってたらしい。手袋をつけて笑ってるのを見てひっそり胸を撫で下ろした。
「鳴子がなにかするのはわかってたし、やられっぱなしがいやだっただけだから」
「ありがとう蛍くん」
ふにゃりと笑う鳴子を見て、早く帰れたらよかったのにと、今更すぎることをまた意味もなく思った。
「ケーキ食べるんでしょ」
「うん」
「うち、たいしたものないけど」
「いいの、蛍くんと一緒にいたかっただけだから」
料理もなにもなく、ショートケーキしかない鳴子と2人だけの小さな空間。そんな小さな空間が不思議なほど愛しく思えた。