はじめまして、さようなら
 幸か、不幸か。人はそれを何で線引きしているんだろうか。

 少なくともおれは、それを明確に区別する術を知らない。だっておれの幸せを他人に決められるのなんて真っ平だし、他人の幸せだっておれに決められたくはないだろうと思っているから。
 それでもおれは未来が視えるから、いつだって命を勘定している。たった一つの尊い命を、大勢の命と秤にかけて弾き飛ばす。最悪も最善もごった返す中に投げ入れて、成り行きを傍観するんだ。
 だっておれはあくまで、可能性が視えるだけだから。

 本当の本当に、最後に未来を決めるのはおれじゃない。皆の選択が複雑に絡み合って未来が今に変わるのだから、おれが命を捨てているわけでも、ましてや軽んじているわけでもない。
 自分の選択でほんの少し天秤を傾けてるだけなんだ。そう例えば、目の前の少女の幸か不幸かの天秤を。


「え、えっと」

 ぽかんとおれを見上げる少女は状況が理解できていないらしい。おれもほとんど咄嗟の行動だったからうまい言い訳も思いつかなかった。だけどおれの右手はしっかりと彼女の左腕を引っつかんでいて、それによってバランスを崩して転んでしまった彼女は座りこんだままだ。
 交差点間際の雑踏の中、地面にへたりこむ女の人とその腕を掴むおれ。しかも互いに呆然としていて顔見知りといった風でもないとあれば、身動き一つしないおれ達を不審に思って様子を伺う視線が集中する。
 ともかくこのままではいけない、とおれは深呼吸して鼓動を落ち着ける。

「突然ごめん。大丈夫か?」

 なるべく好青年に映るように意識して表情を繕う。だけどそれを悟られたのか彼女は怪訝な顔を浮かべておれを睨む。大丈夫ですと静かに答えてから立ち上がって、服の裾を軽く叩いた彼女。それを観察しながら何と言うべきかと悩んでいたら、彼女は鋭い視線をおれに向けた。

「あの、放していただいてもいいですか」

 言われて、やっとおれは強張っていた腕から力を抜いた。その隙を逃さず彼女はおれの手の平を振り払って、地面に落ちていた鞄を拾いあげる。
 途端にさっき消えたはずの未来の映像が再び目の前にチカリと瞬いた。

「や、やっぱり待って!」

 反射でもう一度彼女の腕を掴めば、身体を強張らせた彼女。鋭く睨みつけられて怯むけど腕を掴む力に手を込めれば、数拍置いておれ達からほんの数十センチもない程近くを車が過ぎった。
 車は進路をガードレールに阻止され、けたたましい衝突音の後にクラクションが鳴り響く。やかましいけど、フロント部分がぐしゃりと潰れているから止められないんだろうな。車内を遠目で覗けば、運転席には役目を終えたエアバックが情けなく萎んでいた。運転手も、とりあえずは無事によろよろと車から這いでてくるのを確認して安堵する。
 そうしてやっと、彼女が事故に遭う未来が消えた。ほっと息を吐くと同時に全身の力が抜けて、そのまま彼女の腕を開放する。
 すると彼女は、それまでの態度を改めて、おずおずとおれに声をかけてきた。

「……あ、あの。車見えてたんですか?」
「え? あ、うん」

 正確にはそういう未来がだけど、あながち嘘でもないから頷く。それを聞いた彼女は申し訳なさそうに静かに腰を折った。

「すみません、ありがとうございました」
「い、いや。突然腕掴んだりして悪かった。怖かったよな」
「少し、ですけど、心配してくださったのに」
「見知らない男相手じゃ怯えて当然だよ。無事でよかった」

 深々と頭を下げられる大袈裟な感謝に逆に気が引けてしまう。本当に偶然の出来事だったし、こんな急激に未来が変わるなんて珍しい事だ。もう一度まじまじ彼女を眺めるけどもう変な未来は見えなくて、これ以上はあまり関わらない方がいいかと片手をあげる。

「それじゃあ、おれはこれで」
「あ、あの!」

 自然な動作でその場を立ち去ろうとしたはずだったけど、彼女に呼びとめられるその声色が切羽詰ったものだったから足を止める。振り返れば彼女は鞄からごそごそと何かを取り出した。

「すみません、急ぐのでこれだけ受け取ってください」

 そう言って差し出されたのは三門市のとある企業のロゴが入った小さな名刺。苗字名前というのが彼女の名前なのだろう。それを受け取ってようやく目の前の彼女が社会人であることを理解する。

「お礼きちんとしたいので、よければ連絡ください」
「いや、そんなの」
「本当は今すぐにでもお礼したいんですけど、打ち合わせの時間が」
「わかった、わかりましたから急がなくていいんですか?」

 ちらり、一瞬目の前を過ぎったのは彼女がひたすらに誰かに謝っている映像。今の話と合わせるとこのままじゃ遅刻する羽目になってしまうということだろう。急ぐよう促せば彼女ははっと腕時計を確認してもう一度深く頭を下げた。

「ごめんなさい! 連絡お待ちしてますから!」

 彼女は申し訳なさそうにも急ぎながら交差点の向こうへと消えていく。その背中を見送って、まだちらつく彼女の遅刻の映像を振り払うともう一度名刺を眺めた。
 ミカドケミカルコーポレーション。聞いた事のある社名だ。もしかしたらボーダーのスポンサーに名前を連ねているのかもしれない。隅の方に恐らく会社のドメインだろうメールアドレスと、携帯らしき番号が記載されている。けどこれは間違いなく社用の携帯だろうし、そこに連絡するのも気がひけるなぁと溜息。

「……まぁ、いっか」

 そうは言ってもなんとなくその名刺を捨てるのは忍びなくて、仕方なくそれを上着の胸ポケットに気持ち丁寧にしまった。些細な日常の一コマだし、今後彼女とおれが再会する未来は曖昧にしか見えない。それはそういうことなんだろう、と理解しておれもようやくその場を後にする。
 会わないだろうと思っていて、それでも名刺を捨てられなかったのは。目の前で慌しく未来の映像を変えた彼女が眩しかったからだ、と思う。
 そうしておれと彼女の邂逅はそこで幕を閉じたのだ。

[9/78]

 

main

 

ALICE+