未来の滲みが収束した先
 平和な昼下がりは間違いなく現実なんだろうか。微かに警戒区域の方から警報は聞こえるけれど、こっちの市内は何の変哲もなく人々が過ぎて行く。

 三門市内の散策といえば平和そうに聞こえるけれど、すれ違う一人一人の未来を盗み見ているのだから気持ちのいいものではない。今もまたすれ違った人の僅かな先の未来が瞼の裏で瞬く。あぁ、あと半日もしないうちに誰か家族が亡くなるのか。映像にこの人以外も映ってるってことは、おれはその人達も見た事あるんだろう。
 おれは、見た事のある人間の未来しか見えない。だから昔は視える未来の映像が曖昧すぎて意味を成さないことも多かった。今でこそ誰か一人の未来に関係して映る人間も増えてきているけれど。きっとそれだけ、おれがたくさんの人の未来を盗み見てきた結果だ。

「……お?」

 ぱちり、目の前が瞬いたのは未来の剪定が終わった合図。目の前で何かピンクベージュのジャケットが濡れる映像が浮かぶ。それを着た女性の髪も僅かに濡れてしまっていて、横顔がゆっくりとこちらを向いた。

「わ! ご、ごめんなさい!」

 ぱちり、もう一度瞬きをして声の聞こえた方向へ視線を移す。案の定、映像通り水をかけられた女性が必死に謝る誰かへ向き直っている。どうやらすれ違いざまぶつかった拍子に手元のペットボトルから水を零したらしい。女性もこちらこそすみません、と謝っているからおおよそ事情は察した通りだろう。互いに頭を下げあって平和的にやりとりが終わったことを眺めて安堵する。
 ペットボトルを持った人はそのまま雑踏へと消えていき、女性だけがその場に残っていた。どうするのかと思えば何の躊躇いもなくジャケットを脱ぎ始めて、それを無意識に眺めるおれと、袖から腕を抜こうと身体を捻った女性の視線とが重なる。

「……あれ?」

 瞼の裏で見えたのは未来じゃない、過去の映像だ。おれはこの女性を知っている。あれは確か雑踏に紛れた交差点で、

「あの、すみません、この前お会いしましたよね?」

 どうやら彼女の方もおれの事を覚えていたらしい。尋ねられたそれは傍から聞いていると使い古されたナンパ文句みたいで、女性に変な誤解を招かせるのはよくないなと思いながらも返答に迷う。軽く折り畳んだジャケットを抱えてぱたぱたと歩み寄ってきた女性に、少し警戒を緩めながら問い返した。

「……どこでお会いしましたっけ」

 少しだけ会話を引き伸ばしながらこちらも彼女を注意深く確認する。さっきまで彼女と再会する未来はひどく微かな可能性だったはずだ。それが突然鮮やかに姿を現したことに驚きと、疑いが半々。だけど目の前にいるのは本当にただ普通の女性で疑うのも馬鹿らしい。
 珍しいというだけで確立の低い未来が選択されるのはあり得ない話じゃないし、あまりこの女性を困らせるのも気がひけるからと選択を改める。

「4丁目の交差点で交通事故があったんですけど、ご存知ですか?」
「……あぁ、あの時の。えっと」

 いい加減に話を進めてしまおうと胸元のポケットを漁れば指先に触れるもの。予想通り手をつけていなかったそこからは彼女の名刺が出てきて、それを確認した彼女もほっと安堵した表情に変わった。

「苗字さん」
「はい。その節はありがとうございました」

 また彼女は深々と頭を下げるものだから、おれはそれを必死で制する。こんな街中で女性に頭を下げさせてる男の図は正直ちょっと辛い。彼女もそれを汲んだのか素早く頭を上げるとあの、と声を出す。

「もしお時間あればお茶でもいかがですか?」
「え、っと」
「ご迷惑でなければ、お礼がしたいんです」

 少しだけ、上手く言えないけれど止めたほうがいいんだとは思ったんだ。だけど変な未来も悪い未来も見えなくて、急ぎの用事もなかったから、無理に断るのも苗字さんに失礼かと考えなおして首を縦に振る。すると顔を綻ばせた彼女は改めておれの都合を伺う。

「どこか行きたいところありますか?」
「……近場の、あそこにしましょう」

 改まる必要はないけど、あまり適当な所だと多分苗字さんも格好がつかないだろう。そう思って通り沿いの少し洒落たコーヒーショップを指差せば、彼女はわかりましたと頷く。軽快なヒール音を鳴らして先導する彼女を追いかけ、一緒に店の扉をくぐった。列に並んでメニューを見上げつつ考えていると、あの、と小さく声をかけられる。視線をやれば苗字は軽食や菓子が並ぶショーケースを指差して。

「甘いもの苦手ですか?」
「いえ、好物です」
「良かった、好きなの選んでくださいね」

 にこりと笑顔を浮かべる彼女の表情を見下ろして、おれも笑顔を返す。初対面の時は年下だと思っていたんだけど恐らくこの人は年上なんだろう。だけど、どこか緩いというか気の抜けるような雰囲気があって不思議な感じだと思った。
 というか、今更だけどおれは彼女に名乗っただろうか? あの、と再び呼びかけられてあぁ、やっぱり名前言ってないなこれは、と察する。

「決まったら教えてくださいね。先に席に座っていただいても構いませんから」

 だからこの人もうちょっとおれを警戒してもいいんじゃないの? と思うんだ。多分おれが今もトリオン体で格好がこの前と殆ど変わらないのと、彼女に渡された名刺をおれが胸元から取り出したことから信用されたんだろうけど。それにしたってもうちょっと、女性がそんなホイホイ名前も知らない野郎に気を許すのは、すこーし、早いんじゃないかな、と考えて溜息をつく。

「迅」
「はい? どれですか?」

 メニューの事だと思ったらしい彼女は、必死に文字の羅列から“ジン”を探している様子。そんな姿がまたおかしくて、思わず笑いながらもう一度名乗ることにする。

「おれは迅悠一って言います」
「え、あ、はい」
「名乗ってなかったと思ったので」

 そう改めれば彼女は柔らかく微笑んで、メニューへ向けていた身体がおれに向き直る。

「私は苗字名前です。よろしくお願いします」

 どうしてこんな所でおれ達は自己紹介なんてしてるのだろうか。そもそも彼女に至っては既に名刺を貰っているのだから改めて名乗る必要もなかったのに。おれだけがタイミングを逃して名乗り損ねていた失礼な奴ってだけだったのが、まるで自分も初めて名乗ったかのような、そういう順番みたいなのを揃えてくれる。
 優しい人だと、想った。

  *

「迅さんは、この辺りでお仕事されてるんですか?」
「えぇ、まぁ」

 カウンターで注文も済ませて、コーヒーと互いに選んだ菓子がトレーに乗って出てきた。お礼の言葉に甘えて代金を払ってもらったし、運ぶのはおれが。彼女に促されるままに空いている席に滑りこんで一息ついたところだ。

「苗字さん、今日仕事じゃないんですか?」
「急ぎで確認することがあって、会社に顔を出した帰りなんです」
「平日休みですか」
「うちは隔週で土曜日も仕事があるので」

 何の変哲もない会話をしながらスコーンを手にとる。一般人で年上の女性とこうしてお茶をするというのもなんだか変な感じで、それがついこの前見知っただけの殆ど他人なのだからなおさらだ。

「そういえばあの後」
「事故の後ですか?」
「はい。打ち合わせ、本当にギリギリですけど間に合いました」
「……それ、間に合ってます?」
「一応」

 ギリギリと一応という言葉のコンビはどうにも聞いて不安しかないのだが、まぁ彼女がいうのならそうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。あの後は結局彼女の未来を意識することはなくて他の情報に埋もれてしまったし、それを深く尋ねたところで意味もないだろうとただ笑顔を返す。

「それなら、良かったです」
「慌しくしてしまってすみませんでした」
「仕事ですし、苗字さんが気にすることじゃありませんよ」

 さっきまで、この人は少し警戒心が足りないんじゃと思っていたけど少し考えを改める。おれが最初に自分のことを濁したからか、はたまた別の理由だろうか。恐らく彼女はあまりおれに深入りしないように気をつけてくれているんだろう。そして彼女自身も自分の情報を漏らし過ぎないよう、無難な話題を選んでいる。それでも沈黙にならないように話を振ってくれているから、年上らしい気遣いだ。

 ――やっぱり、彼女と再会する未来は霞んで見える。

 少しの間他愛ないやりとりをしていたけれど、段々とトレーの上が空になっていき、切り上げるのはおれの仕事だと声をかける。

「そろそろ出ましょうか」
「はい」

 トレーを持って片付けも済ませれば申し訳なさそうにすみません、という彼女。奢ってもらってるんですからこのくらい、と言えば困ったように笑って、揃って店を出た後に改めて彼女に向き直る。

「コーヒー、ご馳走様でした」
「いいえ、こちらこそお礼させていただいてありがとうございました」
「おれ用事があるので、ここで失礼しますね」

 ひらりと手を振れば彼女は微笑みでそれに応える。見送る視線を背中に感じながら雑踏の中進んでいけば、これでまた、不思議な邂逅が幕を下ろしたのだった。

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