「なぁ、それ」
「……これ?」
ぺらりと本を捲っていたら、陽介がその長い指でページの端を押さえた。そうやって示されたそこはボーダー設立を主題にしているページだ。
公民の教科書にボーダーという組織が載せられたのはいつからだったか。ある日突然現れたにも関わらず今や生活の一部になっているその組織は、私の隣で一緒に教科書を覗きこんでいる彼の所属する組織でもある。
「何かおもしれーな」
「そうなの?」
「お前、自分の学校が教科書に載ってたら親近感湧かねぇ?」
それと同じだよ、と言って陽介はにこりと笑う。自分の身近なものがメディアの媒体に取り上げられることは、何とも言えない高揚と親近感、楽しさがあるのは確かだ。それは一般的には野次馬と近い物があるのかもしれないけれど。
陽介はしばし黙ってそのページを読んでいたようだったが、内容は酷くありきたりな、ネイバーから市民を守る組織というだけだ。端的に記載されたそれに陽介は早々に興味を無くしたらしく、もういいや、と指を教科書から放した。
「陽介は勉強しないの?」
「んー」
「……将来はボーダーに就職するの?」
いつも勉強に対してあまり真剣でないのはそういう理由だろうか。兼ねてより思っていたことをそのまま尋ねてみれば、そうだなーと陽介は間延びした声をあげて視線を宙に泳がせる。
「戦えるうちは戦うし、その後はコネでどうにか使ってもらいてーな」
「……よく知らないけど、陽介なら大丈夫だろうね」
陽介は分け隔てなく人に笑顔を振り撒く人だ。
相手が好きな人だろうと嫌いな人だろうととりあえずは笑顔を見せる。内心でその笑顔に含ませてる色は違うのだろうけど、それでも笑顔の陽介は人に溶け込むのがとても上手だと、思う。
そうでなければ、私みたいないわゆる人見知りで、教室の隅で大人しくしているようなタイプを選ぶはずもない。ましてや逆に元より陽介みたいなタイプが苦手だった私に、ここまで絆して恋人に選ばせるなんてことも出来ないと思うからだ。
ボーダーでの活動はネイバーから市民を守る事。だけど陽介がたまに言葉を濁すのから察するにそれ以外にもあるのだろう。一般人である私には陽介が戦闘員であるという事以外は教えてもらえない。それでもきっと、同じように笑顔を振り撒いてボーダーで働いているんじゃないかな。そんな陽介なら働かせてくれる部署も人も簡単に見つかりそうだ。
「そっか?まぁ働く気はあるから安心しろよ」
「……なかったら困るんだけど。」
いつもだったら、からからと笑う陽介は珍しく静かに笑っていて、私は少し違和感を感じながらも気の無い返事をしてしまう。探していたページはどこだったかと捲りながら探し、ようやく見つけたそれを開いて机に置いてノートも広げる。
さてとシャーペンを手に取った私になぁ、と陽介が待ったをかけた。
「お前は?」
「え?」
「やっぱり大学行くのか?」
陽介はちらりと視線を教科書に移してから私を見た。
高校三年を目前に控えた今、こうして互いの進路の話題があがるのは初めてだ。私が先にそれを尋ねたからこうして聞かれたのだろうかと考えながらも、うん、と当然の肯定を私は陽介へ返す。
「やっぱりやりたい事を仕事にしたいからね」
陽介と付き合う前から多分そうするだろうなと漠然と考えていた未来予想図。
高卒で働くという選択肢は自分にはあんまりなくて、だからそれなりに好成績は維持して来たつもりだ。担任にも推薦を狙えるかもしれないとのお墨付きももらっているし、曖昧だった未来予想図は着々とその輪郭を濃くしつつある。
「じゃあ県外に行くかもしれねーってこと?」
「まだそこまでは決めてないよ。学力と学部の都合によりかな」
事実三門市内にも私の行きたい方面の学部はあるはずだ。詳細なカリキュラムをまだ調べていないのは、学力が無ければ絵に描いた餅だから。曖昧な返事しか出来ずに陽介を見れば少し固い笑み。
「……そうだよなー」
陽介はそういってまた教科書に視線を落す。少しは勉強する気になってくれたのならそれは喜ばしいことだが、これは何か他に気になることがあるような雰囲気だ。
だけど陽介は自分で言うと決めたことでなければ言わない。軽いように見えてきちんと言葉は選ぶ人だから私は待つしかできなくて。なんとなく返事を待たなければいけないような気がして陽介を見つめれば、ふぅ、と小さな深呼吸をしてから私に向き直った。
「俺バカだから大学とか考えてねーんだ」
「……」
「お前は、彼氏が高卒とか嫌かもしんねーけど、でも」
陽介にしては歯切れの悪い言葉になんだか不安になる。多分陽介の緊張や不安が私にうつってしまっているんだろうな。その空気に呑まれないようにただ陽介の言葉に集中していれば、陽介はぽつりと最後の言葉を落とした。
「お前が大学卒業するまで働いて金溜めとくからさ、そういう予定でいてくれよ」
陽介にしては珍しい、ぼかしにぼかしたその予定。そうかもしれないと期待する思いと、勘違いかもしれないという不安が交錯する。複雑に入り混じった感情がそのまま表情に表れてしまっていたようで、陽介の笑顔も少しだけ曇ってしまった。
「……それ、は」
「嫌、か?」
「違う、と思う。なんていうか、曖昧で自信がない」
「……じゃあ、やっぱり約束に、していいか?」
陽介は私がシャーペンを握っていた手を柔らかく包む。驚いてかたりと取り落としたシャーペンが机を叩いて、そのまま転がり落ちた。それに気を割く余裕もないらしい陽介はそれを好機とばかりに、緩んだ私の掌にそって自分の指を絡ませた。
「今も結構危ない仕事してるし、今後どうなるかとかわかんねーけど」
「……うん」
「これから先も名前と一緒にいるんだろうなって思ってる」
「……うん」
――それは、なんて幸福なことなんだろうか。
私が、曖昧に描いている自分の未来予想図を持っているように、陽介にもきっと陽介なりに描いている未来予想を持っている。そこに私という存在が当然のように描かれているということは何て素敵なことだろう。
「だから、選べる時になったら俺と一緒の未来考えてくれよ」
「……陽介」
「その時はちゃんと聞くから、返事ちょうだい。」
陽介はそういってはにかみながら柔らかく目を細めた。頬が僅かに赤く染まっている珍しい表情にじわり涙腺が緩む。約束な、と小さく落とされた言葉に私は頷くしか出来なくて、せめてこの嬉しい気持ちが伝わって欲しいと強く陽介の掌を握りしめた。
「……陽介」
「ん?」
「そういう予定で、いるから」
改めて先程の言葉にも返事をすればあぁ、と笑みを滲ませた答え。高校生活最後の春を目前にして私達の未来予想図にはまた、新しい色がのせられたのだ。
春色未来予想図
(米屋には同い年の彼女が似合うイメージ)