(私の彼氏はこんな人)
 私の彼はボーダー隊員だと言えば、えぇ凄い、と返されるのがここ三門市だ。なんだか一種のステータスを自慢するような妙な響きを伴ってしまうから、私は自分の彼をそうだと紹介することが苦手だった。もし彼が他の同級生と同じように大学に通っていたのなら、学生だと言うこともできたのだけど。まぁ、その時はきっと年下なんてどうやって捕まえたんだ、なんて面倒な話になっただろう。
 結局私は彼を説明する時にはボーダー隊員だと言わざるを得ず、その度に私自身も彼がボーダー隊員だという事実を改めざるを得なかった。

「お疲れさま」

 笑顔で私を労わる彼は――悠一は、今日も唐突に私の会社へとやってきていた。仕事が終わって会社を出れば正面玄関に立っている、なんてことは悠一と付き合い出してから珍しいことではない。一週間の折り返しでもある今日のことだから、きっと明日の私はまた違う同僚に昨日の男は誰かと聞かれ、そこから恋人で、ボーダー隊員だと紹介するような流れを繰り返すのだろう。

「悠一も、お疲れさま。今日は時間あるの?」
「うん。まぁ」

 悠一は自然に私の隣へと立ち、当たり前のように私の手を取った。指先が絡む恋人繋ぎ。行こう、と急かすから手をひかれるままに悠一と歩き出す。
 帰り道には既に街灯がぽつぽつと灯っている。オフィス街から少し歩けば、仕事終わりの社会人御用達の飲み屋街だ。明日も仕事なのは私だけじゃないはずなのに、あちらこちらから既にアルコールが入っているであろう人々の賑やかな声が響いてくる。ついでに美味しそうな匂いまで漂ってくるので、仕事終わりということも相まってすぐにでも暖簾をくぐりたくなってきた。けれど、さすがに未成年を連れて居酒屋というのもいただけないしと、隣の悠一を見やる。

「夕飯、何にしよっか」
「そうだなぁ……どっちでもいいよ。外食でも」
「じゃあ、この前言ってたラーメン屋さんは?」
「うん、じゃあ行こうか」

 とろんとした笑顔。悠一の目尻が下がっているのは生来の垂れ目のせいか、それとも。
 悠一は日々三門市散策――本人曰く暗躍――をしている。だから、案外色んなお店を知っているのだ。裏路地にある一見はそうとわからない和食屋さんとか、閑静な住宅街の中にある個人が経営している小さなカフェだとか。この前も、ふらりと立ち寄った雑貨屋さんの裏にラーメン屋があって、そこのつけ麺が美味しかったのだと教えてくれた。
 そう案内されたラーメン屋。入り口には達筆な“営業中”の札がかかっていて、悠一はがらがらと扉を開けるついでにこんばんはー、なんて暢気な声で呼びかける。奥から、おじさんが威勢よくいらっしゃい! と声を響かせ、お好きな席にどうぞ! と続けた。私は扉を閉めてから悠一の後を追って席につく。客は私達を除けば二組。店内はそう広くないけれど、片隅にあるテレビのおかげか静かすぎることもなく居心地は悪くない。

「いらっしゃいませ」
「どうも。……じゃあ、つけ麺二つお願いします」

 お冷とおしぼりを運んできた店員さんに、悠一はさっそく注文を済ませる。はい、と笑顔で答えた店員さんは厨房へ戻っていき、つけ麺二丁入りました、と声を上げた。再びおじさんが威勢のいい、ありがとうございます! の声を響かせる。ラーメン屋の店員さんってこうしてよく厨房から挨拶の声を響かせているような。ラーメン屋の習慣なのだろうか。
 そうぼんやりしていると、悠一はなんだか拗ねたように頬杖をついて私を眺めはじめた。睨む、というほどではなく、けれど何か言いたそうな顔。どうかした? と伺えばううん、と言葉を詰まらせながらも悠一はぽつりと呟く。

「……何日ぶりだったっけなぁって」

 なにが、というのは野暮だろう。けれどそれを悠一が言うのか、と少し困ってしまう。

「……そうね、二週間くらいかな」
「そっか」

 本当は、十八日だよ。私は近くにあったグラスを手に取って、水と一緒に言いかけた言葉を飲み込んだ。だってそうと言ってしまったら、なんだか悠一を責めているみたいだったから。
 悠一はまるで私を真似たかのようにグラスを手に取る。からんと氷が音を立てて、ゆらめく水面にちらりと視線をやる表情はさっきと変わらない。まるで私と同じように言葉を飲み込んだかのようだ。

「なにか変わったことはあった?」
「……特にはない、かなぁ」
「そっか。それならいいけど」
「悠一は? 忙しかった?」
「そりゃまぁ、実力派エリートですから」

 言葉そのものは自信に満ちたもののはずなのに、覇気のない声だった。人気者であちらこちらと引っ張りだこだというのなら嬉しい悲鳴と思えるのだけど、悠一の声色からはそうと思えない。少なくとも忙しかったということを否定しない以上は疲れているのだろう。無難にお疲れさまと声をかければうん、と返され、会話が途切れて沈黙が落ちる。
 少しの間。私の背後から響いたのは、再び誰かが来店したのだろう扉の音だった。聞き流していると突如、向かいにいる悠一が何かに気づいたようにはっと目を見開く。

「……大丈夫?」
「……うん」

 へにゃりと笑う顔は、どこか無理をしている。また、悲しい末来を視たのだろうか。
 けれど聞くことはできないから黙っていれば、少しして店員さんがつけ麺を運んできた。食べようかと悠一に声をかければ頷くので、互いに手を合わせていただきますと食べはじめる。けれど、失敗したかもなぁ、と思った。もぐもぐと咀嚼している間は話すわけにもいかず、互いに食べる早さも違うとなれば食事中は会話が弾まない。精々、おいしいね、だとか、この店の出汁は海鮮系なのかな、とかその程度。だから、悠一はこうして私と夕食を食べている間にも、視たばかりの誰かの末来のことを考えてしまっているのかもしれないなぁ、なんて。
 結局口数も少なくつけ麺を食べ終えた私達は、ほどよく食休みにくつろいでからお店を出た。暖房の利いていた店内とは違って、ひゅうと吹き抜けていく風がやけに冷たく感じる。寒い。たったそれだけで簡単に人の温もりが恋しくなってしまうものだ。そんな言い訳をしながら私は、勇気を出して自分から悠一の手に指を絡める。

「……今日は、家にくる?」

 これが、今の私の精一杯。けれど悠一は少し黙ってからいや、と首を横に振る。

「明日も仕事でしょ。……久々に顔見たかっただけだから、送ってくよ」

 やっぱり、とどこかでわかっていた結末にため息を零したくなったのを必死で堪えた。悠一はいつもそうだ。平日こうして会いに来てくれた時は、絶対に帰ってしまう。そりゃあ確かに私は仕事なのだけど、悠一はそうとも限らないだろう。ボーダーの任務は変則的だと聞く。だから、たとえ私が多少明日の仕事に支障をきたすとしても、悠一に時間があるのなら一緒にいたいと思うのに。

「……そっか。わざわざ、ありがとう」

 今日も私は意気地なし。悠一を引きとめることが怖くて、私は悠一に送られるまま帰宅し、帰る悠一を見送るだけなのだ。

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