(だから私はここにいる)
 帰り道二人歩きながら、今日は外食ではなく私の家で自炊することに決めた。スーパーに寄ってちょっとだけ食材を買い足して、ビニール袋をぶら下げながら帰宅する。今日の夕飯はお鍋にしようと、これも二人で決めたのだ。軽く身支度を整えてから悠一と並んで台所に立つ。とはいえ鍋は悠一の得意料理だから、悠一に包丁を預けて具材の下ごしらえはすべて任せることになる。私は家主として土鍋を戸棚から下ろし、出汁を取るくらいの手伝いだけだ。
 鼻歌混じりの悠一の手元で、次々としいたけの傘に花が咲いていく。手馴れた様子で次々と飾り切りを施していく姿は……まぁ、かっこいいの一言に尽きる。

「私と悠一だけなんだから、そこまで気にしなくてもいいのに」
「だからこそ、でしょ」

 へらりと笑う悠一。かっこいい上にそんな甘いことを言ってみせるのだから、どうにも敵わないと思ってしまう。だからやっぱり、悠一の笑顔が曇るようなことはしたくないと改めて思うのだ。
 少しして土鍋がくつくつと音を立てはじめたので、煮込み過ぎてしまう前にと昆布を取り出した。これでもう私にできる手伝いは終わりだろう。

「悠一」

 声をかければ、はいはい、と明るく答えながら悠一は包丁を置いた。白菜の芯の部分とか、さらに出汁を取るための白身魚とつみれから鍋へ投入していく。得意料理と言うだけあって、悠一には具材のチョイスや投入の順番に拘りがあるらしい。とにもかくにもあとは全て悠一におまかせ。それでも一応は、何か他にも手伝おうかと声をかける。

「いいや、あとはおれがやるよ。ゆっくりしてて」

 鍋奉行の言葉とあっては頼もしい限り。そうとなれば私がするべきは洗濯物の片付けだろうとキッチンを離れる。人を泊めるのに一番使うのはタオルだ。今朝は洗濯物を回しておいてよかった、と考えながらも私は取り込んだ洗濯物を片付け始めることにする。
 意外と時間がかかってしまったらしく、洗濯物を畳んでそれぞれ定位置にしまい終える頃、そろそろご飯にしようかと声をかけられた。丁度いい塩梅だというのでテーブルに鍋敷きを置いて待てば、悠一が土鍋を運んできてくれる。そのまま鍋つかみをはめた手でぱかりと蓋を開くので、湯気がぶわりと食卓に広がる。

「おいしそう」
「だろ?」

 自信満々な笑顔を浮かべて鍋つかみを外した悠一はそのまま腰を落ち着けた。お椀と、お箸。他の小物を準備して両手を合わせれば、いただきます、の挨拶が揃った。昨日に続いて向かいに悠一がいて、一緒に過ごす夕食の時間。二人でつまむ鍋は少しずつ減っていき、心もお腹も満たされていく。さて、心はともかく悠一のお腹の方はどうだろうか。今晩はこのまま残しておくことにして、明日の朝ごはん代わりに雑炊にしたらどうだろうか、なんてぼんやりと考える。
 ふと、悠一の目がぱちぱちと瞬いた。何が視えたのだろうと思うけど、呆けたような表情からじわじわと眉尻を下げていく様子を見るに、あまり気持ちのよい末来ではなかったのだろう。大丈夫? と声をかければ悠一は歯切れ悪く、それでもうんと一つ頷く。けれどくつろいでいた雰囲気が霧散して、どことなく姿勢を正した悠一はえっとさ、と私の方を見ないままに口を開いた。

「ちょっと、急用ができそうだ」
「……え?」
「だから、食べ終わったら帰るよ」

 理由なんて聞かなくてもわかる。何か、気にかかる末来が視えたのだろう。そしておそらくそれは悠一にとってできれば避けたい未来で、さらに言えば悠一が何かしら手を加えれば避けられるかもしれない未来なのだろう。
 わかっていても、胸にずしりと鉛が落ちたかのような落胆は拭えなかった。せっかく、勇気を出したのに。そうして悠一が来てくれてこんなにも穏やかな時間を過ごして、一緒に夜を明かすのだとこれからにも期待していたのに。どうしても焦燥感が募るものの、それでも悠一を咎めてはいけないと、私の不満が滲まないように精一杯声を凍らせてそっか、と返す。

「……悠一の仕事なら、しょうがないね」

 そうだ。視えた未来に思いを馳せることも、そこで打開策を見つけて暗躍することも全部悠一の仕事だ。私が毎日社会の一員として会社に勤めて仕事をしていることと同じように、ボーダー隊員である悠一は毎日ネイバーと戦いながら自らの力を存分に奮って三門市の末来を想っている。それを私が邪魔してはいけないとわかっているのだ。気持ちが追いつかないとしても、そんな悠一の邪魔になってはいけないと知っている。

 それでも、いざ玄関に立つ悠一を見れば寂しさが募った。次にこんな機会があるのはいつだろう。今日みたいにまた、素直な気持ちを悠一に伝えられる機会はあるのだろうか。その時に、私は勇気が出せるのだろうか。悠一の末来を自分が邪魔しやしないかと怯えずに、ほんの少しだけ素直になれる未来は、いつ頃やってくるのだろう。

「それじゃあ」

 ――それを待っていて、いいのだろうか。
 悠一はどんな末来を求めているのだろう。平和な三門市だとか、誰かが傷つかないようにだとかそういう話ではなく、私に対して。私はこうして悠一に何もしないことを、悠一の末来を邪魔しないことを求められているのだろうか。悠一にされるがままの私を。悠一に言われるがままの私を?
 嫌だと、思ってしまった。邪魔したいわけではない、悠一が願う末来を壊したいわけでは決してない。それでも、そのために私にできることが“何もしない”ことなんて、そんな寂しいことはないじゃないか。

「――……え?」

 驚いたような声が悠一の口から零れた。私自身も驚いている。こんなこと、今までしたことなかった。帰ろうとする悠一を無理やり引きとめるなんて。悠一の袖を掴んで引っ張るなんて、そんな子供みたいなことを初めてしたのだ。
 悠一は末来が視えているはずなのになぁと思う反面、読み逃すことも多いと聞くし驚いている様子を見るに今回は後者なのだろう。私の咄嗟の行動は悠一の視た未来とは少し違うもので、だから私はこれからも心配するだろう。私のちょっとした勇気は、悠一の枷になってしまうのかもしれない。それでも。

「……その、用事が終わったらまた、帰ってくるとかは、ダメなのかな」

 悠一の急用がどんなものか、聞いてはいけないと思っている。末来に関することは不確定なことだらけで、知ったからといって必ずしも末来が好転するとは限らない。だから悠一はあまり多くを語らない。そこにボーダーの機密も絡んでくるとなっては余計に。だから私も悠一が用事だといえば深くは聞かないようにしていた。
 けれど、用事がどんなものかとは聞けなくても、もう少し私に聞けることはあったんじゃないだろうか。いつまで、とかどこで、とかは聞けなくても、せめてまた会える時間はないのか、とか。だって、帰ってくるのを待っていることだって私にはできるのに。

 悠一はしばらく黙っていたけど、深く長いため息を吐いてから靴を脱ぎはじめた。呆れたのだろうか、それならどうして靴を。考えている内に再び家へと上がった悠一はそのまま私を――ぎゅうと、抱き締める。

「……聞いてくれる?」

 落ちたのは、弱々しい一言。頷けば悠一はぽつぽつと告白を始める。

「急用、って言ったけど、ごめん。今日のは心配してくれてるような暗躍だとかそういう話じゃないんだ。……明日、おれのせいで仕事に遅刻しそうなんだよ。回避する方法もないわけじゃないんだけど……正直、自信がない。一番確実なのはおれが帰ることだったからそうしようと思っただけで……えっと、だから、悩ませてごめん」

 悠一の腕の中で聞かされた真実は、私の想像とはまったく異なるものだった。一体どんな末来が視えたのかと思えば、私が会社に遅刻する、なんてその程度の些細な末来だったらしい。いや、悠一にとっては些細ではないのかもしれない。今の口ぶりだと、悠一がいることに関係があるようだし。そしてそれは確かに想像に難くない末来だ。きっと私は悠一がいれば嬉しくて、できるだけ一緒の時間を過ごしたくて夜更かししてしまうだろう。そうしてうっかり寝坊するなんて、むしろそうならない方が不思議なくらいかもしれない。
 けれどそんな些細な末来ですら、悠一は心を砕くのか。それこそ、誰かが傷つくだとか危 な目にあうだとか、もっと言えば悠一自身が困ってしまったり傷ついたりするそんな末来にこそ心を砕いてほしいのに。そう思えば自然と、応えるように悠一を抱き締めた腕に力がこもる。

「私のこと心配してくれて、ありがとう」
「……うん」
「でもね、私が明日遅刻しちゃうことよりも、今悠一が帰っちゃうことの方が、嫌だよ」
「…………うん」

 悠一は少しだけぎゅうと腕の力を強めたと思ったら、あっというまに緩めてしまった。熱っぽい眼差しに見つめられて瞼を下ろせば、そうっと壊れ物に触れるかのように優しく唇が重ねられる。ふんわりと押し付けられて、すぐに離れて。ちゅ、とリップ音が響くのが恥ずかしかったけど、久々のキスに心が満たされていく。

「…………すっごい、久々だ」

 悠一も同じ気持ちだったのか。ため息混じりに零された言葉に小さく笑ってしまう。本当に、と返せば同じようにふすりと笑った悠一がもう一度私を伺って、キス。今度は繰り返し唇を食むように何度も口付ける。

「……あー、うん、だからさ」
「うん?」
「こういうのでまぁ、明日遅刻する末来がどうしても、消えないわけなんだけど」

 困ったように眉尻を下げる悠一。頬は緩んでいるものの、どこかでまだ踏みとどまっているような気配を感じる。だから私はまた少しだけ、勇気を振り絞って素直な気持ちを告白してみることにする。

「私、怖かったよ。一緒にいてほしいけど、引きとめて悠一が視た未来の邪魔をしちゃったら、嫌だから」

 言えば、悠一は少しだけ驚いたように目を見開いて、それからやっぱり困ったように笑う。

「……おれだって同じさ。一緒にいたいけど、それで困らせる未来だってたくさん視えるから」

 再び悠一の胸元に顔を埋めて温もりに浸る。そうか、怖かったのは私だけじゃなかったのか。私は視えない未来が怖いけど、悠一は回避したい未来が現実になることが怖いのだろう。けれどその一つが、私のちょっとした失態も含んでいることにどことなくもどかしさを覚えてしまう。

「……いいじゃない、別に」
「え?」
「困らせたら、ダメなの? 別に遅刻するくらいなら悠一が気にすることでもないじゃない」
「……それ、一社会人が言っていいのかな」

 くぐもった笑い声が聞こえる。三門市を守るボーダー隊員である悠一に、あまり不真面目な提案はよくなかっただろうか。けれどその割には気にした様子もなく、そっかぁ、なんて気の抜けた返事。

「でもそれなら、おれが視た未来に邪魔になるかも、なんてことも考えなくてもいいと思うけど」
「……事の重大さが違わない?」
「うん、だからさ」

 少しだけ胸が苦しくなったのは、たぶん、悠一の腕に力がこもったから。

「どんな未来になったとしても、おれがやることは変わらないんだよ。だから……酷い言い方かもしれないけど、あんまり関係ないんだよね。おれはおれだけのために未来を選べるわけじゃないからさ」

 悠一はそんな寂しいことを淡々と言ってのける。悠一にとってはきっと、当たり前のこと。未来が視える悠一だからできることがある。言い換えれば、悠一にしかできないことがたくさんあるのだ。そして悠一にとっては、できることである以上しない、という選択肢はないも同じなのだろう。だから、私がどんな選択をして悠一が視た未来を歪めてしまったとしても、悠一のやるべきことは変わらないのだ、と。

「泣かせるような未来はおれも選びたくないけど、いざって時おれはきっと選ばなきゃいけない未来を選ぶ。だからさ、普段はそんな我慢しないでよ。そのくらいの甲斐性はあるつもりだから」

 それを、私が遅刻する未来にまで心を砕いていた悠一が言うのか。あまりに優しいから胸がきゅうと苦しくなって、それを全部押し付けるように悠一を抱きしめる。

「それならせめて、そのいざって時に悠一が安心して選ばなきゃいけない未来を選べるように頑張るね」

 そのためにと私は悠一の頭を引き寄せて唇を奪う。

「……だから、今晩は泊まっていって?」

 そんな大胆なことが口にできたのはきっと、これまでの臆病な私の積み重ねの結果。ここでまた怯えて引きとめる手を下ろしてしまったら、私はいつか悠一の言うように、悠一が選ぶべき未来を選んだ時に耐えられなくなってしまうだろうから。

「……これでもさ、あんまりガキくさいことして幻滅されないように頑張ってたつもりなんだけど」

 そう低い声で囁く悠一はもうすっかりと、年下の健気な恋人ではない男の表情に変わっている。

「……明日、遅刻確定だから覚悟しておいて」

 もしさっき悠一を引きとめずに見送っていたら今はなかったのだろう。きっと私たちはこれからも、そんないくつもの“もしも”の世界の中から一つを選んでいく。望まない未来も、あり得たかもしれない未来も全部ひっくるめたたくさんの世界の中から、こうして悠一に手が届く世界を選んでいくのだ。


未来と今との交差地点

(2018.1.14発行の迅悠一夢アンソロジー『parallel』様へ提出)

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