おれがその人と出会ったのは、B級に上がって間もない頃だった。
「駿くーん!」
「げ、苗字先輩」
ランク戦に向けてサブトリガーを学ぼうと、ミドリカワにグラスホッパーを教えてもらった日。休憩しつつアドバイスを聞いていると、遠くから朗らかな女の人の声が聞こえてきたのだ。
「聞いたよー、C級の子にこてんぱんにされたって?」
「そうやって傷に塩を塗りこむのやめてよね」
「どうする? 八つ当たりされてあげてもいいよ?」
「そういう意味わかんない優しさいらないから!」
にこにことした笑顔でひらひらと手を振る女の人。言葉はそんなに優しくないけど、八つ当たりされてもいい、は本当だ。だから、あんまり勝ち負けに拘らないタイプなのかな、と観察。
「あれ、見かけない子だけど駿君の友達?」
「先輩だよ、遊真先輩」
「先輩?」
近くまで寄ってきてようやく、その人はおれの存在に気付いたらしい。ミドリカワに先輩と呼ばれるおれが不思議なようで、こてんと首を傾げている女の人。そんな伺うような顔でも笑顔の耐えない、可愛らしい人だと思った。
「空閑遊真。背は低いけど15歳だよ」
「あらそうなんだ。私は苗字名前17歳だよ。よろしくね」
にこり、また笑顔。とても懐っこい人っていう感じだ。「遊真君でいいかな?」と聞かれたので、こちらも「よろしくな、名前先輩」と返す。
あまりにもずっと笑顔だから、戦う時はどんな表情をするのか気になったのが最初だ。
「ねぇ名前先輩、おれとランク戦しようよ」
「今から?」
「遊真先輩が、さっき言ってたオレをこてんぱんにした人だよ」
ミドリカワの補足を聞いてまた不思議そうに首を傾げる名前先輩。今のおれがB級だからか、と理由に気づいて、C級の時のウワサだと言えば納得してもらえた。
だけど、戦うことについては少し困ったような笑顔で躊躇っている。
「うーん、遊真君強いんでしょう? 私相手じゃつまんないよ?」
「それは戦ってみたらわかることだよ」
食い下がれば名前先輩は少し考えてからいいよ、と笑った。その代わり、と言ってぴんと指を立てた名前先輩が条件を出す。
「勝った方が負けた方にジュース奢りね!」
「いいよ」
「年下にたかんないでよ苗字先輩……」
「駿君、せめて頑張れくらい言ってくれない?」
肩を落とすミドリカワの背中を軽く叩くと、名前先輩は颯爽とブースに入っていった。おれも後を追いかけて、近場の適当なブースに入ってすぐに試合を申し込む。
メイントリガーは、スコーピオン。おれと同じか。準備が完了すれば転送が始まって、真っ直ぐに立った名前先輩がにこりと笑う。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
お互いに一礼をして、試合開始の合図と共に切りかかった。
*
「はー、遊真君こわい! 強い!」
「どうも」
最初の約束通りジュースを買って、名前先輩の目の前に置く。名前先輩は、「ありがとう」とやっぱりにこりと笑ってそれを受け取った。おれが素直に奢ったのが気に食わないのかミドリカワがむすりと膨れているけど、そんなことを知らない名前先輩はストローに吸い付いてふぅ、と一息つく。
「駿君も素早いけど遊真君も凄いね。B級とは思えない」
「いやいや、ほんの実力です」
「あはは、本当凄いよ」
負けたというのにあまり悔しそうな様子はない。それどころか、手放しで凄いと相手を褒められるのも凄いな、と名前先輩を眺める。
すると、名前先輩がふと時計を見たかと思うと、あ、と口を開けてジュースを慌てて飲み干した。
「ごめん、私もう行くね。今日はどうもありがとう」
またね、とひらり手を振った名前先輩は足早に去っていく。その背中にひらひらと手を振り返して見送れば、隣のミドリカワがちぇ、と軽く舌打ちをした。ミドリカワも戦いたかったのかと尋ねれば「違うよ」と言うけれど、その割りにはすっきりしない態度につい眉間に皺を寄せる。
そんなおれの表情に気付いたミドリカワは小さく溜息をついてから話し始めた。
「あの人、今A級ソロなんだ」
「ふむ? ソロでA級になれるのか?」
「組んでたチームが解散しちゃったんだよ」
まだ決めてないのかな、と小さく呟くミドリカワ。そこには名前先輩を心配するような声色が滲んでいた。それなら最初から聞いてみればいいのに、と本音が零れるが、ミドリカワは途端にぎゅっと眉根を寄せて嫌そうな顔をする。
「……あの人の子供扱い、むかつくんだよね」
「そうか?」
「なんでもかんでも褒めるんだもん」
つんと拗ねたような口調ではあるけど、むかつく、はちょっとだけ嘘だ。
名前先輩は、少し話しただけでも柔らかい雰囲気の人だとわかる。きっと人に対して嫌なものより、いい感情を向けられる人なんだろう。そういうのがくすぐったくていらつくこともあるけど、嬉しい気持ちもあるんだろうな。
ボーダーに所属して戦いながらも、ああやって笑顔と優しさを分けてあげられる人。
「うむ。かわいい人だな」
第一印象そのままの感想を述べれば、ミドリカワはぽかんと口を開けて呆けていた。見開かれた目に凝視されて、何事かと首を傾げればびっくりしただけ、と表情を戻す。
「遊真先輩がかわいいとか言うの意外だなって」
「そうか?」
じゅご、と音が鳴って手元のジュースが空になった所で、おれとミドリカワもその日はもう帰ろうと互いに別れた。
*
それからは名前先輩をランク戦ブースで顔を見かけることが増えた。というより、気付くといつもの笑顔で遊真君、と声をかけてくれるのだ。遊真君の白い髪はすぐ見つかるね、とにこにこしながら話しかけてくれるから、会えば他愛もない会話を二言三言交わすようになったのが最近の話。
そんなある日、珍しく名前先輩に笑顔がなかった。正確に言えば笑ってはいるのだけど、愛想笑いのような元気のない顔。いつもならおれが見つけるより早くおれを見つけてくれて声をかけてくれるのに、今日は周りを見ていないのか、ストロー片手にぼうっと宙を見つめている。
「名前先輩」
「……ん、あれ、遊真君だ」
声かけてくれるの初めてだね、と静かに笑う名前先輩は、いつものような温かさはないけどそれでも穏やかに笑う。
「どうしたの? 元気ないね」
「うーん、やっぱりそう見える?」
どうりで皆構ってくれるわけだね、と笑いながら頬杖をつく名前先輩。断りをいれてから、おれはその向かいに腰を下ろす。
「遊真君はさ、どうして今のチームメイトを選んだの?」
唐突に訊ねられた質問に、この前のミドリカワとの会話を思い出した。A級ソロという今の肩書きに、何か落ち込んでいる理由があるのか。考えながらも「二人が目指すものを手伝おうと思ったからだよ」と簡単に話す。
名前先輩はそんな雑な説明に文句も言わず、そっかと笑顔で頷いた。そしてまた、ふぅと小さく押し出すような溜息を吐く。
「……元々、私がA級部隊なんて分不相応だったんだよね」
頬杖をついて視線は机に落としたまま。だけど、多分意識は過去に向いているんだろう。名前先輩はぽつぽつとまるで独り言のように話を始める。
「仲間が私を上手く使ってくれてたってだけで、別に私に実力があるわけでもないし」
表情は穏やかで口角も上がっているのに、それは笑顔じゃない。まるで泣いているような表情で名前先輩は独白を続ける。
「けど、凄いなって私が言うことを、向上心が無いって思われちゃうと困るなぁ」
そこまで話し終えると、名前先輩は一度ストローを咥える。こくりと小さく喉が震えるその動きが、まるで涙も一緒に飲み込んでるみたいだ。
どうして、そんなに落ち込んでいる時でも笑おうとしているのかが不思議だった。
「遊真君は、凄いって言われるの、嫌?」
「嫌じゃないよ」
「そっか」
ありがと、と小さく言葉を落として名前先輩は笑う。愚痴っちゃってごめんね、と言って立ち上がったから、このまま帰らせていいのか迷って思わずその腕を掴んだ。
「……ん? ランク戦は出来ればまた今度がいいな」
「違うよ。あのさ」
実際、名前先輩の動きは悪くないし弱くはない。上手く使っていたという仲間も凄いのだろうけど、それだけじゃなくて、A級の肩書きが名前先輩に分不相応だとも思えない。
「おれは、名前先輩のそれ、強いとこだと思うよ」
くるりと目を丸くした表情からは見慣れた笑顔が消えてしまって、呆然としているその姿に言葉が足りなかったかと少し頭を捻る。
「相手の強さをちゃんと認めることも一つの強さだよ」
「……そんなこと」
「それより、自分を必要以上に弱いと思う方がよくないと思う」
「……、そうかな」
「相手を認められるのに、自分ができるとこは信じてない。もったいないよ」
名前先輩は少しだけ困ったようにおれを見つめて、返すべき言葉に迷っているようだった。多分おれの慰めを素直に受け取れないんだと思ったから、おれは少しだけ言い回しを変える。
「名前先輩、おれの事強いって、凄いって思う?」
「うん、それは勿論」
「なら、そういうおれが名前先輩のこと強いっていうの信じてよ」
な、と笑えば名前先輩はちょっとだけ泣きそうに表情を歪めて、だけどふわりと、いつもの柔らかい笑顔でうん、と頷き返してくれた。
元気が出てよかったな、と素直に喜ぶ気持ちと、やっぱり可愛いな、とこの場に不似合いな感情が同時に湧きあがる。
*
その日から、名前先輩はよくランク戦を申しこんでくるようになった。おれは後輩だし、入隊暦だっておれの方が浅いのに、名前先輩は素直に教えを請う。
あの日の名前先輩は、自分が向上心の無いようにみられていると零していた。だけどランク戦の数をこなすほど、一体どんな奴にそんなことを言われたんだと呆れてしまう。
確かに誰と戦っても、その強さを凄いと笑顔で褒めている。けれど、おれが教えたことが上手くできなかったり、納得のいく出来栄えじゃない時の先輩は笑わない。無意識なんだろうけど、人に見られないような所で悔しそうに表情を歪めて、もどかしさや怒りを全部自分にぶつける人なんだと段々わかってきた。
誰かは知らないが、つまりはそういう名前先輩を知らずに勝手なことを言ったんだろう。今頃になって、名前も知らないそいつに僅かな怒りを抱く。
「今日もありがとう! 勉強になりました」
「うん。おれも楽しかった」
教えてくれるから、とランク戦後はジュースを奢ってくれる名前先輩。今日も一緒に、ジュースを片手にソファへと腰を下ろして休憩する。
「……ねぇ、遊真君。あのね」
迷ったように切り出された話にストローを咥えながら耳を傾けると、それはさっき考えていた名前も知らない奴の話だった。
「ちょっと前に向上心が無い奴だ、って怒ってくれた人がいるんだけど」
「うん」
「最近頑張ってるし、部隊に入らないかって誘ってもらったの」
何も知らない癖に偉そうなことを名前先輩に言ったそいつに対しても、怒って“くれた”という言葉を使うのがいじらしいと思った。おれはなるべく怒りを表情に出さないように気をつけながら、平静を装って名前先輩の言葉の続きを待つ。
「私は隊長には向いてないし、誘ってもらえるなら受けようかと、思ったんだけど」
やめなよ、と言ってしまいたかった。だけどおれが口出しをするのは駄目だからとその言葉をぐっと飲み込む。おれの表情の変化に気付いているのかいないのか、名前先輩は困ったように笑った。
「……断っちゃった」
ほ、と小さく胸を撫で下ろした。もったいなかったかなぁ、でも、どうしてもそこで頑張れる自信がなくて、とか。おれの返事が怖いのか、言い訳のような言葉をぽつぽつ漏らす名前先輩の言葉を笑って遮る。
「よかったよ。そんな奴の下じゃ先輩がもったいない」
「わ、私が?」
「向上心がないとか、名前先輩のことよく見てないから言えるんだよ」
そういう奴のとこよりもっと他の部隊を探したほうがいいよ、と告げれば、肩の力がやっと抜けた名前先輩はありがと、と笑顔を見せた。お礼を言われる必要はないし、そもそもおれは事実を言っただけなんだけど。
「遊真君が私をそうやって見てくれてるのは嬉しいな」
「そうか」
「忙しいだろうにごめんね、年上の面倒まで見させて」
照れくさそうに言う言葉に嘘はなくて、おれが面倒を見てると思っているらしい名前先輩。年下相手にそう言えるほど自分を低く見てるのはよくないような気もするけど、そういうことを素直に言える名前先輩はやっぱり可愛いなぁ、と眺める。
「いいよ、名前先輩見てるの楽しいし」
「そんなに面白い生活をしているつもりはないんだけどな?」
すっかりいつもの笑顔に戻った名前先輩におれも笑顔を返せば、今日は急ぐから、と一足先にジュースを飲み干した先輩が手を振って去っていく。
姿が消えるのを見届けてからふと向かいの席を見ると、ソファに残された携帯端末があった。ポッケが何かから滑り落ちてしまったのだろうか、さすがにこれは落とし物としてマズイんじゃないか。今からならまだ追いつくだろうとそれを手に取ると、消えた名前先輩を目指して後を追いかける。
「……だから、考え直してくれないか」
異様に緊張した雰囲気に響いた声色が妙で、気配を消してその場に立ち止まった。丁度角の先にいるらしいその声の主を影から伺うと、よく知らん男のボーダー隊員の前に小さな名前先輩の背中があった。
「苗字がいれば、うちの部隊も上に行ける」
「あの、でも私は」
「三雲隊に取られるわけにはいかないんだ」
突然挙がったウチの隊の名前に思わず顔を顰める。おれが名前先輩を教えてるのは別にそういうつもりはないんだけど。
よく見れば、その男の胸元にはB級の札がついているから、ライバルなんだなと理解する。
「私そういうつもりじゃないですし、えっと」
「どちらでもいい、とにかく是非うちの隊に」
そう言った男の手が名前先輩の腕を握った。驚いた先輩が細い肩を振るわせるのを見て、おれは黙っているのを止めてその場へ足を踏み込む。
「……お、お前は」
「え?」
おれを見て驚いた声をあげる男の人をみて、名前先輩も異変に気付いたらしい。だけどその体がおれに向く前に、背後から先輩の腕を掴むその掌を掴んだ。ほんの少しぎゅうと力を込めれば痛みに顔を歪めて手を離したから、その隙に先輩の腰を引き寄せるようにして、そいつから距離を置かせる。
「一生懸命なのはいいけど、ムリヤリはよくないと思うよ」
一応は先輩なのだろうからと言葉には気をつけるけど、少し睨めばおれが現れるのは予想外だったのか焦ったように後ずさった。諦めなよ、と一言告げれば、男は悔しそうな表情のまま黙ってその場から去っていく。
「……遊真、君?」
「これ、忘れてたよ」
同じようにおれの登場に驚いたらしい名前先輩に携帯端末を差し出せば、状況を理解したようだ。名前先輩はありがとう、と控えめに笑ってそれを受け取る。
まだ表情が強張っているから、やはり怖かったのか。様子を伺っていると、名前先輩は端末をぎゅうと握りしめながら、困ったように視線を泳がせ続ける。
「……ええと、あの」
どうして言葉に詰まっているのか考えて、先程のやりとりを思い出す。
一つ思い浮かんだ言葉をそのまま先輩に伝えてみることにした。
「別に、ウチの隊に入れようなんて考えて無いよ」
「へ?」
「隊長が入れたいって言えば別だけど、名前先輩はウチとは合わないと思うし」
戦力という点では問題ないと思うけど、明確な目的があるウチの隊は肌に合わないだろう。名前先輩は、もっとのびのびと戦える場所の方が強くなれるはずだから。
やはり戸惑っていたのは隊の勧誘の部分だったようで、名前先輩は小さくそっかと笑った。
「いつも遊真君には助けられてばかりだね。ありがとう」
「いいよ。おれが好きでやってることだから」
それを聞いて少し照れくさそうに、だけど柔らかく笑う名前先輩。やっぱりそうやって笑っている方がいいし、笑ってる名前先輩は可愛い。
「あ、そうか」
「ん?」
初めて見た時から今日まで、何度も可愛いと思う理由は名前先輩の笑顔だと思っていた。
けど、笑顔だからというより名前先輩が笑っているから、可愛いと思っていたのだと気付く。同時に浮かんだ感情はつるりとおれの口から告白になって滑りだした。
「どうやらおれは名前先輩が好きみたいだ」
言葉を象った感情に自分の中が一つすっきりしたような、晴れやかな気持ちになる。しかし逆に目の前の先輩はぽかりと呆けておれを眺めるだけで、どうしたのだろうかと首を傾げればじわじわと頬が赤く染まっていった。
「……え、あ、えと?」
「どうした? 熱でも出たか?」
「え、えぇ……?」
目を白黒させた先輩は状況を理解できないらしく言葉に詰まっている。それはそれで可愛いけれどと少しだけそれを眺めてから、今日は急ぐんじゃないのかと訊ねた。それでようやく我にかえったらしい名前先輩に、じゃあな、と手をふって踝を返す。じゃあ、ね、と震えた声が背中にかけられて、自然と頬が緩んだ。
明日からはきっと、もっと名前先輩が可愛く見えるんだろう。そう思うと、早く時間が過ぎないかと思うくらいには楽しみになる。
だから、突拍子もない告白からおれと名前先輩が付き合うまでは、これもまたお楽しみということで、また明日。
世界が色を変える瞬間
(special thanks しばさき様!台詞「どうやらおれはおまえが好きみたいだ」)
(設定上“おまえ”と呼ばせられなかったのでリベンジしますが一旦これにてお粗末!)