出発は明け方。まだ日も昇りきらない薄暗い中、しんとした部屋で最後の身支度を整える遊真くん。私は最後のカルワリアの景色を目に焼き付けようと窓の向こうを見つめて待つばかり。
ふと窓に映り込んだ遊真くんに気づいた。いつの間に来ていたのか、遊真くんは遠慮なく私を抱えあげる。
「ちょっと狭いだろうけど、ここに入ってろ」
遊真くんはそっと、ベッドのうえに無造作に広げられていたケープの後ろ襟……に付けられたフードに私を入れる。言われるがままに包まっていると急激な浮遊感があって、それからなにか柔らかいものにぶつかったような感覚。少しして、今度は下からなにかがせり上がってきたので足を落ち着ける。
「どうだ? レプリカ」
『うむ。外からは猫がいるとは思えないな』
たぶん、フードに入れたあとで遊真くんがケープを羽織って、さらにリュックを背負ったというところだろう。フード越しだと二人の声はちょっとだけくぐもって聞こえるけど、不思議と安心できる環境だ。遊真くんの動きと連動して揺れるのはいただけないけど。
「あとは、リアがおとなしくしててくれればいいんだがな」
もしかして遊真くんとレプリカは、そもそも猫の存在そのものを隠しておきたいのかな。近界においては珍しい生物だからか。あるいは、ひ弱な猫としてはここが安全ということか。
とにもかくにも遊真くんの希望に逆らうつもりはなく、私はフードに包まれながら丸まり、じっと過ごした。部屋を後にした遊真くんがどこかへ向かい、途中ゲートがどうのこうのと聞こえてもずっと。ゲートなんて未知の存在だし、万が一落ちたら次元の狭間を永久にさ迷う、とかありそうだし。
次第に私はフードの中の環境に慣れてきて微睡むことすらできるようになった。そう過ごしてどれくらい経ったか、遊真くんの声が耳に届く。
「……しかし、リアはずいぶん大人しいな。大丈夫なのか?」
『ここではそろそろ日が暮れる。野宿の準備を始めた方がよいのではないか』
「そうだな。川沿いだし、ここでいいだろ」
がくり、急激に落下する感覚があったもののフードに支えられて事なきを得た。リュックを下ろしたのかもしれない。
また足場がなくなったと思えば、次の瞬間にはちょっとだけ傾いたなにかが足にひっかかった。これ、遊真くんが背中を丸めてるのかも? そう思えばケープを外したのか、私の入ったフードごと抱えあげられたようでぐらりと浮遊感。
「リア?」
呼ばれながらフードが開かれて、肺がすうっとするような清々しい空気が入り込んできた。鳴いて応えればほっとしたように微笑んだ遊真くんがケープをそのまま地面に置いてくれる。ようやく、足が地に着いた。
呼ばれたのだから出てもいいということだろう。そう解釈しておずおずと出れば、辺りはどことも知れない森の中の川沿いだ。
「レプリカ、しばらくリアを見ててくれ」
『承知した』
遊真くんは私を一撫ですると森の中へと入っていく。私の傍でふよふよと漂うレプリカはその背中を見送るだけだ。
私は改めて周りを見回す。ずいぶんと深い森の中のようだ。背の高い木々が生い茂っていて、遠くがあまり見通せないくらい。傍を流れる川は、近づけば底の砂利が見えるほど透き通っていて綺麗だ。川幅もそれなりにあるし、もしかしたら川魚とかいるかも。
(……これ、飲んじゃダメ、かな?)
おずおずと零れた疑問の鳴き声にも、レプリカはふわりと私を見下ろしただけ。それなら大丈夫かと、そっと水面に口を近づけた矢先にレプリカが反応した。すすすと私の眼前に下りてきたので、表情の読めないレプリカと見つめ合う。
『――リア、少し待て。そのまま飲むのは止めたほうがいい』
……やっぱりダメなのか。目の前に水があるのに飲めないとなると余計に飲みたくなってしまう。私は気を紛らわすためにも川に背を向け、今度は上へと目を向ける。
間もなく日が暮れる色だ。濃紺から紫、橙色のグラデーション。綺麗だとボンヤリ眺めて、どうにか水を飲みたくなる気持ちをやり過ごす。
じりじりしながらも眺めて待てば、しばらくして遊真くんが戻ってきた。その腕には拾い集めたのだろう木々が抱えられている。
「お、リアも元気そうだな」
『水が飲みたいようだ。しばらく休ませていなかったからな』
「ふぅむ……おれとレプリカのペースだと危ないかな。もう少し休憩をとったほうがいいか」
『そうだな。明日からは私も声をかけるようにしよう』
遊真くんは一度薪を置いたと思えば、下ろしていたリュックサックへと手を伸ばす。そうして取り出されたのは水筒だ。とぽとぽと響く水の音に思わず遊真くんの元へ歩み寄れば、すぐに「ほら」と言って水の入った器が置かれた。私は遠慮なく顔を突っ込んで水を飲みはじめる。
「さて、支度するか」
『承知した』
遊真くんとレプリカはそう頷きあって、淡々と焚火の準備を進めていく。すっかりと火が安定した頃には食事。それから、川の水を沸かして水筒を補充してと作業を続ける遊真くん。
私は自分で思っていたより疲れていたようで、一休みした後は起きる気力がなくなってしまった。せめて安心できる場所でと、焚火に薪をくべる遊真くんの足元で丸まって過ごす。時折パチ、と弾ける音が響いて、ゆったりと流れる時間にまどろむばかり。
「――レプリカ」
『……うむ』
少しだけ低く響いた遊真くんの声。間を置いて相槌を打ったレプリカ。なんとなく緊張した雰囲気を感じて私も目を開く。
これだけ深い森の中、動けばなにかしらの音がするだろう。枝を踏んでしまうとか、でなくても草を踏みしめる音とか、石や土の擦れる音とか。けれど私の耳ではそういった音は聞きとれず、二人がなにを警戒しているのかまったくわからない。
「……あれ、なにが狙いだ?」
『少し様子を見よう。動きが妙だ』
あれ、と遊真くんが言うのはなんだろう。さすがに私も寝ている訳にいかず、立ち上がって様子を見る。
――少しして、ぶわりと風が吹いてきた。同時に、本能的に飛びのく。
「うーむ……やっぱ変だな。どうするか」
遊真くんは平然とした声色のまま、今度は夜空を見上げるだけだ。えっと、今、なにか危ないことが起こらなかった?
慌てて辺りを見回してもなにも見えない。気配がしない。けれどさっきまで私がいた地面には引っかき傷のような跡が残っている。なにかに切られそうになったのでは?
それにしては遊真くんの余裕の雰囲気が気にかかる。私が言うのもなんだけど、貧弱な猫が命の危険に晒されていたら、もう少しなにかあるんじゃないか。張り詰めるような緊張感と相反する遊真くんの雰囲気が噛み合わなくて混乱する。
再び、風の音。けれど戸惑っていたからか反応が遅れてしまった。
「――あ」
ぶわりと、急激に浮上したので全身の血が下がったような感覚が走る。直前まで聞こえていた遊真くんの声はあっという間に遠くなり、悲鳴を上げたくとも猫の身体と思考が繋がらずパニックになるばかりだ。
なんで、どうして遊真くんがあんなに下にいるの。私はどうして浮いてるの。どうして下りれないの。いや、下ろされても死んじゃう、こんなの。
(遊真くん、助けて、助けて!!)
怖くて必死に叫ぶように鳴いたのは届いたのかどうか。次の瞬間には遊真くんは換装を終え、見覚えのある印――バウンド――を地面に出して踏みしめていた。
あっという間に私の元へと来た遊真くんは、続けて印――今度はブースト――を出して、私の頭上にあるなにかへと拳を構える。怖くて、目を瞑っている間に響く爆発音。そのあと宙に放りだされたと思えば、地面へと真っ逆さまだ。
目まぐるしく変わる状況の中でも、身体だけは猫の本能が勝つらしい。自然と身体を捻って落下の体勢を整えたのだけど、そんな私を抱きとめた遊真くんがあっさりと地面へ降り立つ。
「リアは問題ないな」
『うむ』
……問題なかった、といえばそうなのかもしれないけど……腑に落ちない。そんな不満も知らず、遊真くんは私をそっと地面に下ろす。
「偵察型のくせにリアを狙ったの、変じゃないか」
『トリオン器官を認識できたうえで戦闘能力がないと判断されたからではないか』
「うぅむ……間違ってはないな」
話しながら、遊真くんはしゅるりと換装を解いた。それから少し考える仕草を見せ、再びレプリカを伺う。
「もうちょっとここで時間をつぶしたかったが、こんな所まで警戒されてるってのはまずそうだな」
『うむ、もしかしたら我々が次に通る星からの侵略を警戒しているのかもしれない』
「確かもう近づいてるんだよな。渡れるか?」
『……少しかかるが、準備をしよう』
「頼んだ」
レプリカはそれっきり黙り込んでしまった。ゲートを渡る、ってどうするんだろうか。とはいえ尋ねることもできず、私はただ遊真くんが片付けをはじめるのを見守るばかり。
火を消して、灰を埋め、囲いに使っていた石を適当にばらす。それから荷物の確認をしたと思えばケープを羽織り、リュックを背負って。
「……あ、リア入れるの忘れてた」
遊真くんは私をちらりと見下ろし、ちょっと考える仕草を見せる。もう一度リュック下ろして、ケープも脱いで私を入れてっていうのが……面倒くさいのかな。おそらく遊真くんの考えからはそう遠くないだろう。しばらく黙ったあと、遊真くんは「リア」と私を呼んで。
「届くだろ、乗ってくれ」
さらりとそう言ってのけた遊真くんは真顔だ。冗談でもなさそうだし、私は渋々と構えて狙いを定める。
後ろ足で地面を踏みしめて、思いっきりジャンプする。遊真くんがフォローするように肘を張ったので、足をかけて遊真くんの肩へ。そのまま背中側に周りこみ、リュックの上にぺたんと落ちているフードの口を探る。見つけたらあとは潜り込むだけだ。
「よし、レプリカはどうだ?」
『あともう少しだ』
くぐもった二人の会話を聞きながら、私は再びまどろむことにする。なるべく住民と会わないようにして星を渡り続けるなら、日本への旅路もそう長くはないのかもしれない。
私はゲートを通るという未知の体験への恐怖を、遊真くんのフードの中で丸まってやり過ごすのだった。