足下で砂利が鳴った。そう振り返って見る町並みは、すっかり闇に沈んでいる。遠くから聞こえてくる爆発音はボーダー隊員の戦闘によるものだろう。そんな夜も当たり前なのが、ここ三門市の警戒区域内だ。
久々の特別任務だったが、回収班も見送ったし任務完了だ。帰ろうと換装を解けば、冷たい夜風がすぅと頬を撫でる。任務で火照った身体にはちょうどいい。ほう、と息をついた――
瞬間、再び砂利の鳴る音が聞こえてきた。
どぐん、と心臓が跳ねたものの換装を堪える。だって誰か――人間が歩いてくる気配だったから。
「……お? 人がいた」
現れた、閃光のような眩さに目を細める。月光を反射する真っ白な髪を携えた、あどけない表情の少年がひとり。
「おねーさん、ひとり?」
ブレザー姿の少年は怯むことなく私に問いかけた。ふわりと夜風に踊った白髪の狭間で輝く瞳は、紅。ただ、綺麗で。けれど表情の幼さが宵闇には不似合いだ。
「……そうだよ。どうして、ここにきたの?」
肯定して、今度はこちらから問いかける。少年は顔色を変えずに「散歩してたんだ」と答えた。
正直、夜の警戒区域に侵入した目的が散歩だとは理解しがたい。あげく見つかっても平然としているのだから、なおさら。かといって疑うには、少年のあどけなさが邪魔をする。
「……帰ろう。家族の方が心配するよ」
多少の警戒心はあったものの、少年から敵意は感じない。だからと深く考えず、その手を取ろうとして――そのまま市街地へ連れていこうと思ったのだ――指先が少年の手に触れた瞬間、全身の産毛がぞわりと逆立つ。
この少年はトリオン体だ。
無意識下で敵だと認識するには十分な理由だった。反射的にブラックトリガーで換装を終えた私は、少年を見据えて構える。
少年も、素人とは思えない身のこなしで私と距離を取って構えてみせた。いつの間にか黒装束へと換装していて、トリガー使いであることは間違いない。しかも、この感覚はブラックトリガーじゃないか? だとしたら……と行きついた帰結に内心で溜息をつく。
「……あなたの仲間は、もう回収されたよ」
今日は、なんてついてない日だろう。向こうからの刺客に連続で遭遇するなんて。今は指令も受けていないというのに、どうやって探知を掻い潜ってきたのだろうか。
挑発の意図を重ねて声をかけてみるものの、しかし、少年は首を傾げる。
「おれは、今日こっちにきた奴らとは関係ないよ?」
わずかに眉をひそめた少年は無関係だと主張した。紅色を見つめ続けても、たじろぐ様子はなく真っすぐに見つめ返される。こちらの出方を伺っているのか、少年も動く気配はない。
静かな瞳だった。動揺もなく、油断もない。少しの沈黙を経て――本当に違うんだ、と確信する。
「……ごめんなさい。勘違いだったみたい」
換装を解いて謝意を告げる。この少年からは敵意を感じない以上、粗相をしたのはこちらだ。なにより、奴らでないのなら人間相手に戦闘になる事態は避けたい。本部に対しても、今ならまだ過剰反応して、つい換装してしまったと誤魔化しもきくだろう。
そうして生身を晒したからか、少年が驚いたようにきょとりと目を瞬かせる。
「そんな簡単に信じていいのか?」
どちらかといえば呆れの滲んだ声色に、私は笑顔を返すだけに留めた。疑いが晴れたというのに少年は喜ぶわけでもなく、逆に疑うような視線を私へ向ける。それでも動かずにいれば、少年もまた構えを緩めた。
緊張状態が、ほんの少しばかり緩んだ今が好機だ。私はできるかぎり穏やかな声色で問いかける。
「きみ、近界民なんでしょ?」
推測は当たったようで、少年の肩がピクリと跳ねた。鋭くなった瞳がこちらを伺う。
換装して私と対峙した時点で、一般人の可能性はとうに消えている。さらに少年は『今日』『こちらに来た』奴らとは、関係がないと言った。そんな言葉が出てくる時点で、自らが近界民だと告げているようなものだ。
「だから、取引しようよ」
少年は怪訝そうな顔で「取引?」と言葉を繰り返す。拒絶するような様子はない。むしろ興味を持ってもらえたようで、あどけない表情で首を傾げている。
「ブラックトリガー使いの近界民なんて、目をつけられたらマズイでしょ?」
「……そうだな」
考えを巡らせた様子の少年は、ひと息おいて肯定を示したあとで換装を解いた。改めて眺めれば、少年が着ているブレザー姿には見覚えがある。どこの制服だったろうか、けれど、それより目が覚めるような白い髪と紅い瞳がひと際目立っている。
隠密行動のわりには詰めが甘いし、単身で攻める様子でもない。なにより敵意がないあたり、どうして近界民がここにいるのか不思議なものだ。少年が改めて私を真っ直ぐに見据えるので、取引を進めるために私も応える。
「私がブラックトリガーを持ってることは秘密なんだ」
「おねーさん、ボーダーの人間じゃないの?」
「……隊員だよ。でも、機密事項なの」
「きみつじこーって、えらい奴しか知っちゃいけないやつ?」
言葉選びには幼さを感じるものの、少年が知っている内容としては上出来だ。なにより、少年はボーダーを知っているらしい。それなのに、私が隊員だと知っても敵意を見せないあたり、やはり少年の目的は見当もつかない。
けれど追求する必要もない。私はストレートに取引の条件を告げる。
「だからお互いに、今日は会わなかったことにしない?」
「……それだけでいいのか?」
「うん。今のことは二人だけの秘密にしよう?」
確認するように「ね?」と首を傾げれば、少年は、しばし私を疑わし気に見つめる。それでも、間をおいて「わかった」と了解が返ってきた。わずかな警戒心もいよいよ解けたようで、少年は幼さに似合わないニヒルな笑みを浮かべている。
取引成立だ。私達はまるで友人とするように、軽く上げた手を振りあう。
「じゃあな、おねーさん」
「うん、ばいばい」
互いの名を知ることもなく背中を向けた。きっと、少年も。突然の邂逅はこうして静かに幕を下ろす。
これが、二人の始まり。