技術開発局の一画にある鬼怒田さんの研究室は、一般職員の目を忍ぶにはちょうどいい部屋でもある。だからと私は足しげく通い、今日もまた、鬼怒田さんに言われるままに研究用データを記録されている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、と定期的に鳴る電子音は、私の鼓動に呼応しているらしい。奏でられるリズムに耳を傾けていると、眠ってしまいそうなほどに退屈な時間。計測補助装置を胸元に当てているだけなので、そろそろ船を漕いでしまいそうだ。
そんな私を見かねたのか、ディスプレイを眺めていた鬼怒田さんがこちらを向く。
「水沢、調子はどうだ?」
ぼうっとしていて反応が遅れたものの「問題ないです」と返せば、鬼怒田さんは「ふむ」と唸りつつ液晶をなぞって溜息をつく。表情からも、計測結果があまり思わしくないのだろうことは想像できた。
「高水準のうえ、不安定だな」
ぼやきながら記録を終えたらしい鬼怒田さんが、装置を止めて向きなおる。私は手の中の計測機器を返し、されるがまま測定器を外され、ようやく退屈な時間が終わると息をついた。
あとは日常生活におけるトリオン量推移の簡易計測だけだ。鬼怒田さんは携帯用の測定機器を私に持たせると、むすりとした表情のまま腕を組む。
「イレギュラーゲートの件がようやく片付いたばかりだ。後処理もあるし、お前にまで割く時間はないから大人しくしておれ」
そう、ボーダー隊員が総動員された小型近界民の駆除活動は先日終わったばかり。イレギュラーゲートの原因が特定されるまでも忙しそうにしていたし、鬼怒田さんが疲れを滲ませながら小言を零すのも無理はない。だからと、私は従順に頷く。
「大丈夫です。城戸司令からも、不用意に出歩かないよう言われてますから」
これもまた先日のこと。せっかくトリオン障壁でゲートを強制封鎖しているのに、以前から潜伏していたと疑われる妙なトリオン反応が出たと騒ぎになったのだ。どうやら私の動きに反応しているらしいとのことで、奴らを警戒区域内まで誘い込み、処理まで対応する羽目になった。
――そこで出会った近界民少年が、イレギュラーゲートの黒幕なのだろうか。真相は定かではない。
「それなら、ほれ、散歩でもしてこい。わしはまだ忙しい」
「了解です」
鬼怒田さんに、少しは平穏な時間があるといいのだけど。なんて、騒ぎの一端を担った私が言えることではないので、素直に開発室を後にする。
ラウンジか、コンビニかと決めかねて向かう道すがら、ランク戦ロビーが目について足を止めた。いつもなら米屋君が誰かと絡んでいるのを見かけるのに、今日に限って見当たらない。出水君は遠征中か、とクラスメイトの顔を思い浮かべていると、ぽん、と背中に衝撃が走る。
「水沢、ランク戦しに来たの?」
振り返れば、獲物を発見したかのように強気な笑みを見せた緑川君が立っていた。面倒な相手に見つかった、とひっそり肩を落とすも後の祭りだ。
とりあえずは「違うよ」と否定するけれど、畳みかけるように「つまんないから遊んでよ」と強請られてしまう。計測中なので無理なものは無理だし、逃げ切るしかない。私は首を横に振って繰り返し断る。
「通りがかっただけ。そういうのは米屋君に言ってよ」
「よねやん先輩、しばらく任務じゃん」
なにを言ってるんだと言わんばかりの緑川君に「そうだったっけ?」と聞きかえす。緑川君はげんなりとした表情を浮かべていて、まるでクラスメイトの癖にそんなことも知らないのかとでも言いたげだ。さすがに、そこまで級友のシフトを把握しているわけではないんだけど。笑って誤魔化そうとしてみれば、緑川君は大袈裟にはぁと溜息をつく。
「とりあえず水沢は部隊に入りなよ」
「……どうしたの、突然」
「迅さんに教わったことあるんでしょ。弟子がそんなんじゃ、迅さんのコケンに関わる」
なんと、いつの間にバレてしまったのか。驚いて緑川君を凝視すれば案の定、不機嫌ですって膨れ面。
誤解を招かないよう「ちゃんと教わったのは三日間だけだよ」と念を押すけど、緑川君は「迅さんが弟子って言ってたもん」と唇を尖らせている。よりにもよって緑川君に言わなくても……と、内心で迅さんを咎めても仕方がない。緑川君は弟子扱いされた私へ対抗心を燃やしている様子。
「B級ソロプレイヤーとか、自慢にならないよ」
「でも、ちょっと語呂がいいよね?」
仕方がないので茶化す方向で返してみれば、ぎろりと鋭い視線が刺さる。心が痛むけどこれ以上言い訳もできないから、笑顔を繕って耐えるばかり。
いよいよ諦めたらしい緑川君がもう一度、大きな溜息をついた。なんだか緑川君の幸せが逃げそうだなぁ。まぁ、一因が自分にもあるようなので、なにも言えないけれど。
「迅さんも、なんでこんなのに構うんだろ……」
しょんぼりと垂れた犬のしっぽが今にも見えそうな姿。良心が痛むものの、本当に迅さんが大好きなんだなぁ、と思うと微笑ましくもある。
気が削がれたらしい緑川君は「帰る」と言って手をふらふらと揺らした。私は無事に開放してもらえたことに安堵しながら、「またね」と声をかけて去っていく背中を見送る。
暇を持て余した今度は、寄り道がてら本部のメインロビーへ。なんとなく視線をやった先で、隊服二人に挟まれた学ラン姿の一人とぱちり、目があった。向こうも私に気づいたようで、「おっ」と軽やかに片手を振って声を上げる。
「水沢、おつかれー」
「米屋君も、お疲れ様」
答えれば、米屋君は狙撃手二人をおいて駆け寄ってきた。緑川君から聞いたばかりの情報と合わせると、三輪隊での任務だったのだろうか。そのわりに隊長である三輪君の姿が見当たらないし、米屋くんに至っては換装もしてないのだが、どういう状況だろう。
「任務はいいの?」
「あー、負けたからな〜」
苦笑いで負けたと言う米屋君に思わず首を傾げる。が、同時に古寺君が咎めるような声色で「先輩!」と声を上げた。奈良坂君も綺麗な顔をしかめていて、米屋君が「おっと」と言葉を切る。
「わりー、部外秘だった」
「そっか、お疲れ様」
口を滑らせたのだろう米屋君に、せめてもの労りで話題を区切る。米屋君は「サンキュ」と返事をすると、ここぞとばかりに「それでさ」と話を続けた。
「まだ任務が続きそうでさ、オレのもノート頼むな」
「大丈夫だよ」
もともと遠征中の出水君の分を頼まれているので、出ている授業のノートはしっかりとってある。米屋君の分をわけるくらいはすぐにできるだろう。頷けば米屋君は「いや〜助かるぜ」なんて笑っている。
そんなクラスメイトとの平凡なやり取りに、古寺君と奈良坂君はなにやら言いたげな顔をしたままだ。奈良坂君が米屋君の背中を睨んだまま無言の圧力をかけているあたり、まだなにか任務が残っているのかも。
「それじゃあ、またな」
「うん、頑張って」
さすがに察したらしい米屋君が、いよいよ話を切り上げた。米屋君が「わりーわりー」と言いながら駆け戻り、どこかへ先導して向かう後に古寺君と奈良坂君が続く。振り向き様に会釈をされたので会釈を返して、去っていく彼らの背中を見送った。A級三輪隊が敗走するなんて、よほどの相手なのだろうな。
ふと脳裏に浮かんだのは、少し前に会った白髪の近界民少年だ。
三輪君がいないのは、もしかして、ベイルアウトして戻ってきているのではないか。米屋君だって生身に戻っている。二人を負かす相手が、あのブラックトリガーを持つ近界民少年だとしたら納得がいく。人型近界民ともなれば部外秘扱いなのも当然だろう。
――もしそうだとしたら、目をつけられた少年は大丈夫なのだろうか。
ぼんやりとした思考を、ぴぴ、と慣れた電子音が遮った。計測終了の合図。意識が散ってしまったので、私は考えることをやめて踝を返す。
どちらにせよ、私は少年を知らない。だから、私にできることもない。
とりあえずはこれで今日の私も用事も終わりだろう。頼まれたノートの件もあるし、早く帰ろう。そのためにも、と開発局へ戻る足を急がせた。