ただ、そこにいないことが全て
 返事が途切れたのに何か思うところがあったのか、オサムはおれを伺いながらも口を開く。

「もう始業の時間を過ぎてるから、今すぐ会うってわけにはいかないけど」
「あぁ、いい。大丈夫だ。おれもまだ、心の準備ができてない」
「……空閑でも、そんなこと思うんだな」
「なんだ。緊張くらいするぞ」

 ニホンへの転送、オサムとの再会、ボーダーへの帰還と隊員としての復帰。なんの問題もなく話が進んだことは幸運だったんだろう。呆気なさ過ぎて、肩透かしをくらった気分になるくらいだ。
 だからこそ、いよいよと思うと心臓が痛くなる。そう感じる身体があるのだと、今更なことに希望をちらつかされているようだ。嫌な気持ちを誤魔化そうと、おれはもう一度ため息をついてから話を変える。

「それにしても意外だったな。戻ってきてからもう少し揉めると思ってたんだが」
「……組織だって変わるんだ。前ほど、ネイバーだからと拒絶するような雰囲気ではなくなっている」

 さて上層部の真意はどうなのだろうか。あくまで、おれにはまだ価値があると見込まれているからなのだろうな、とは思う。ネイバーの存在を歓迎しているわけではなく、ネイバーにも利用価値を見出した、というくらいの些細な。
 それとも、遠い昔のレプリカとの取引――おれがボーダーの規律を遵守する限り、安全と権利を保障するという――がまだ、城戸司令にとって有効なものだったのだろうか。

「それで、空閑は戻ってきて今度はどうするんだ?」
「ん?」
「さっきも言ったが、ぼくはもう本部運営側の人間だ。防衛任務には出ているけど、もう部隊は組んでいないんだよ」
「ほう、そうなのか」
「トリオンの発達が止まると、基本的には前線を外されるんだ。防衛任務にはつくけど戦闘員とは勤務体制が違う」

 そこから医務室に移動する間、オサムが淡々と話すボーダーの現状を聞く。
 オサムのようにトリオン器官の発達が見込めなくなった場合、他隊員のトリオン器官を鍛えることを優先するため前線からは退くのだそうだ。トリオン器官は年齢によって発達しなくなる。つまり、おれの先輩だった人達は大半が本部運営側に移ったらしい。各部署に転属になったり、支部へ転属したりと、各々勤務場所は違うらしいけど。
 例にあがった玉狛に関して言えば、メンバーは以前とほぼ変わらないらしい。とは言っても、レイジさんが将来的には副支部長になるべく支部長補佐となって前線から退いたとか、陽太郎が玉狛に部隊を作ってチカがそこに所属しているだとか、色々と変化はあったらしいけど。

「前は千佳が遠征を目指していて、ぼくはそれを手伝うことにした。そのために空閑にも協力してもらったな」
「うむ」
「今のぼく達は――千佳は、ぼく達がお世話になった玉狛の力になりたいと言って陽太郎と部隊を組んでる。けど、遠征にも協力しているんだ。自分がいれば連れていける人員も増えるし、戦力が増えることで少しでも遠征のリスクが減るなら、と言って聞かなかくて」
「なるほど、チカらしいな」
「ぼくはもう戦闘員じゃないから、直接千佳を手伝うことはできない。けど、千佳が玉狛の力になりたいと思ったように、ぼくも……ボーダーがもっとネイバーに対して開かれた組織であるべきだと考えた」

 前を見て話を続けるオサムの瞳は、横顔からそうとわかるほどに真っ直ぐだ。

「彼らの力を借りることができるなら、どんなに頼もしいかをぼくはよく知っている。千佳だけじゃなくて、組織の力になると思う。過去を、現状を思えば楽観的に頼ることはできないけど、そのための調整や取引はぼくのすべきことだと思うから」
「うむ、それもオサムらしい」
「……難しいことも多いけどな」

 オサムの瞳は、昔とあまり変わらない。自分がそうすべきだと思ったことに向き合い、省みることなく前を向く瞳はやはり見ていていいものだと思う。
 この瞳がなかったら、きっとおれはボーダーに入隊することもなくネイバーへと戻っていたのだろう。そうして日々戦争に明け暮れて、いつかそのまま死んだのだろうな。不思議なものだ。オサムは誰かのためではなく自分のために未来を見ているのに、その眼差しで誰かの――おれの――未来を変えたのかもしれないから。

「だから空閑が、会いたいという気持ちでここに戻ってきたことが、ぼくは嬉しいよ」

 ゆるりと、オサムは笑った。それは昔にはあまり見ることのなかった表情だと思う。どことなく棘が抜けたというか、枷が外れたというか、気負うこともなく自然にオサムの内側から溢れてきたような笑顔だったから。オサムはこんな風に笑っていただろうか。違うのだろう、とすぐに納得する。そんな風に、オサムは変わったのだ。


 気づけば医務室はもう目の前だった。オサムが先導して入室すれば、待機していたらしい医務員が話は聞いているとおれを部屋の奥へと案内する。オサムを医務室に残して、おれは次から次へああしろこうしろと言われるがまま検査を受けさせられた。検査は延々と続き、腹が減っても昼飯はまだダメだと言われるし、散々言いなりになって昼の時間もとうに過ぎた午後、とどめに血を抜かれてようやく休憩として開放される。軽食を摂ったらまだ続きがあるらしいけど。
 案内された別室には、暇を持て余していたらしいオサムが待っていた。というのも、オサムときたらいつの間にか書類を広げて仕事をしていたからだ。おれはその向かい、軽食の用意された席に腰を下ろして、何とはなく呟く。

「……面倒だな……」
「向こうではこういう健診はしていなかったのか?」
「兵によるな。おれみたいなトリガー使いにはそこまで気をつかうこともないだろ。それより一般兵だとか、生身の負傷者の方の治療が優先だ」
「けどさっきの話なら、空閑は研究と言う名目ではあっても研究中の技術を施される以上は……経過観察というか、体調管理をされていたんじゃないのか?」

 オサムは神妙な表情のまま、おれが右手を使って食事をしている様子を眺めて呟く。少なくともおれの身長が伸びたことも、髪が黒に戻ったことも見ているというのに。心配している様子を見せるあたり、さすがにまだ面倒見の鬼も健在らしい。

「最初はな。ブラックトリガーから死にかけの身体を取り出して、チップを埋め込んでトリオン体で一時的に傷を塞いで、順番に治療していくのに二カ月。もちろん完全に治るわけじゃないから、あとは適度に治療と技術の調整を繰り返して、って感じだった」
「治ったわけじゃない、のか?」
「うーん、さすがに健康体ってわけにはいかなかったな。腕と足は別として……内臓とか。一部が無くなったぶん面倒はあるよ。あと左目。脳までは届いてなかったからどうにかなったけど、さすがに視力を戻せるわけじゃないから遠近が狂う」
「左目、見えてないのか」
「明るいか暗いかがわかる程度だな。身体を動かすのとは違って、見ているものの情報を繋ぐのはまだ色々と難しいと聞いた。チップは埋まってるけど、見た目を治すのと左耳の聴力補助のためって言われたぞ」

 おれの説明に、オサムは難しそうな顔をするばかり。とはいってもこういうのを噛み砕いて説明するのは技術者でもないおれには難しいことだ。だから、結論だけを告げる。

「まぁ少しは不便もあるけど、生きていくのには問題ないって言われてたよ。リハビリついでに体力もつけてたから、人並みの生活はできてる」

 おれの確信を持った言葉に、オサムは表情を和らげてそうかと頷いた。少なくとも昔のように、いつ唐突にパッタリ死ぬかという話ではなくなったのだ。不便はあるけど人並みには生活できる。それは、ここ数年で実感した事実だ。
 そんな話をしている内に、ようやく軽食が食べ終わった。ごちそうさまでしたと手を合わせて食器を片付けようとすれば、オサムに止められる。

「まだおまえに関する情報は隊員に告知されていない。騒ぎになるといけないから、今日はあまり人前に出さないようにと言われているんだ。片付けもぼくがやっておく」
「そうか、よろしく」

 オサムは頷くと、食器を持って部屋を出て行った。なるほど、付き添いというのはそういう仕事だったわけだ。隊員への告知は明日の朝一で調整すると言っていた。つまり、それまでおれは人前に出ることができないらしい。時計を見れば医務員に言いつけられた休憩時間の終わりまであと少し。暇を持て余したおれは改めて右手を眺める。
 トリガーによって再現された身体だ。右手は普通のトリオン体と同じように、動きも感触もほぼ再現されている。生身の左手と見比べても違いはわからないし、慣れてしまっているからどちらが不便だとか便利だとかいうこともない。
 ただ、報告時は話を省略したけど、おれが人並みに生活を送れている理由はこの義手義足の技術が優れているからというだけではないのだ。

「レプリカ」

 ここには誰もいないから、小さな声で話しかける。

「ボーダーに戻って、オサムにも会えた。あとはあいつに会うだけだ」

 それだけを伝えて、ふぅとため息を一つ。あぁ、今日はもうこれで何度目だろうか。戻ると選んだのはおれなんだから、今更やめられるわけでもないのに。
 今は何をしているんだろう。おれがいなくなってどうしていただろうか。結婚はしてないらしいけど、新しく好きな奴のひとりくらいできただろうか。オサムが知らないだけで、恋人ができている可能性だってないわけじゃない。
 会ったら、どんな顔をするだろうか。怒るだろうか、喜ぶだろうか。それすらもわからなくなってしまうほど、離れて過ごした。おれ自身も変わった。オサムもボーダーも確かに変わった。だからきっとあいつも、少し変わったのだろう。その変化を確かめるために戻ってきたのだ。
 おれは気持ちを改めつつも、こみ上げるため息を耐え切れず宙へと吐き出すのだった。

[108/110]

 

サヨナラの引力

 

ALICE+