邂逅までのカウントダウン
 外ではもう夕日が沈もうとしている時間だ。ようやく検査が一通り終わった。担当していた医務員からおしまいです、と声をかけられて思いきり肩を落としたくらいにはやっと、だった。
 開放されたら次はどうしようかとぼんやりとしていると、待機中にとりかかっていたらしい書類をまとめながらもオサムに声をかけられる。差し出されたその手に握られているのはボーダーのトリガーだ。

「空閑の使っていたトリガーはずいぶんと昔の旧式だから、まだ調整が終わらないらしい。無いと基地に入れなくなるから臨時のトリガーを預かったんだ。訓練用のものだから無駄に使うなよ」
「了解」
「じゃあ、そろそろ定時の時間だから急ごう」
「どこに?」
「本部開発局付属研究室。会いに行くだろう?」

 何を今更とでも言わんばかりの表情に、オサムの意図を察する。誰に、なんて聞かなくてもわかってしまった。今日は人前に姿を見せてはいけないのではなかったか。つまりあいつに対しても同じだと思っていたのに。おれは一瞬息をのんで、それから頷く。
 おれが間をおいたことに思うことがあったのだろう。オサムは変な表情で笑った。

「空閑が緊張している姿なんて、今しか見られないかもしれないな」
「……オサム、おれのことからかって楽しいか」
「まさか。ぼくも緊張してきたよ、どうなるのか想像もつかない」

 おれと同じか。なんてくだらないことを考えて笑ってしまいながらも、行こうと先導したオサムの後を追う。本部内は昔と変わらず殺風景で特徴もなく、オサムにがいなければ迷っていただろう。淡々と歩く廊下ではすれ違う人間もほとんどいない。そういう時間帯なのか、それともそういう道をオサムが選んでいるのか。おそらく騒ぎにならないよう立ち回りながら、おれの希望を叶えようとしているんだろう。

「開発局方面は職員以外立ち入り禁止なんだ。ここで待っていれば会えるはずだから」

 そう言ってオサムが足を止めたのは透明なガラス戸の前、小さなロビーだった。どうやらここが開発局の出入り口らしく、ガラス戸の脇には本部基地に入るのと同じようなセンサーがついている。職員のトリガーが認識されないと開かないのだろう。
 オサムは座って待っていようと言って、壁沿いに置かれたベンチを指差した。たぶん職員の待ち合わせだとか、入れない奴を待たせるためのスペースだろう。ベンチのすぐ脇には自動販売機も並んでいる。確かに立って待っているのは落ち着かないので、言われた通り移動してベンチに腰を下ろした。オサムはすぐ隣に――まるでおれの視界からガラス戸を隠すように――座り、おもむろに口を開く。

「空閑。聞いてみたいことがあるんだけど、いいか」
「うん」
「……もし、結婚してたらどうするつもりだったんだ」

 最初におれが名前を濁したからか、オサムもまた誰と名前を口にしなかった。けど、名指しもせず会話が成立するあたり意味があるのかどうか。もう既に頭を過ぎるのは過去の姿で、思い出すだけでも胸が締め付けられるような感覚が走る。

「……どうかな。それでも来る前は、一目見られればいいと思ってたけど」
「お前の言う会いたい人は、もちろん皆もそうだろうけど、それでも」
「それでも、会えたら終わりじゃないからな」

 どくん、どくんと少しずつ鼓動が早くなる。どうやらまた自覚してしまって、緊張のあまり動悸が酷くなるらしい。自嘲しながらも落ち着くことはできなくて、せめて深呼吸を繰り返して待つ。
 突如、かつかつと足音が響いてきた。オサムが向こうを覗いたものの、すぐに姿勢を正す。電動音に続いて扉が開く音。少ししてスーツの男がおれ達の前を知らん顔で通りすぎていく。

「……そろそろ、仕事が終わる頃かもしれない」

 一人、また一人と少しずつ人が出てきて、思い思いにおれ達の前を素通りしていく。まだだろうか。まだこないでほしい。どっちともつかない感情がぐらぐらと揺れながらも一人、また一人と通り過ぎる姿を見送る。そんなに時間は経っていないはずだけど、それでも時間の進みがひたすらに遅い。次第にオサムも身を乗り出して待つことをせず、通り過ぎる横顔を眺めて待つようになった。
 ふと、オサムが身を乗り出す。一瞬で、意識の全てがガラス戸へと向かった。

「雷蔵さん」
「……あれ、三雲君?」

 けど、オサムが口にした名前は違ったし、返答に響いた声も男のものだった。オサムは相手を確認するなり立ち上がって、お疲れさまですと頭を下げる。お疲れ、と返事の後におれに気づいたらしい雷蔵さんは、おれを見てぱちぱちと数度瞬き。

「あれ、その顔どっかで」
「空閑だよ。嘘が見抜けるサイドエフェクトの」

 名乗れば記憶と名前が一致したらしい。あぁと手を打ちながらも、すぐにんん、と雷蔵さんは不思議そうに首を傾げる。すぐにオサムが、今朝戻ってきたんですと事情を言えばへぇ、と感心したようにおれを頭からつま先まで眺める雷蔵さん。

「無事だったのか。良かったじゃないか」
「うむ。ありがとうございます」
「ところで雷蔵さん。あの……」
「あー……なんか今日調子悪かったみたいで、居残りでミス修正してるだけだよ」

 オサムは誰と聞かなかったのになぜか話が通じたようで、何の問題もなく会話が続く。雷蔵さんが説明した事情にそうですかとオサムが頷き、もうすぐ来るんじゃないかな、と答える雷蔵さん。そんなに知れ渡っているのか、いたのか。おれは理由を聞くことはせずにありがとうと頭を下げる。見送って、再びベンチに腰を下ろして。

「……オサム」
「少なくとも、近しい人は知ってるよ」

 おれが何を聞きたいとも察したのだろう。当然と言わんばかりに告げられたので、頷くしかできなかった。なんとなく腑に落ちないが、今ここで言い合うようなことでもないので言葉を飲み込む。
 少しして再び、遠くからカツカツと靴音が響いてきた。今度は誰だろうか。さすがに毎度期待をしては妙な焦燥を覚えることにも疲れてきた。今回も違うだろうとベンチに座っていれば、扉の開く駆動音。念のため、視線だけで人影を追う。
 ――見覚えのある横顔が、目の前を通り過ぎた。

「あ、あの!」

 おれが呆けて見送っている間に、オサムが慌てたように立ち上がった。呼び止められたことでようやく足を止めて、顔見知りだと気づいたらしく口を開く女の人。

「あれ、三雲く――」

 その視線が流れるように、連れは誰かと確認するようにおれへと向けられた。途端に表情が凍りつく。オサムに向けようとしたのであろう笑顔が引きつり、色と言う色が抜け落ちて。まるで死人でもみたような――いや、向こうからしたらそうなのだろうけど――表情で、けれどすぐに笑みを繕う。

「……どうしたの? 三雲君の知り合い?」

 少しだけ、声が震えていた。視線はオサムの方へと逃げていき、けれど意識はおれへと残されたまま。動揺しているあたり、そうかもしれないと悟っているのだろう。けど、素直に認めるつもりもないらしい。その理由には何があるだろう。
 考えたままおれは一歩も動かずにいた。話を振られたオサムはといえばおろおろとしながら言葉を濁している。オサムはおれが名乗るのを待っているのだろう。人の口から聞くよりは、と。確かに名前を呼んでしまえば、簡単だろう。おれはようやく立ち上がり、目の前の――その人と向き合った。

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サヨナラの引力

 

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