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私がボーダーに入隊して、そろそろ三ヶ月が経とうとする頃。同時期に入隊した人たちが続々とB級に昇級していくなか、私の手持ちポイントはまだ四千に遠く及ばない。つまるところ、落ちこぼれだ。
入隊して与えられたトリガーは変化弾だった。ブラックトリガーでトリオン弾を撃てるからと練習のために宛てがわれたが、実際に相対した訓練生を撃つのはどうしても苦手だった。
――傷ついたからとやり返せば、相手も真似をするでしょう。
母の呪いのような言葉が私の足をすくませる。撃ち抜く覚悟が揺らいだ。
そうなると防戦一方となり、追い詰められては負けてしまう。あるいは、急所付近への攻撃にブラックトリガーが妙な反応をしてしまうようで、システム上は緊急脱出という判定が下されることも。ランク戦ブースに入れば入るほど、ポイントは減るばかり。
『戦えないのに、戦闘員を続けるの?』
そんな目を向けられているようで、合同訓練でポイントを補いながらも、ほかの人とは繋がりを持たなかった。詮索されたくなくて、視線に耐えるのに精一杯だったから。
だというのにある日突然、飄々とした雰囲気の迅さんが私に声をかけてきたのだ。
「水沢ちゃん、だっけ? おれは迅悠一! よろしくな〜」
おちゃらけた挨拶と胡散臭い笑顔を向けられて、思わず警戒してしまったのは仕方がないと思う。こんな出来損ないの隊員に、ボーダーでも実力者で通っているこの人が声をかけるなんて訳ありだと思うだろう。
「……たしかに私は水沢ですけど、なにかご用ですか?」
「そんな怖い顔するなって、取って食うつもりもないし」
へらへらと笑う迅さんは人当たりのいい笑顔で歩み寄ってくる。そうして小声で「ここだけの話」と前置いてから、私だけに聞こえるくらいの声で囁いたのだ。
「城戸さんから話聞いてるんだ。ちょっと場所変えない?」
司令を城戸さん、と呼ぶあたり親しい仲なのだろうか。とはいえ“話”の内容に心当たりがある以上、無視するにもできない相手だ。なにせ――私と同じくブラックトリガーを持っている――S級隊員なのだから。
癪ではあるが「いいですけど……」と肯定すれば、「じゃあ行くぞー」と踵を返してどこかに歩いていく。渋々と後を追いはじめ、場所を変えると言ってもどこまで行くのか……と嫌になってきた頃、たどり着いたのは玉狛支部だった。入ってすぐにエレベーターに乗せられ、降りた先には女子が二人。
「迅さん、おそーい」
「いや〜捕まえるのにちょっと時間かかってさ」
「で、あんたが?」
ひとりの強気な眼差しを受けて怯んでいると、迅さんが「そ、話してただろ?」と前置きをして私を示す。自己紹介をするなら今かと、私はおずおず頭を下げた。
「はじめまして、水沢和音です」
「……ほんとに弱そうね」
頭上から落ちてきたストレートな言葉に、ずきりと胸が痛んだ。嫌な気持ちだけど、弱そう……というより、弱いであろうことは事実なのでなにも言い返せない。頭を下げたまま深呼吸をして、気持ちを落ち着けたあとで顔をあげる。
気の強そうな彼女は私を品定めするかのように眺めていて、迅さんが今度、彼女たち二人を紹介してくれる。
「水沢ちゃん、こいつが小南で、こっちが宇佐美」
「宇佐美栞でーす。アタシはちょっと前まで本部にいたんだけど……」
「……会ったことないと思います」
私はゆるく首を横に振る。ボーダーに入ってから今まで、せいぜいが訓練生の何人かの顔を覚えた程度だ。彼女達のことを知っているはずもない。
もっと言えば、ボーダーで親しい人もいないし伝手もない私のことを、どうして迅さんが話題に上げていたのだろうか。そして、どうして場所をここへと変えたのか。重なる疑いの視線を向けていると、迅さんは「さて」なんてもったいぶった口ぶりで宇佐美さんから順に声をかけていく。
「訓練室ひとつ頼む。なんもないやつでいいよ」
「はーい」
「小南は、いちおう待機で」
「はいはい」
「んで、水沢ちゃんにはこれ」
迅さんは、なぜか私にトリガーを差し出してきた。おそるおそる受け取れば、迅さんが「訓練の時はそれ使って」と言いはじめる。……なんか、嫌な予感がしてきた。
「まさか、迅さんと戦闘訓練、とか言いませんよね?」
「そのまさか。この実力派エリートに稽古つけてもらえるいい機会だぞ〜」
さぞ嬉しかろう、なんて風に言ってみせるけど、とんでもない。負けるとわかってる相手に、喜び勇んで戦いを挑むなんて趣味はないのに。
なにより場所を変えるというのは、ブラックトリガーの件でなにかしら話があったからじゃないのか。まさか、あそこで訓練をつけるには人目が多いから、なんて理由で連れてきたんだろうか。
「ほら、こっち」
「えっと……訓練なんて、そんな」
「あぁもう、じれったいわね! はやく始めなさいってば!」
腰が引けている私の背中を、小南さんがぐいぐいと押しこんでいく。そのまま迅さんと同じ訓練室に追いやられ、私は見知らぬトリガーを片手に呆然と立ち尽くすばかり。
動揺したままの私に「ほら、換装して」だの「スコーピオンしか入ってないよ」だの、ひとつひとつを促していく迅さん。射手トリガーを使っている私がどうしてスコーピオンなのか、話を聞く暇もなくお互いに武器を手に対峙する。
「さて、始めようか」
「……あの、私……」
「そっちの事情のことなら、たぶん大丈夫だよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
事情、とは私のブラックトリガーのことを指しているのだろうか。未来が見えるともっぱらの噂のサイドエフェクトをもってすれば、私のブラックトリガーについても心配はいらない、と。
「だからって、どうして……」
「おまえに教えてやらなきゃいけないことが、いっぱいあるみたいだからさ」
――なんで迅さんが、私に?
聞くよりも先に迅さんの眼差しが鋭くなった。来る、と直感した私は反射で身体を引き、迅さんが振り上げたスコーピオンをすんでのところで避ける。そのまま踏み込んでくる迅さんのひと太刀は頬を掠め、ついで薙ぐ刃を手元のスコーピオンで受け、弾く。
「へぇ、そんなに悪くないじゃん」
「そんなこと」
「――ほら、喋ってると死ぬぞ」
一瞬の殺気に頭が真っ白になる。腹あたりを切り払ったスコーピオンに反応する間もなく、私はただ恐怖のままにスコーピオンを迅さんに向けていた。太刀筋もなっていない、ただ足掻くように伸ばしたひと突き。
ずぷり、と手応えがあった。迅さんのみぞおちに刺さる一本のスコーピオン。その柄は確かに私が握っていて、血の代わりのようにトリオンが吹き出して――
「……あ……」
「はい、一本」
「…………へ……?」
迅さんは変わらずそこに立っていて、それどころか笑顔を浮かべてすらいる。
呆けていると、聞き慣れた『戦闘体、活動限界』のアナウンスが聞こえてきた。けれどベイルアウトとはならず、お互いの手元にあったスコーピオンはトリオンの欠片となって散っていき、迅さんのトリオン体はまるで、傷つけたことなどなかったかのように元通りになる。
「死なないよ、ここでは」
「……なに、を……」
「ほら、構えて」
迅さんが目の前でまた新たなスコーピオンを顕現させるのを呆然と眺める。目の前で起きたことが受け入れられず、なにも考えられないままの私に、迅さんは痺れを切らしたように口を開いた。
「和音、スコーピオンを出して」
「…………は、い」
名指しで向けられた強い言葉に、私は言われるがままスコーピオンを再び手に持つ。刹那、懐まで一気に間合いを詰めてきた迅さんの刃と無我夢中で切り結んだ。目の前にチカチカと瞬くスコーピオンの光を頼りに、必死でスコーピオンを薙いで、払って、それから。
気づけば私のスコーピオンは今度、迅さんの下っ腹から胸の下あたりまでを深く抉っていた。どうして、なんで? 混乱している間にも迅さんはまた――笑うのだ。
「はい、二本目」
「なんで……」
「死なないよ。ボーダーのトリガーは人を殺さない。おれがここにいるのが、その証拠だろ?」
少しして『戦闘体、活動限界』のアナウンスが響くと、スコーピオンと併せて迅さんにつけた傷がまた消えていった。呆然とする私の眼差しを受けて、迅さんは何事もなかったかのように手をひらひらと振ってみせる。
「やられっぱなしって聞いてたけど、反撃はできるみたいだな」
「……どう、して……?」
反撃なんて言ったって、無駄な足掻きだったはずなのだ。迅さんは、もともと凄腕の攻撃手だったと聞いたことがある。そんな人が私の反撃をどうにかすることくらい、赤子の手をひねるようなものだろうに。
だというのに迅さんは、二度も私の攻撃を受けてみせた。呆けるばかりの私に、迅さんはまた得意げに笑ってみせた。
「論より証拠って言うだろ? イメージの上書きをしたほうがいいと思ったんだよ」
「……殺さない、っていう?」
「見てのとおり」
弾丸と違って、生々しい感覚がまだ手に残っている。それでも目の前の迅さんは無傷で立っていて、殺しても死なない、と脳内が麻痺しはじめた。いや、戦闘体で戦うのなら死なないのだ、と思うことは間違いではいないはずで……と混乱してきた頃、迅さんがまた口を開く。
「さて、和音。せっかくいい反射してるから、今度はそっちを訓練しようか」
「……え?」
「ほら、訓練はまだ始まったばかりだぞ〜」
そこからは今度、ひたすらに切って切って殺され続けた。さっきの二本はよほど手加減してくれていたのだと、わかるほどの力量差。それでいて、本部とは違いベイルアウトすることもベッドに横たわることもなく、その場で戦闘体が元通りになる。すると、息をつく間もなく次がはじまってしまう。
湧きあがる嫌悪感が、ふつふつと煮えたぎるようだった。一方的に攻められて泣きたくなるほど嫌なのに、迅さんは攻める手を一切緩めない。
「まだ死にたりない?」
「……っ、」
「ほら、ちゃんと逃げないと」
さっきまでとは打って変わって、まるで脅すかのように低い声を響かせる迅さん。これ以上好き勝手されるのはごめんだと、必死で刃を交わし、受け、防ぎ、生き残ることを考える。
初日からそんな風にしごかれたのに、どうして「また明日」を素直に聞いてしまったんだろう。訓練という名のしごきの結果、最後のほうは死ぬまでのワンセットもそれなりに時間を稼げるようになった。
「……よし。それだけ動ければ、そうそう負けることもないだろ」
最後の一本、私を殺し終えた迅さんは満足気に私を見下ろす。散々に切り結んだからか見慣れた眼差しに、私も修復された戦闘体で姿勢を正し「ありがとうございます」と返す。
「バイパーを撃ちながら今の動きができるなら、ランク戦も怖くないよ」
「……まぁ、前よりは大丈夫だと思います」
話しながら、ここ三日間を思い出してげっそりとしてしまう。迅さんに比べれば訓練生のほうがいくらか優しいだろう。本当に容赦がなかった。
迅さんは疲れたと言わんばかりに伸びをしている。ほとんどつきっきりで教えてくれていたのだから当然ではあるけれど、そもそも――
「どうして私に教えてくれようと思ったんですか?」
自称のとおり、実力派エリートとして名高い迅さん。稽古をつけてほしい人はもちろん、切磋琢磨したい人だってたくさんいるだろう。そんな人がどうして、落ちこぼれの私に声をかけてくれたのか。
「おまえの選択を尊重したいと思ったからさ」
迅さんは、やっぱりにっこりと笑ってそう答えたのだった。