夢のはじまり、あの日の終わり
※以降、未来捏造設定 注意

 腰を落とせば沈むベッドの感覚も、風呂上がりの髪を乾かすドライヤーの音だっていつも通り。けれど、遊真がいるから。隣でベッドに寝転がって頬杖をつきながら私を見上げる遊真に、あぁこれは夢なんだって、追想する私は気づいてしまうのだ。

「髪、のびたな」

 遊真はそう言って、私の背中から髪を一房つまみあげた。まだ少し湿っているであろう毛先を指先で擦るように撫でて、ふいと放して。のびた、ともう一度繰り返すので、私もドライヤーをあてながら自分の毛先を確かめる。とはいっても、毛先だけ見て伸びた長さがわかるわけじゃない。だいぶ痛んできてるなぁ、なんて余計なことには気づけるけれど。別に時間が経てば髪の毛がのびることなんて当たり前なのにな、と考えてなぜか違和感を覚えた瞬間、きゅうと心臓が引きつる。
 遊真の髪は、のびないのだろうな。
 今更だというのに、遊真と一緒にいるからこそ気づくことがたくさんある。トリオン体で生きる遊真と、生身の身体で生きている私。同じように生きていても、やっぱりどうしようもなく違うところがたくさんあるのだ。

「もういいんじゃなのか? だいぶ乾いてる」
「そうね」

 遊真の提案に頷いて、私はドライヤーの電源を切った。煩かったモーター音が止んだから、途端に部屋の中が静かになる。その静けさを壊すようにベッドから立ち上がり、コンセントを抜いたりコードをまとめたり。忙しなく動いて後片付けを済ませる私の背後で、遊真がぽそりと呟く。

「……でも、背は伸びないな」

 くつりと小さな笑い声も一緒に。まったく、一言多いんだから。
 少しくらい言い返せたらよかったけど、あいにく私には返すべき言葉が見つけられなかった。これから伸びるだとか言えたらよかったのかもしれないけど、遊真にそんなこと口が裂けても言いたくなかったから。私はただ、電気消すよ、と断りをいれてパチリとスイッチを切るだけ。
 瞬時に部屋が真っ暗になる。けど、今日は月が明るいのか目が慣れるのも早かった。遮光カーテンのシルエットがぼんやりと浮かんで、隙間から差し込む月光を頼りに私はそうっとベッドへ歩いていく。途中、ぎしりと軋む音と布ずれの音。遊真が先にベッドに入ったのか、と手探りでベッドを探していれば案の定少し浮いた掛け布団に手が触れる。遊真が持ち上げてくれている間に隙間に身体を滑り込ませて、一息。

「眠いのか?」
「まだ、あんまり」

 私の返答に安心したのだろう、遊真の手がもぞもぞと布団の中を探りはじめた。指先が触れ合って優しく握られたから、そっと握り返す。このまま目を閉じて、温かい手に縋っていたい。けれどそうしたらいずれ私は眠ってしまうだろう。そうしてやってくる明日、は。

「……いよいよ遠征、だね」
「うむ」
「気をつけてね」
「わかってる」

 遊真はとても優しい声色で、穏やかに笑って頷いてくれる。言外に安心させようとしてくれているとわかるのに、それでも私の不安は拭えなかった。むしろ、余計に重く沈んでいくようだ。
 遊真と一緒にいて、自分ではどうしようもない感情が生まれることを知った。どんなに理屈がわかっていても感情はままならないものだと、今更になって気づかされたのだ。遠征が危険なのは当たり前。それでも遊真の、遊真たちの念願叶ってのことなのだから応援したい。それでも寂しくて、心配で……嫌な想像が現実になってしまいそうな恐怖が、脳裏にこびりついて離れないのだ。
 ――その恐怖はもしかしたら、夢を見ている私の囁きなのかもしれないけど。

「……ちょっと、だけ」
「うん?」
「もうちょっと、傍に行ってもいい?」

 甘えるように尋ねると、遊真はいいともダメとも答えなかった。けれどずりずりと距離を詰めてきて、繋いだ手を放したと思えばぎゅうと抱きしめてくれる。甘やかしてくれるのか。そう気づいて私も遊真の背中へと手を回し、抱きしめて、甘えて擦りよる。
最中、囁くような声で名前を呼ばれた。なぁに、と密やかに答えれば遊真は内緒話でもするかのように、私の耳へと言葉を吹き込んで。

「好きだぞ」

 ぞくりと震えて、どくりと心臓が唸った。そうして、わからなくなる。私が今こんなに苦しいのは、不安で、怖くてたまらないからなのか。それとも、遊真に好きだと言われたからなのか。強く抱きしめられて、好きだと言われたからこそ嬉しくて胸がぎゅうと苦しくなるのか。

「……うん、私も」

 好きだよ、と答えるより先に遊真の唇が押し付けられた。すぐに離れていくのが寂しくて、追いかけるように私からも唇を押しつける。繰り返して、段々と求めあうようなキスへと没頭していく内に、追想が暗闇へと沈む。



「よし、遊真はもう支度終わった?」
「おう……ちょっと待った、先に玄関行っててくれ」

 滞りなく朝の支度を済ませれば、あとはもう行くだけだ。だからと遊真の状況を確認したのだけど、珍しく忘れ物でもしたらしい。取りに戻る遊真を見送って、私は一足先に玄関へ。マットに腰を下ろして靴を履きながら待てば、すぐに遊真がとたとたと足音を響かせながら戻ってくる。

「大丈夫?」
「うん」

 思いの外早く戻ってきた遊真は、隣に腰を下ろすなり足をローファーにさしいれた。あぁ、いよいよ。そう思ったのだけど、遊真は立ち上がることもなく様子を伺うように私を見つめるだけだ。私が、行こうか、と言えばきっとそれでおしまい。わかっているからこそ何も言えず、見つめあうことすら苦しくてそのまま視線を落とす。
 それでもと、立ち上がろうと踏ん張るために床についた手には力が入らない。……いれたく、ないんだ。遊真はわかっているんだろう。まるで無理はしなくていいとでも言うように手のひらが重ねられる。肩が少しだけ触れて、遊真がそこにいると感じるほどにたまらなく寂しい。離れなきゃいけないということを突きつけられることが、辛い。

「……ちょっとね、寂しくて」
「うん、仕方ない」
「……ごめん」
「謝ることじゃないだろ」

 遊真の返事には笑い声が滲んでいたけど、それでも私は自己嫌悪から顔を上げられないままでいた。昨日だって不安でしょうがなくて散々に遊真を困らせたというのに、朝になってもまだ引きずっている自分が嫌になる。
 そんな私の表情を伺うかのように、遊真が額を寄せてきた。こつりと、おでこがぶつかれば吐息すらも重なる距離。これじゃあ目を逸らしても、遊真の紅い瞳からは逃げられない。観念しておそるおそる表情を伺えば、目元だけでも穏やかに笑っているとわかるほど、遊真は優しい眼差しを私に向けていた。

「おれは素直な和音が好きだぞ」

 そのまま寄せられた顔に瞼を下ろせば、唇に温かいものが触れる。ふんわりと柔らかく押し付けられて、少し離れて。薄らと瞳を開ければ視線が絡んだから、またどちらからともなくキスをする。少しだけ胸の軋みを緩ませて、唇は離れていく。

「寂しいのを寂しいってちゃんと言えるのは、いいことだ」

 そう言った遊真は優しい、甘い笑顔を浮かべていた。私のワガママを、そう受け止めてくれる遊真がやっぱり好きだと思う。少しだけ自分を許してあげられそうで、許してくれる遊真がやっぱり好きだと胸がいっぱいになる。

「……ありがとう」

 答えてもう一度、今度は自分から唇を寄せた。もう大丈夫。よし、と気合を入れなおしてようやく立ち上がる。その勢いのまま家を出てしまおうと玄関の扉に手をかければ、追いかけて立ち上がった遊真の手に止められた。

「もういっかい」

 次いでもう一方の遊真の手が私の頬に伸びる。そうまでしなくても逃げやしないのに。けれど、求められているように引き寄せられれば嬉しくて、私はただ応える。繰り返すキスで少しずつ埋まっていく心。隙間は埋まらなくても、詰められた愛情で少しだけ狭まった虚無感に、やっと私は笑顔を返せるようになった。

「……急がなくちゃ、遅れちゃうね」
「少しくらい大丈夫だ」
「ありがと。でも、大丈夫だから」

 やっと、やっと言えた大丈夫に、遊真は目をしばたたかせた。呆けたあとには、困ったような笑顔。さっきまでとは立場が逆転したように、遊真が何かを言いかけて口をもごつかせる。

「参ったな。そう言われると今度はおれが……」
「なに?」
「……いいや、言わない」
「私は言ったのにずるくない?」
「うむ。許してくれ」

 強気に笑う遊真の言いぐさに、思わず私まで笑ってしまって、好きだとも思った。素直に伝えた私の手前、言わないことがずるいとわかっている。それでも許してくれなんて笑ってみせるのは、きっとそれも一つの、遊真の素直な在り方なんだろう。
じゃれるように、遊真は私の頬にキスをした。お返しに私も頬にキス。そっと離れて、笑いあって。重なったままだった遊真の手が私の手を押せば、玄関の扉は開いていく。

「いってくるな」

 前置きもなく告げた遊真の目には、もう揺らがない決意が宿っていた。真っ直ぐに私を見据える表情には迷いもなく、だから私も遊真だけを見て答える。

「うん。気をつけて、いってらっしゃい」

 遊真は満足げに笑うと、そのまま大きく扉を開け放った。朝の白んだ太陽が眩しくて、目を細めている内に世界が白く染まっていった。

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サヨナラの引力

 

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